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金曜日の子どもは恋をする。
にばんめの子ども 鳴海
「何だと?また何にも訊いて来なかったのかよ?」
このやりとりは果たして何回目になるだろう?鳴海のイライラは日に日に募る。
「おまえなああああ、いい加減にしてくれよ!」
「だってさあ……リーゼさんと話したいことは他にたくさんあるんだもん。それにリーゼさんの話の方がどう考えたって優先でしょ?」
鳴海は開いた口が塞がらない。
こんな腑抜けた顔しやがって!恋は盲目とは言うが、耳まで聞こえなくなっちまうとは!
「おまえ…頭いいだろお?何で簡単な兄ちゃんのお願いもきけなくなっちまうんだよ……」
頼むよ。
これも果たして何回目の「頼む」だろう?
「兄ちゃんの話もね、たくさんするんだよ。兄ちゃんの話はリーゼさんが面白いって喜ぶんだ」
「オレはちっとも面白くねぇ。それに話すべきはオレの話じゃねぇだろ?」
「たいていのことは話したよ、兄ちゃんのコト」
「だから、オレの話はいーっての!」
「あああ……リーゼさあん……」
「もおお、マサルはいいか知んねぇけどよ…」
鳴海は大きな溜め息をついた。
鳴海はあの銀髪美人の名前も知らないのだ。
幾つなのか、どこに住んでいるのか、学生なのか。彼女とリーゼの関係すらも知らない。
勝がほんの少しリーゼに訊ねてくれればいいものを、目の前のカワイ子ちゃんに現を抜かす間抜けに成り下がった弟はまったくもって使い物にならない。
『お待たせ』と『すまなかった、遅れてしまって』の彼女の発したふたつの言葉があれから鳴海の耳の中をぐるぐるリフレインしている。
低めの、柔らかくてやさしい響きを含む声。
吸い込まれそうなくらい大きな銀色の瞳だって、鳴海の瞳を見つめたままなのだ。
大学の授業だっておざなりだし(それ以前だってマジメに受けたことは無いが)、拳法部の大会だって近いのに練習にも少しも身が入らない。勝のことを言えないくらい、鳴海もまた腑抜けだった。
それも幻に恋をしている。
「くそー…どっかに彼女の生身は確実に存在しているはずなのに……」
こんのバカタレのせいで!
ぼかり。ムシャクシャする鳴海はとりあえず、勝の脳天を殴ってみた。
「しろがねさん、って言うらしいよ。あの銀髪のきれいな人」
鳴海が銀色の髪の片想いの相手に出会ってから、もう何日も経ったある日、勝は言った。
勝の言葉は鳴海には福音の鐘の音に聞こえたらしい。
「マジ?!」
でかした!と鳴海は勝の身体をその逞しい腕で抱き潰す。
「く、苦しい…死ぬ!離して!身が出るよ!」
「で?」
「で?って何が?」
「名字は?他にもなんか訊いてきたんだろ?」
「ううん。リーゼさんの話の中に出てきたの、たまたま」
「おまえが訊いたんじゃねぇのかよ?」
「うん」
ぼかり。鳴海の鉄拳がとんだ。
「いった!」
「ああ、おまえを抱き締めて損した。バカマサル!」
「あー…そんなこと言うんだ。しろがねさんとリーゼさんの関係も分かったのに…」
「もったいぶらずにしゃべりやがれ!たいだいおまえの手柄じゃねぇだろ?」
鳴海の拳が震えている。あんまり引っ張るとまた殴られる。鳴海は気が短いのだ。
「イトコなんだって。リーゼさんとしろがねさんは仲良しでよく買い物とか行くんだって」
「そう、か。イトコ…しろがね、さん…」
「ね。僕だって役にたったでしょ?」
「あのなあ。彼女の名前が出てきた段階でオレの頼み事を思い出せよ!そこからいくらでも話を膨らませることができっだろ?」
「でも、リーゼさんの話の腰を折るわけにいかないじゃない」
「知るか!」
「僕、携帯持ってないからなぁ……僕も中学生になったらお祝いは携帯にしてもらおう。そうしたらリーゼさんとメールできるもん」
うかれる勝を鳴海は半分呆れ顔で眺めた。
でも今日は、鳴海が勝を殴ることはもうなかった。
勝の手柄とは言い難いが、それでも勝がもたらした彼女の名前は鳴海にとってこの上ない幸せだったから。
「しろがねさん、か」
鳴海はにやけた顔を勝に見られないようにクッションに顔を押し付けた。
月曜日から金曜日、勝とリーゼは小学校と中学校のちょうど真ん中辺りにある公園で帰り道に待ち合わせをする。実はふたりとも、家から反対方向。
「だんだん暑くなってきたよね」
「そうデスネ」
ベンチに座って、ふたりは飽きることなく世間話。
自分のことや、学校のこと、友達のこと、家族のこと、最近あった楽しかったこと。
時間が経つのなんてあっという間。
勝は間近でリーゼが自分の話を笑顔で聞いてくれるのが嬉しくて。
鈴が転がるような声で笑ってくれるのが嬉しくて。
リーゼに訊ねられるまま何でも話してしまう。
リーゼが面白がって一番聞きたがるのは鳴海のこと。
鳴海の話題は毎回必ずといっていいほどのぼる。
「お兄サンはそんなにお家でご飯食べるのが好きなんデスカ?」
「好き…というよりは、一緒に過ごしてくれる恋人がいないんだよ。だから半分は仕方なく家にいるんじゃないかな?滅多に外で食べないね。お酒が飲めないから飲み会も苦手なんだって」
「モテないんデスカ?」
「モテなくはない、と思うよ。けっこうバレンタインはチョコもらってくるし……兄ちゃんは『オレは理想が高いんだ』って言うよ」
鳴海の話題が多くても、勝は特に疑問に思わない。
大好きなリーゼに大好きな鳴海の話をするのは楽しかった。
「そう言えバ、この前、お話した本、まだお兄さんに持っていかレタままデスカ?」
「うん、兄ちゃん読むのが遅いんだ。けっこう厚い本だし。まだまだ僕が読むのは先だなあ」
「もし良かったラ、私もその本持ってマスから、勝サンに貸しマショウか?」
「ええ?いいの?」
「私は読み終わりマシタから」
リーゼはにこりと笑う。
リーゼからリーゼのものを借りるのは何だかくすぐったくて、勝は夕陽が薔薇色に見えた。
その次の日の金曜日、めずらしく鳴海は家にいなかった。部の飲み会だそうだ。
「あの身体で酔い潰れられると迷惑なのよねぇ…」
母親がボヤキながら夕飯の片付けに取り掛かっていると、玄関のチャイムが鳴った。
「勝、悪いけど出てくれる?」
「はあい」
パタパタと玄関に向かい、扉を開ける。
勝の目が丸くなる。そこにいたのは愛しのリーゼ。
それともうひとり、勝の目はさらに丸くなった。
バカだな、兄ちゃん!何で今日に限って飲み会なんかに行ってるんだよ!年中家にいるくせに!
銀色のきれいなヒト。しろがねさん。
「昨日、話していた本、今日渡し忘れテしまったノデ、持ってきたんデス」
リーゼは本を差し出した。
「え?わざわざ?こんなに暗いのに」
「ひとりじゃないカラ平気デス。しろがねサンに付き合ってもらっタノ」
「才賀しろがねといいます。いつもリーゼと仲良くしてくれてありがとう」
しろがねが勝ににこっと微笑みかける。
すんごい美人!鳴海兄ちゃんが骨抜きにされた理由が勝も遅ればせながら理解できた。
ああ、確かに、しろがねさんレベルじゃないと好きになれない、というのなら兄ちゃんの『理想が高い』発言も嘘じゃない。
思わず子どもながらも勝も見とれてしまう。
リーゼがぐいっと勝の手元に本を押し付けたので、ハッと我に返った。
リーゼは少し、怒ったような顔をしている。
「ごめんね。ありがとう」
勝が嬉しそうに微笑みかけたので、リーゼの表情も元に戻った。
「今日はお兄サン、いらっしゃいマスカ?」
リーゼが家の中をのぞきこむような仕草を見せて、鳴海のことを訊ねた。
「ナルミ兄ちゃん?今日はめずらしく留守なんだ。どうして?」
「いえ、何となく…」
リーゼはちょっと困ったような顔をして、盗み見るようにしろがねへ視線を走らせた。
「リーゼ、私は外で待っているから…」
しろがねは勝に頭を下げると、くるりと背を向けて表へと出て行った。
「あっ、しろがねサン…それじゃ、勝サン、月曜日にまた会いマショウね」
リーゼは小さく手を振ると、表で待つしろがねの元に急いで駆け寄った。
「うん、それじゃまた…」
勝はふたりの背中を見えなくなるまで見送り、家の中へと入る。
玄関の上がりかまちに腰掛けたまま自分の靴を見つめて、勝はしばらく動けなかった。
リーゼさんはどうしてナルミ兄ちゃんに会いたがったんだろう?
勝の胸の中にちょっとだけ、不安の花が咲いた。
「ええ?!昨日、うちにしろがねさんが来た?!」
翌朝、無理やり飲まされたアルコールのせいでひどく痛む頭と、絶えず吐き気を訴えるムカつく胃を抱えた鳴海が思わず叫ぶ。叫んで、そのまま力なく、ソファに突っ伏してしまった。
「……うわー……もお、オレ、立ち直れねぇ……」
「何でよりによって昨日、飲み会なんかに行ったんだよ?」
「別に行きたくて行ったワケじゃねぇよ……OBが大量に来るからやむを得ず……」
「家にいればしろがねさんに会えたのに」
「……………」
痛恨の失敗。
「…で、おまえは何にも」
「訊いてないよ。本を置いて、ふたりともすぐに帰っちゃったもの」
「……………」
「しょうがないでしょ?リーゼさんともほとんど話してないんだから。僕に貸す本を持ってきたって言って、暗いからしろがねさんに付き添ってもらったって言って。
あ、そうだ!ひとつだけ新情報があるよ。名字は才賀だって。『才賀しろがねです』って自己紹介してくれたよ」
鳴海はガバッと顔を上げる。
「才賀しろがね?」
鳴海は血の気の引いた顔で、片想いのヒトの名前を呟いた。
「うん。そう言ってにっこり笑ってくれた。本当に美人だね。改めて見て、僕びっくりしちゃった」
「やらねーぞ」
鳴海は勝に一言、再びソファに突っ伏した。
「それでリーゼさんが兄ちゃんは留守かって聞いて、いないって僕が答えたらすぐ帰っちゃった」
「リーゼちゃんはずいぶんオレのこと訊くなぁ……意外とおまえじゃなくてオレのことが好きなんじゃねぇのか?」
鳴海は冗談を言って笑った。
笑い声が痛む頭に響き、頭を抱え、顔を顰めた。
鳴海が言ったのは本当に冗談だった。もとより鳴海はリーゼにはまったく興味はない。ロリコン趣味はまるでない。
でも、勝の胸に鳴海の言葉は小さな棘になって刺さった。
何でリーゼさんは兄ちゃんの話を聞きたがるのかな。
それは、勝も感じていたことだったから。
「ちぇ……飲み会になんか出ていなければ、今頃、しろがねさんとデートしてるかもしんねぇのに」
「それは飛躍しすぎでしょ。いくらなんでも」
「……うっせーなぁ……そういうおまえだって、まだ『付き合ってる』ワケじゃねーんだろ?
リーゼちゃんに『好き』って言われたワケでもねぇんだろ?」
「……」
鳴海の言うことはいちいち図星で。
何だか胸がチクチク痛みだした勝はそのまま黙って二階の自分の部屋に引っ込んでしまった。
確かに、リーゼは勝に『好き』とは言ってない。
そして勝もリーゼに『好き』だと伝えてない。
鳴海の言う通り、『付き合ってる』とはいえない、ただの仲良し。
「だけどそんなの、僕にはまだ分かんないよ!だってまだ小学生だし、子どもだし」
そう言いながらも。
子どもでも、言うべきことは言わないと、いけないのかもしれない。
何てことをとてもマジメに勝は考えたのだった。