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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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彼女の理想的彼氏

己の動物的本能

両立





指の間から工具が滑り落ち、床の上でカツンと跳ねた。
「あ、ああ…っ」
思わず、少し大きめな声が出る。それを聞きつけた鳴海が
「どうした?」
とキッチンから訊ねた。続いて蛇口を捻って水を止める音。皿洗いの手を止めてリビングへとやって来た鳴海は
「何やってんだ、おまえ」
サイドボードの前で這いつくばる、なんて珍しいポージングのしろがねに、怪訝そうな声になる。
「それが…あるるかんの工具が落ちて、サイドボードの下に入り込んでしまって」
サイドボードの足元と床の間にはほんの少しの隙間がある。そこに工具がクルクルと円舞のように回転しながら滑り込んでしまったのだと、しろがねは言った。


隙間はしろがねの細い手でも、手首のところで閊えてしまう。工具をサルベージするためにはサイドボードをどかさないとならない。だが、チークで作られたサイドボードはそれ自体が重い。中の物を出して軽くして、持ち上げて工具を取って、また元に戻す。考えただけでちょっとした大掃除の手間だ。鳴海に面倒を掛けてしまうことがしろがねには心苦しかった。皿洗いさえ済ませたら、鳴海は寛げる時間なのに。
「サイドボードをどかさねぇと、って話だな」
鳴海の言葉にしろがねは頷いてみせた。とりあえず、まずは中身を取り出そうと腰を屈めるしろがねを尻目に、鳴海はサイドボードの上に置かれた物を大雑把にどかし両手を掛けると
「せえのお、よいしょっ」
と、掛け声の割には軽々とサイドボードをひとりで持ち上げた。腕を入れるに十分な隙間が空く。鳴海の想定外の所業にしろがねの目が丸くなる。鳴海が力持ちだとは分かっていたが、ここまでとは思わなかった。


「どうだ?取れるか?」
と言われて、しろがねは我に返り「ああ」と答え、急いで工具を無事救出した。
「取った。もう戻して大丈夫」
「了解」
鳴海は事も無げにサイドボードを下ろし、何もなかったかのように元通りにした。
「良かったな、取れて……って、流石にワイパーが入らねえ場所だからなあ。埃まみれだ」
しろがねの手から埃で白くなった工具を取り上げると、鳴海は自分のシャツの裾で擦り綺麗にして、彼女に返した。
「悪かったな、掃除が行き届いてなくてよ」
別に鳴海は何も悪くないのに謝ってくる。じっと自分を突き上げるようにデッカい瞳で見上げてくるしろがねに、鳴海は幾分たじたじと
「他に何かあんのか?」
と訊ねた。
「二人掛かりじゃないと持ち上げられないと思っていた」
「ん?まあ、これっくらいなら何とか」
腕っぷししか取り柄が無いと自覚する男としては、どうってことのない目方だった。


「ありがとう」
しろがねからの素直な感謝の言葉を受け、鳴海は照れ臭そうに鼻を擦ると、その手で膝を叩き、銀色の丸い頭の上に置いた。
「どういたしまして。てっきり、力自慢、とか言われると思ったぜ」
少し前のしろがねだったら、確実にそう憎まれ口を叩いていただろう。
でも今は。
お互いにお互いを、好き、という単語で感情を語れるようになった今は、しろがねは鳴海にそんなことを言わない。
「カトウは本当に力持ちでやさしい。私は、そんなあなたが好きだ」
素直に、好き、と言葉にする。


「好き」を先に口にしたのはしろがねだった。鳴海の笑顔が好きなのだと、その温かさが好きなのだと、そのやさしさが好きなのだと、一緒にいると得られる安心感が好きなのだと、言葉の小さな切っ先で穴を開けられた心は、長年鬱屈をため続けていた反動か、鳴海への想いをこれでもかと吐き出した。幾つの「好き」を並べたか、数え切れない。
全部吐き出してから、吐き出したことで鳴海とのこれまでの関係性が保てなくなったことに気が付いた。その時に覚えた恐怖は筆舌に尽くし難い。鳴海が何と返事をしてくるのか、とても怖かった。鳴海の返答如何では、しろがねは独りぼっちに戻ってしまう。
でも、鳴海は今してくれているように、ぽん、としろがねの頭に大きくて温かな手の平を置いて「オレも好きだ」と、一言くれた。
それからというもの、しろがねは勝抜きでもこうして鳴海の元に足を運んでいるわけだけれど、特にふたりの間には何ら進展はない。勝が一緒の時と、ふたりの距離感は変わらない。変わったことは、天邪鬼なしろがねが、素直なしろがねと置き換えられたことだけ。


「私は…あなたに助けてもらってばかりいるな」
頭に置かれた鳴海の手に、両手を添え、
「あなたに、甘えてばかりだ」
その手の平に、頬を寄せる。
「あなたが、嫌にならなければいいのだが」
少しだけ眉を困ったように寄せて頰を染め、柔らかく微笑んで見上げてくるしろがねに、鳴海は堪らず視線を外す。
「あ、そーだそーだ、皿洗ってる途中だった。終わったらコーヒー持ってくるから。あるるかんの整備して待ってろよ」
もう一度、手の置き場をしろがねの頰から頭に戻し、逃げるようにして鳴海はリビングを出ていく。その広い背中に向けてしろがねは切なげに、ふ、と溜息を吐いた。


「好き」と口にした時、心の中でどうしようもなく膨れ上がっていた「好き」の気持ちを、しろがねは言葉にして連ねた。でも、鳴海から帰って来たのは「オレも好きだ」のたった一言。
あれから時間が経った今では、疑問が湧く。自分と鳴海では「好き」の重さの釣り合いが取れていないのではないか、そもそも自分と鳴海の「好き」の質が違っていたのではないか、今の自分たちは「好き」と気持ちを言い合っただけで「付き合っている」とは言えないのではないか、そんな風に思えて仕方ない。確かに「付き合おう」としろがねも言ってないし、鳴海にも言われなかった。


しろがねにとって鳴海は、唯一無二の「好き」。
でも、鳴海にとってのしろがねは、たくさんある「好き」のうちのひとつ。


そんな気がしてならない。
だとしたら、こうして足繁く鳴海の元にやって来ることも、鳴海にしたら迷惑だったのかもしれない。しろがねはここしばらく、胸が痛い。鳴海の気持ちが良く分からない。止め処ないこの気持ちが、鳴海に届いていない気がして苦しい。
「私がまだ人形だから、ヒトの気持ちが見えないのだろうか…」
ぎゅ、と工具を握る白い手に力がこもった。







「よし、これで終わりっと」
鳴海は最後の皿を水切り籠に置くと、綺麗になったシンクを満足そうに見遣った。
「ええっと、次はコーヒーな」
カップをふたつ、テーブルに置いてドリッパーを乗せる。後は、やかんが鳴るのをじっと待つ。チリチリと呟き出しているので間もなく湯が沸くだろう。
「はあ」
溜息が出た。慌てて振り返ってみるが、キッチンには自分しかいない。溜息をしろがねに聞かれてはいないようでホッとする。鳴海は自分の手の平を見下ろした。さっきしろがねの頰が触れた場所、その滑らかで柔らかでひんやりとした感触を思い出してぞくっとする。咄嗟に、しろがねを反芻したがる手の平を拳の中に揉み込んだ。
時計を見た。しろがねがサーカスに戻る時間まであともうちょい。コーヒーを飲んでしばらくしたら、彼女は帰る算段だ。それまでの我慢。
「残り数十分、乗り切れば…」
「乗り切れば、何?」
「う、わっ」


間近に聞こえたしろがねの声に、鳴海は文字通り飛び上がった。がたたん、と巨躯に押されてダイニングテーブルが大きくずれた。
「あっ、とカップ!セーフセーフ」
「何を、数十分、乗り切るの?」
じり、と汗が流れた。そうだった、こいつは猫のように足音をさせないんだったと己の迂闊さを嘆く。
「私が、帰るまでの時間……か?」
「う…」
しろがねの表情が暗く沈む、が本当のことなので嘘が吐けない鳴海は言い繕うことも出来ない。自分の言葉が図星であると分かり、しろがねは俯いた。


「ここに来るの、あなたには迷惑だったみたいだな」
口元に悲しそうな笑みが小さく浮かんでいるのが分かる。
「ち…」
「私は…あなたに会いたかっただけなのだが……好き、と言えるようになって、あなたと近しくなれたのだと勘違いをしたようだ」
「ち、違っ」
鳴海は細い肩に手を伸ばしかけ、慌てて引っ込めた。
「違うって…」
「私は…あなたの何なのだろうか?私たちは、付き合っている、そういうものと言えるのだろうか?」
「オレぁ…そのつもりで、いたけども…」
「そう、なのか…?」
そろ、と伸びた手の平はしろがねの頭の上に乗った。その影で銀色の瞳が翳った。
「そんな風には、私には思えない…」
「し、しろがね」
「あなたが私に触れる時は、こうして頭に触れる時だけだ」
またしても図星を指され、ぎく、と鳴海の手が震える。その時、ぴいい、とやかんが鳴った。鳴海は静かに手を退けると火を止めた。
ふうっ。大きな溜息がしろがねの耳に届いた。ガタ、と椅子を引き、鳴海は腰を下ろす。彼の見るからに困惑している様子に、しろがねの胸の中が、ぐぐ、と塞がった。


「私はあなたに迷惑を掛けたかったわけじゃないのだ。すまない…だから、私は私が嫌いなのだ。私がまだ、人形だから、あなたの気持ちをちゃんと計れなくて」
「違うって!人形とか言うな!」
びく、としろがねの身体が跳ねた。急いで
「悪い、大声出して。その、オレのせいなのに、おまえにまた自分を人形とか言わせちまって…自分が情けねぇ…」
と謝る。そして、すっかり観念して話す。
「…おまえ、言ったろうが。オレがおまえを『傷つけない男だから好き』だ、って」
言ったかもしれない。あの時はとにかくたくさん、鳴海の好きなところを列挙したから、細かなニュアンスまでは記憶してないけれど。
それがどうかしたのか、という目をしろがねは鳴海に向けた。


「これ以上触ったりは、オレはおまえに無害じゃいられなくなるんだよ。だから自制してたってのに、おまえはお構いなしにペタペタペタペタ」
「どうして自制する必要がある?何故、触ると私を傷つけることになる?無害、ってどういう意味だ?」
しろがねは矢継ぎ早に質問をくれた。
「だから。触ると…その、おまえにもっと触りたくなるだろ?したら絶対ぇ…止まんねえ。オレはオレが信用ならねぇの」
「それのどこが傷つけると繋がるのだ?」
「察してくれよなァ…おまえが嫌がっても無理強いしちまう、ってコトだよ」
しろがねの頰がほんのり赤くなった。鳴海は気恥ずかしくて、人相悪く顔を顰めるとソッポを向いた。
「最初の最初で堪えねぇと、おまえが好きなオレが、消えちまうだろうが。オレは…おまえに嫌われんのァ……イヤなんだよ」


鳴海はしろがねのことがずっと好きだったから。
可愛いお坊っちゃまにしか目がいかないと思っていた彼女が、自分に対してこんなにも「好き」を抱えてくれていたと知った時、どれだけ嬉しかったか。どれだけ舞い上がったか。だから、彼女の好意をみすみす手放すような真似はしたくない。自分の中の『彼女が好きだと言ってくれたところ』を懸命に守りたいのだ。
「そんなこと…」
「おまえに…その…おまえが、オレを好きだって、オレの好きなトコをしこたま言ってくれた時から、オレの理性はぶっ飛んでんの…!」
デカイ手で顔を擦る。
「まだっ…あれから一週間も経ってねーんだぞ?それっぽっちでおまえ、手ェ、出したら、」
指の間から特大の溜息が漏れた。
「…ただの、ケダモンだぜ…」
『恋人』には順当に踏むべきステップがあると、恋愛初心者の、中身が甚く純情な鳴海は考える。まずは次の休みにデートに誘って、手を繋いで、腕を組んで、キスをするのは何度目のデートの帰りが妥当か、それが済んでから更にその先を、なんて非常にマジメに考えていた。
それをしろがねも望んでいると思っているから、不用意なスキンシップでプランを瓦解させることは鳴海にしたら一大事なのだ。
「それがどうして、私を傷つけることになる?」
なのに、しろがねが何でか分かってくれない。
「だから!歯止めが利きそうにねーんだ…」
鳴海は目を上げて、しろがねの拳に血が付いていることに気が付いた。


「おまえ、手ぇどうした?」
「え?」
言われて手を開く。不安で強く握っていた手、知らずさっきの工具ごと握り締めていたようだ。その刃先で指の根元に切り傷を作っていた。力を緩めたことで、ぶわ、と勢いよく血が流れ出す。
「バカ!」
鳴海はしろがねの手を掬い上げるとシンクへと連れて行く。その間に滴り落ちそうになった血を躊躇いなくベロリと舐めた。 温かく濡れた幅広の舌が肌を舐り、厚い唇がちゅっと血を吸い上げる。その感触に、ふる、としろがねの背筋に官能が流れた。
「ほれ、水で洗い流してろ。今、絆創膏取ってくるから」
しろがねの手を流水に突っ込んで、鳴海はキッチンを駆け足で出て行った。すぐさま救急箱ときれいなタオルを抱えて戻ってくる。
「傷口洗えたか?見せてみろ…よかった、血の割には傷は浅いぜ」
しろがねの手をタオルでそっと包んで水気を吸わせた。傷口に絆創膏を貼って「よし」と満足そうに笑った。笑って、不思議そうなしろがねの瞳に気が付いて、ナチュラルに自分が仕出かした行為に今更ながらに思い至った。
「はぁ…」
笑いがフェードアウトする。
舌に残る血の味。しろがねの味。


ボソボソと頭を掻いて、スゴスゴと椅子に戻る。丸まった背中を見送って
「分かった。私に触れると、私を傷つけることになるのだな?」
しろがねは絆創膏を指で擦りながら言った。伏目がちに憂うその表情も綺麗で、鳴海の瞳が自然と細くなる。「ああ」と答えると即座に
「なら、その根拠は何だ?」
と訊かれた。
「こ、根拠?」
「あなたには何か思うところがあるから、そう言うのだろう?それが何か、教えてほしい」
「それ、は…」
黒い魚がヒラヒラとキッチンの中を泳ぐ。
「教えてもらえないのか?」
「それは、ちょっと…」
個人的な沽券に関わる、というか、人格問題に発展する、というか…でも完全に断り切ることも出来なくて、モゴモゴと要領を得ない。
「…教えてはもらえないのか。そうか…ならば私はもう、あなたに会いには来ない」
「は?」
突然のしろがねの言葉に、鳴海は蒼然とする。


「納得が行かないもの。あなたの気持ちも、私には、見えない」
しろがねは、ふぅ、と弱弱しい息を吐くと歪んだ微笑みを口端に上せた。踵を返す。
「すまない。コーヒーはいい…帰る」
「ま、待って」
鳴海は長い腕を伸ばし、慌ててしろがねの手首を掴まえた。
「た、頼む、帰らないでくれ…」
辛抱が堪らなくなるから、今しばらく自分から触れるのはしろがねの頭や髪だけにしようとした自戒を破る。彼女の肌との温度差に、如何に自分が興奮して熱を放っているかが顕著でカッコ悪い。
でも、しろがねにこんな形で去られるのは困る。こんなに好きなのに、誤解されて嫌われるのは嫌だ。
「正直に話すから…けど、軽蔑、しないで聞いてくれる…か?」
手が震えてる。それもカッコ悪い。これから暴露する内容がもっとカッコ悪いのが辛い。
「オレ、マジで…おまえに嫌われたら立ち直れねぇから…」
「嫌いになんかならない。話して」
鳴海が掴まえているのと反対の手が、鳴海の頬に触れた。いい匂いがする。下腹に、ガツン、と燃料がくべられる。鳴海は白旗を上げて、頬に乗るしろがねの手に手を重ねた。乾く唇を何度も舐めて湿らせる。


「あのな…オレは…さ、おまえのコト、を、その、オ、ナニー、のな」
「オ」
「とりあえず、黙って聞いて…」
おうむ返しは止めて欲しい。とてもじゃないけど、銀目を正視していられない。でも眼前にあるのは彼女の豊満なバストであり、やはり目には毒にしかならない。
「…その、オカズにしてて。『好き』とかの、もうずっと前から、お世話になってんだけども…」
大きく、深呼吸する。
「おまえに告白されてから、その、頻度が…天井知らずで、よ」
我ながら、何てバカバカしいコトを必死にカミングアウトしてんだろう、と空しくなる。それも惚れた女、オカズ対象の本人に。
「オナニーでアレなら、おまえを抱いたら更に…ってコトになる。おまえが欲しいって気持ちに歯止めが利く気がまるでしねぇんだって…」


大好きなしろがね、彼女を腕にして理性なんて利くわけがない。彼女を五感で味わえたらその幸福感は如何ほどのものか、己の貧困な想像力なんて到底及ぶはずもない。動物的な本能のまま彼女に無理をさせ、抱き潰す未来しか見えない。何しろ自分は体力バカなのだ。
時間をもう少し置けばあるいはなんとかなるのかと思った。今は、しろがねに好かれている、その喜びに浮かれ過ぎて、触れても言葉にしても大爆発してしまいそうで、だから懸命に我慢していた。
「前っからそんな目で見られてた、ってのも、ヤだろ?ま…オレの根拠はこーゆーこった。支離滅裂で呆れたろ?」
こんな話を聞かされて、幻滅されないワケもない。鳴海はしろがねを捕まえていた手を解き、細い腕を解放する。そして力無く、肩を揺らした。


「私でオナニーしてたの?」
最上段から言葉を振り下ろしてくれる。きっとあのでっかい目で、目力一杯に睨んでんだろーなぁ…どうやって名誉を回復するか…と、コメカミを掻く。
「勘弁してくれよ…こんないい女、他に知らねぇし、それが惚れた女で…ソイツがオレを想ってくれてんなら」
両の白い手で頬を挟まれ、上向け、と命じられる。そろ…と顔を上げ、視線を上げ、多少の不快を訴えられることを覚悟をしていた鳴海が見たしろがねは、驚いたことにふんわりと嬉しそうに微笑んでいた。
「そうじゃない…嬉しいんだ。私を抱きたいと、あなたが思っていてくれたことが」
思いも寄らない彼女の言葉に、肩から力が抜けた。


「ナルミ…?」
そ、と唇を細い指でなぞられ、鳴海の身体はギと固まった。これまで「カトウ」と呼ばれていたものが「ナルミ」と初めて名前で呼ばれ、それもまたゾクゾクとした感動を呼ぶ。
「唇に、血が付いてる」
「そっ、そおか?」
「舐めたから」
「血が、垂れそうだったからよ」
「舐めるのは、自制しないでいいのか?」
「それは…脊髄反応に近くて…」
す、としろがねの綺麗な顔が肉薄した。そして、彼女は血で汚れた鳴海の唇をペロリと舐めた。ぞくり、と電流に似た何かが背骨に沿って駆け下り、鼠径部に熱として溜まる。舐めた距離のまま、息がかかる距離にしろがねが留まるから、ついに堪え切れなくなった鳴海はキスをした。無遠慮に彼女の口腔に侵入し、舌に舌を絡めて彼女を捕まえる。一気にキスの深度が深くなる。両腕を彼女の身体に回し、膝の上に引き寄せた。
「ハ…」
息苦しい、呼吸をする時間も勿体ない。
しろがねの手も鳴海の背に回り、シャツを握り締めた。


「完全に嫌われたかと思った」
「どうして?」
「だってよ…嫌だろ?自分をネタに何考えてくれてんだって」
ふたりして肩で息をつき、唇の隙間で囁くように会話を交わす。しろがねが、ふふ、と笑う。
「私が幾つ、あなたの好きなところを言ったか忘れたか?数え切れないくらい言った。ひとつくらい消えたところでどうと言うこともないだろう?」
「でも有限だろ?」
「それを言うなら、私があなたからもらった言葉は『オレも好きだ』の一言だけだ。ずっと心許ない」
「オレはおまえの『どこが好き』って言うより『全部が好き』なんだよ。オレのボキャブラリーじゃ言い表すのが無理だ。オレはな…おまえが嫌うおまえも全部引っくるめて、おまえが好きだ」
真正面から特大の「好き」を喰らい、しろがねはウルと銀の瞳を揺らめかせた。
「私だって…ナルミがまるごと好きだ…」
すり、としろがねが鼻先同士のキスをくれた。


「ナルミ…」
「ん?」
「私だってする…」
「何を?」
「…オナニー」
いつも取り澄ましているしろがねからの青天の霹靂カミングアウト。
「その時、私は誰を思い描いてたと思う…?」
「……オ、レ?」
「…そうだ…だから、あなたのことを嫌いになんかなるわけがない。むしろ、私以外でしてた方が嫌いになる。余所見したら、許さないから」
鳴海のシャツを握る、しろがねの拳にキュッと力がこもり、ヤキモチを焼いている細い腕に抱き締められる。堪え切れない甘酸っぱさが、鳴海の腹の中にじわっと広がった。
「……おまえなあ……可愛すぎんだよ……チクショウ…」
ゼロ距離で視線が交わる。
「余所見なんか、出来るかばーか」
もっと深く深くキスをする。誰も触れたことのない肌に触れる。
「ん…ふ…」
鼓膜を刺激するしろがねの甘い声に、理性と一緒に脳みそも溶けた。







「最後まで、しても…いい?」
耳朶を吸うと、ちゅ、と軽やかな音がした。
「うん」
「今日はもう…サーカスには帰さねぇぞ?」
「うん…」
首筋を舌で辿る。滑らかで薄い感触に、血管の蒼く透ける皮膚が溶けてしまいそうだ。紅く染まった耳朶から胸元にかけての淡い桃色のグラデーションがとてもキレイ。


「節操のねぇ男でも、嫌いにならねぇか?」
熱い手の平が、しろがねの内股をゆっくりと撫で下りて行く。濡れた指で彼女の膝裏を掬う。
「初めてなのに、キッチンっていう」
「ならない…」
彼女を欲しがる気持ちが硬く膨らみ過ぎて、一刻も早くコネクトしたくて、場所を移動することすら今は惜しい。
「後で、ベッドでちゃんとも…する、から…っ」
「…うん… …んっ…あ、あ、ナルミ」
「…っ、し、ろがね…っ…」
ギシ、とダイニングテーブルが大きく軋んだ音を立てた。
好き。
時を置かずして、テーブルの上でコーヒーカップがカタカタと踊り出した。







しろがねを相手に理性的になる、
なんてことは最初からどだい無理な話なのだ。
出来るだけ理性的であろうと努力はするけれど、ほぼ動物的な本能が勝つのは決定事項だ。
でも、それがしろがねの理想的な彼氏のあり方だそうだから、どうやら我慢はいらなかったようだ。
こうなったら欲しがるだけ欲しがって、精魂尽きるまで、愛するだけだ。
基本不器用な男ではあるけれど、それは結構、得意分野かもしれない、
と鳴海は理性と本能の狭間で思った。



End
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