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金曜日の子どもは恋をする。
さんばんめの子ども リーゼ
「兄ちゃん、お帰り……兄ちゃん?」
鳴海がしろがねが訪れた日に滅多に行かない飲み会に出てしまった、あの痛恨の日から3日後、鳴海は口からエクトプラズムを棚引きながら帰ってきた。虚ろな瞳で、足をズルズルと引き摺るように歩き、母親の「ご飯できているわよ」の言葉に「喰いたくねぇ」と返事して、鳴海は這い蹲るようにして階段を上っていった。
その姿はまるでサダコのようだ、と勝は思った。髪も長いし。それにしてはデカすぎるけど。
「外で何か悪いものでも拾って食べたのかしら?」
と、お気楽に構えている母。
勝はトタトタとその後を追って、階段を駆け上がった。
勝が鳴海の部屋に入ると、鳴海はベッドの上でのびていた。エクトプラズムは出たまんま。
「兄ちゃん、何かあったの?」
「……………」
聞こえてないのか、聞こえてても話す気力がないのか、鳴海は身じろぎもしない。
「しろがねさんのこと?」
しろがね、の名前が出た途端、鳴海の手がぴくっと動いた。
「やっぱ、聞こえてるんじゃないの。どうしたの」
「…………………しろがねさんに、男がいた…………………」
ふっ、と息を吹きかけたら消えてしまいそうな、か細い鳴海の声。
「……きれいなヒト、だもんねぇ……」
勝には慰めようも無かった。
鳴海は今日の午後、ホントについ先程、用事があっていつもと違う街を歩いていた。
そうしたら。
しろがねがいるではないか。オープンカフェでひとり本を読んでいる。
ぴたり、と進むのを止めてしまった足とは反対に、鳴海の心臓は駆け足になり、呼吸はどんどん荒くなった。
初めて会ったときと同じ、しゃんと背筋を伸ばして、銀色の髪を風に遊ばせて、夏が近づいた証拠の湿気の高さなんてお構い無しの涼しそうな表情。今日はタンクトップにジーンズ。
タンクトップが大きな胸ではち切れそうになっている。
こ、声をかけなくては。
でも、なんて?
こんにちは、勝の兄です、でもいいのか?
それっておかしかねぇか?
鳴海の頭の中が整理つかずでフリーズしていると、男がひとり、しろがねに近づいた。鳴海ほどではないがけっこう背が高くがっしりしていて、鳴海ほどではないが黒い髪を長くして、鳴海よりもずっと服装や持ち物にこだわっていて、鳴海よりもはるかにずっと甘いマスクをした男。
「しろがね、おまたせ」
と男が言うと
「リシャール、遅刻」
としろがねは返事をし、席を立った。男は立ち上がるしろがねに当たり前のように手を貸した。
ふたりは店を出て、鳴海の前を歩き出す。
鳴海の目の前で、男は剥き出しのしろがねの肩に手をかけた。あの滑らかそうな白い肌に。
その刹那、鳴海の口からエクトプラズムは飛び出して、その後、鳴海はどうやって家まで辿り着いたのか覚えていない。
「おまえのせいだぞ……マサル……恨むからなああああああ」
地獄の底から響いてくるような鳴海の声に後ずさりながらも勝は反論する。
「僕のせいだとは限らないじゃないか。もしかしたら、初めて会ったときにはもう、付き合っていたかもしれないし、仮に僕がリーゼさんからしろがねさんのことを訊いていたとしても、兄ちゃんはフラれていたかもしれな…うわっ!」
すんでのところで身を屈めた勝の頭上を猛スピードで枕が通過する。
勝の後ろにある本棚に轟音と共に激突した枕は、その衝撃で何冊かバラバラと本の雨を降らせた。
ゆらり、と鳴海が起き上がる。目が尋常じゃない。
「なんだと、コラ?てめえ、ヒトの生傷に塩すり込んでそこを千枚通しでグリグリすんのが、そんんんんんなにおもしれーのかよっっっ!!」
鳴海の言葉が終わらないうちに勝は素早く部屋を飛び出した。
鳴海は追ってこない。部屋を出る気にはならないらしい。
少し時間を置いて、そうっと部屋をのぞきこむと、鳴海はベッドの上で腐乱死体になっていた。
勝は、胸を撫で下ろしながら、しばらく近寄らないにしよう、と呟いた。
「ありがとう、これ面白かった」
いつもの公園の、いつものベンチ。いつもと同じ帰り道。
勝はリーゼに借りた本を返した。
「兄ちゃん、まだ読み終わってないんだもん。だからすごく助かった」
しかも、今の鳴海はとてもじゃないが読書どころではない。
昨日の今日では立ち直ることもできないらしく、今日は大学もサボって自分の部屋でフテ寝している。
「お兄さんはそんなに読むノガ遅いのデスカ?」
まただ。また、リーゼが鳴海のことを訊いた。
よく分からないけれど、あれ以来、リーゼが鳴海のことを口にする度に勝の胸の中がチクチクする。
「勝サンが喜んでくれて良かったデス」
リーゼが笑ったので、胸の中のチクチクは緩和された。
ついでに、勝の頭からは傷心している気の毒な兄の姿など霧消してしまった。
その後、ひとしきり、その本の内容についてふたりは話し合った。
勝は楽しくて楽しくて、いろいろと話をしていた何かのときに、しろがねの名前があがった。
勝の頭に、うちひしがれている鳴海の姿が戻ってきた。
確かに。
僕がちゃんと何らかの情報をもっと早くにリーゼさんから訊いていたら、兄ちゃんはもっと早くにしろがねさんに何らかの行動に出られたのかもしれない。
例え、しろがねさんにフラれるような結果になったとしても、自分で何かを働きかけた結果と何にもしなかった結果とでは、意味が違うのかもしれない。
もっと早ければ、兄ちゃんもまだそんなにしろがねさんを好きにならずにすんでいたかもしれない。
そんなに好きになってなければ、あんなに苦しむこともなかったかもしれない。
僕だって逆の立場だったら、兄ちゃんの立場だったら……やっぱり、兄ちゃんを怒って恨んで、立ち直れないかもしれない。
僕だって、もしもまだリーゼさんと仲良くなれていなかったら、リーゼさんが誰か他の男の人と一緒にいるところを見たら……。
(少しは)僕のせいなのかな……。
よし、リーゼさんに、しろがねさんのことを訊いてみよう。
兄ちゃんはしろがねさんといた男の人を彼氏だって決め付けていたけど、ただの友達かもしれないじゃない?
『しろがねさんには彼氏がいないらしいよ』、って教えたら、きっと兄ちゃんは嬉しそうな顔をしてくれるだろう。
彼氏だったら、それこそ諦めもつくだろうし。
勝は初めて、リーゼにしろがねのことを質問した。
「あのさ、リーゼさん。しろがねさんって彼氏とかいるのかな?」
勝の質問に見る見る間にリーゼの顔が曇った。
「どうシテ、そんなことを訊くんデスカ?」
「どうして、って?」
リーゼはさくらんぼのような可愛い唇を噛み締めて、勝を上目遣いでちょっと睨むようにしている。
勝はどうしてリーゼがそんな顔をするのか、まるで分からない。
『兄ちゃんがしろがねさんを好きだから』が答えだけれど、それは男同士の約束だから言えない。
もしも、本当にしろがねに恋人がいた場合、鳴海の立場は本当になくなってしまう。
「ほら、しろがねさんってすごいきれいだから……いるのかなあって」
リーゼは中2とはいえ、女。
女の前で、他の女の人を褒める、という失敗をしでかしたことにまだまだ子どもの勝は気がつかない。
「今マデ、一度だっテしろがねサンのことを質問したコトがないノニ、どうして急にそんなコトを訊くノ?」
「え?」
「この間、近くデしろがねサンを見たカラ?」
「何を言ってるの?リーゼさん?」
リーゼがどうしてか怒ってる。勝はどうしていいのか分からずオロオロするばかり。
「とってもキレイだものネ。勝サン、しろがねサンのコト、好きなんデショ?」
「何でそんなこと言うの?」
「いいの。はっきり言っテモ。しろがねサンが好きだっテ」
リーゼはきゅっと膝の上で小さな拳を握った。
リーゼの態度が硬化した理由、どうしてこんなに勝につっかかるような言葉を発するワケ。
やっぱり勝はまだまだ子どもだから分からない。
それは他愛のない、ヤキモチ。
さっきまでとっても楽しかったのに、どうしてリーゼさんはそんなことを言って僕を困らせるの?
僕が好きなのはずっとずっとリーゼさんなのに!
「……だったら……リーゼさんは本当は鳴海兄ちゃんが好きなんじゃないの?」
「え?」
今度はリーゼが耳を疑う番。
勝の胸の中のチクチクが言葉となって溢れ出した。
「いつもいつも兄ちゃんの話を訊きたがって。本当は僕と会うのは兄ちゃんの話を訊くのが目的なんじゃないの?この間だって、本を口実に兄ちゃんに会いに来たんでしょ?」
「勝サン、それは」
リーゼは口をつぐんだ。
「ほらね。そうなんじゃないかって気はしてたんだ。リーゼさんから見たら僕なんて背も低いし、全然子どもだし。
でもあんな兄ちゃんでも大人だもんね」
すぐ怒るし、僕の頭をぽんぽん殴るけど、やさしくて明るくて強くって、僕だって兄ちゃんに憧れる。
「勝サン、私は…」
勝は話しているうちに自分の気持ちを分かってくれないリーゼに対する怒りにどんどんと火がついた。
今度はリーゼがどうしていいのか分からず、オロオロしている。
「あのネ、勝サン」
「いいよ。来週はもう、ここに来ないから。バイバイ!」
勝はランドセルを手でつかむとそのまま振り返りもせず、駆け出した。
カタカタカタカタ。
ランドセルの鳴る音がだんだんに小さくなる。
勝の背中が公園の外に消えると、その場に立ち尽くすリーゼの瞳から透明な雫がポロポロと零れ落ちた。