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その次のお正月、エレオノールは4ヶ月ぶりに鳴海に会った。
鳴海は家に着くなり、まっすぐ才賀家へやってきて
「久し振り。はいこれ、おみやげ」
と小さな包みをエレオノールに手渡した。
中には小さなパンダのキーホルダー。
「やっぱり、中国っていったらパンダかな、と思って」
そう言いながら笑う鳴海を、ちょっと雰囲気が変わったかな、とエレオノールは思った。
鳴海は中国に渡ってから近所の拳法道場に通い始めたらしい。
エレオノールにとってはそれはまさに晴天の霹靂で。
「ナルミが殴ったり蹴ったりの練習をしているってこと?」
「身体を鍛えてるって言ってよ。まだ初めて3ヶ月ちょっとだけど、毎日欠かさず練習してるんだ」
あのナルミが。
運動神経が切れてて、生まれつき持ってないはずのナルミが。
運動会の駆けっこではいっつもビリだったナルミが。
エレオノールは口には出さなかったけれど、きっと近いうちに音を上げてやめてしまうだろうと予想した。
だって、ナルミは泣き虫で弱虫だもの。
その日の夜、エレオノールは寝る前に自分の部屋の窓から何気なく加藤家の庭を見下ろすと、そこで稽古している鳴海を見つけた。たどたどしい動きながらも一生懸命なのが分かる。
この寒いのによくやるな。
ナルミは泣き虫で弱虫だけど、でも真面目で努力家だから。
それは鳴海が再び中国に発つ日まで毎晩続いた。
両親にそのことを伝えたら、「鳴海くんは朝も毎日早起きして稽古してたよ」と教えられた。
エレオノールは少し吃驚してしまった。
もちろん、鳴海が拳法を習いだしたのは弱い自分が嫌だったから。
日本にいた頃の泣き虫な自分と決別したかったから。
それと、別れ際に、エレオノールの涙を見たから。
強いと思っていたエレオノールが泣いたから。
ああ、エレオノールは女の子なんだ、本当は僕が守ってあげなくちゃいけなかったんだ。
好きな女の子くらい守れるくらいに強くならなくちゃ、エレオノールの前に胸をはって立つことなんかできない。
そう思ったから。
少し不純な動機かもしれないけれど、強くなりたいと思った気持ちは本物。
確かに優しい気性の鳴海に格闘技は高いハードルではある。
痛くて辛くて泣きたいときもある。
それでも、鳴海はもう泣かない、頑張りぬくと心に決めた。
「今度会うのは夏だね」
鳴海は微笑む。
鳴海が帰省したこの一週間、エレオノールは鳴海の泣き顔を一度だって見なかった。
お盆とお正月。
エレオノールが鳴海に会うのは年に二回。
帰ってくるたびに鳴海の体つきと顔つきはしっかりしたものになっていった。
朝晩の稽古も、たどたどしさが消え、迫力、のようなものが徐々に備わっていく。
すぐにへこたれる、と読んだエレオノールの予想は外れた。
お互いが小学生であるうちは、まだエレオノールの方が背が高くて、前みたいに鳴海の身体つきがヒョロヒョロではなくなっても、彼女は鳴海を「まだまだ小さい弟」のように思っていた。
鳴海が小学校6年生のお正月に喉をガラガラにさせて帰ってきたので「風邪?」と訊ねたら「声変わり」だという。
「自慢じゃないけど、オレ、拳法習ってから一度も風邪をひいたことねぇもん」
鳴海はかすれたような低い声で言う。
エレオノールは何だかヘンな声、ナルミじゃないみたい、と思った。
鳴海が中学2年の夏、エレオノールはとうとう鳴海に身長を追い抜かされた。
それが分かったときの鳴海の喜びようったらなかった。
エレオノールは女子では一番背が高いが、もうこの一年、ほとんど背が伸びていない。
これからは鳴海に差をつけられる一方だろう。
背丈もさることながら、がっしりとした筋肉質の身体つきには本当に驚かされる。
あんなに吹けば飛ぶようなゴボウやモヤシみたいな身体だったのに。
あばら骨がゴツゴツしてたのに、今ゴツゴツしているのは割れた腹筋で。
無造作に裸に近い格好でそこらへんを歩き回るのはやめて欲しいとエレオノールは思う。
目のやり場に困るのだ。
エレオノールは自分の鳴海を見る目が変わってきていることに何となく気づいていた。
鳴海もまた、エレオノールを見る目が変わってきていることに気づいていた。
もともと鳴海は小さい頃からエレオノールが好きだったのだけれど。
会うたび会うたび、エレオノールはどんどんどんどんきれいになって美しくなっていく。
もともとエレオノールは子役やタレント事務所のスカウトから何度も声をかけられていたくらい可愛かったのだけれど。
身体つきも丸くなって女らしくなって、胸なんか膨らんじゃって。
目を合わすのが恥ずかしくなるくらい、きれいで。
でも、昔の苛められてた鳴海のイメージが抜け切れていないのか、まだお姉さん口調で自分を弟扱いするのが癪に障る。
遠い日本で日々エレオノールがきれいになっていくのが、中国にいる鳴海にはもどかしくてたまらない。
あれじゃ、野郎どもが黙っていないだろう?
でもそんなことはとても本人に聞けないから、とりあえずギイに訊く。
そうするとギイはさも嬉しそうに自分の妹がどれだけ男にモテるのか、あることないこと鳴海に話す。
人を疑うことをしない鳴海が話が進むにつれ、いかにも面白くなさそうな、嫉妬心を隠そうとしない、分かりやすい反応をするのが楽しくて仕方がない。
「ま、今年に入ってこの夏までざっと30人はくだらないな。
そうそう先週は仲町さんちの兄弟が花火に誘いに来てたっけ?」
「だってアイツら、昔、エレオノールのこと『外人』って悪口言ってたんだぞ?」
「男の子は好きな子をからかってしまうものだろう?」
「それで?エレオノールは…?」
「行ってないよ、断った」
途端、鳴海の険しい顔はほっとしたものに変わる。
「どうしてそんなに気になるのかな?ナルミ?」
「べ、べっつに。単なる好奇心だよ。あいつどんくらいモテんのかなーって」
鳴海はそう嘯くが、既に社会人で女性関係に関して百戦練磨のギイに通用するわけもない。
ギイはにやり、と笑う。
「我が妹ながら、エレオノールは美しいからな。僕のママンを見るといい。彼女の行く末はあの高みまで上りつめることだろう」
このマザコン。
鳴海はギイのことを心の中でそう呼んだが、ギイの言う通りなのだ。
彼女は母親アンジェリーナにそっくりで、そのアンジェリーナはとんでもなく美人なのだ。
社会人の息子がいるとは到底思えないくらい若く(30代前半にしか見えない)、美しく、瑞々しく、プロポーションだってまったく崩れていないのだ。
そして旦那さんの正二とはいまだにラブラブで家中にハートマークが飛び交っている。
そんなアンジェリーナと生き写し。
将来が末恐ろしい。
この時期辺りから、ふたりのお互いを見る目は異性を見る目に変わっていった。
言葉にすることはなかったけれど、相手にどう想われているのか気になって
でも、年に二回しか会えなくて
けっこう、切ないものが胸の中にたまるようになっていった。