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夜のブランコ
<前>
鳴海のバイトから戻る時間は遅い。
冬のこの季節だとオリオン座が空の天辺に輝いていたりする。
星座にはとんと疎い鳴海でも見つけられる、とっても目立つリゲルとベテルギウスと、オリオンのベルトの三ツ星。
オリオンが見下ろす静かな住宅街、キンと研ぎ澄まされた空気に首を縮こませながら歩く。
大きな背中を出来るだけ丸くして表面積を小さくするという無駄な努力をしてみる。
ピウウ、と音を立てる夜風が耳を引き千切りそうなくらいに凍えている。
家までの道々、鳴海は小さな児童公園の脇を通る。
シンプルな滑り台と、狭い砂場と、見るからに古びたブランコくらいしかないこじんまりとした公園。
鳴海が小さい頃から何回かペンキの塗り替えはされているけれど、何ら代わり映えもしない遊具。
この変哲もない公園を通り過ぎるとき、ツツジの低い垣根越しに公園の様子を見遣るのが鳴海の習慣。
寒空に家路を急いでいる筈の鳴海の足がゆっくりとなる。
寒さに縮んでいた首を伸ばす鳴海の視線が公園のある一点に留まる。
寒々しい灯りしか灯さない外灯の下でブランコが揺れている。
ブランコは銀色が特徴的な人物を乗せてユラユラと揺れている。
しろがねがいた。
鳴海は小さな息を吐き出すと、我知らず、目元と口元を緩ませて公園に足を向ける。
そして、白い息を吐き吐き、しろがねの隣のブランコに当たり前のように腰を下ろした。
しろがねは時に、こうやって鳴海がバイトから戻る時刻にこの公園のブランコをひとりで漕いでいる。
誰もいない、深夜の公園でブランコを漕いでいる。
「おまえも物好きだなぁ。こんなクソ寒ぃ夜にブランコ遊びもねぇだろう?」
「考え事をしていた」
しろがねはしれっと答える。
「考え事ならサーカスの寝床でだって出来るだろ?何も好き好んで身体を冷やさなくても」
「私の勝手だろう?寒いのは気にならないのだからいいではないか」
冬になってからのお決まりのやり取り。
鳴海としてみればどんなときでもしろがねに会えるのは嬉しいことだ。
いつもこんな風に自分の家路の途中の公園にいる彼女は、実は自分と会うのが目的なのではないか、自分を待っていてくれているのではないか、そんな自惚れも生まれてくる。事実、鳴海と落ち合ってしばらく話をして、そしてブランコから立ち上がると鳴海と肩を並べて鳴海は自宅へ、しろがねはサーカスへと帰るのだから。
オレとの時間を作ること、それがしろがねの行動の目的だったらいいのに。
鳴海は心の中でそう願っている。
だが、こんな遅い時間に女ひとりで出歩いて、公園のブランコにぽつねんと腰掛けていてもらいたくない、とも思う。確かにしろがねはそんじょそこらの男が太刀打ちできないくらいに強いけれど、それでも女で(それもとびきり綺麗で)、自分にとっては他に取り替えようのない女なのだから万が一の危険、ってことがゼロではない以上、大人しくしていてもらいたい。
「放っておいてくれ」
しろがねは勢いよくブランコを揺らした。大人しく、と言っても大人しくしているようなタマではない。
鳴海も体型がコンパクトだった昔のように、今のしろがねのように勢いよくブランコを漕いでみたいと思うけれど、自分の目方にこのブランコの鎖が耐えられないかもしれないので、地面に足の裏をつけたままキイキイと軽く揺らすだけに留める。そうでなくともこの長い脚は子ども用のブランコには向かない。
ふたりでブランコを揺らしながらする会話は勝のことだったり、サーカスの番組のことだったり、今日の他愛のない出来事だったりで特別なことなど何もない。鳴海は色気のない内容に終始してしまうことが歯痒い。しろがねが白い顔の奥で自分のことをどう思っているのか訊いてみたいのは山々だけれど、そのせいでこの微妙な友達関係が崩れてしまうのが怖くて訊けない。自分の想いが透けてしまった途端、「あなたは私をそういう目で見ていたのか」、としろがねに白い目で見られてしまいそうな気がして必要以上に友達を強調してしまうのだ。
しろがねは出会った頃と変わらず、鳴海に素っ気無い。
すぐに怒るし、勝のことばかりエコヒイキするし。
ちょこっとでも、女の子らしい反応ってヤツをオレにも見せてくれたらな。
少しはオレだって、出方を変えるのにな。
自分の方から態度を変えて、しろがねに怪訝そうな瞳を向けられたりしたら再起不能になりそうだ。
他愛のない会話をしながら鳴海はチラリと視線をしろがねに向ける。
そしてブランコの鎖に絡みつくしろがねの細い指にはまる指輪を見つけて、眉間に深い皺を刻んだ。見たくもないモノに限って目に入っちまうんだよな、としろがねに気づかれないように舌打ちをした。
しろがねがその左手の薬指に指輪をはめるようになって、かれこれ1ヶ月になる。
鳴海を含めたサーカスの男連中の間では「誰からもらったんだ」「誰があげたんだ」と、お互いに疑心暗鬼になっている。指輪をあげたのが誰であるにせよ、サーカス内での関係悪化を避けるために『しろがねとそういう間柄になった』ということは絶対に秘密にする筈だからだ。仮にそれが鳴海自身だったとしてもそうするだろう。
その指輪は非常に安っぽい指輪だった。アクセサリーなんてものにどだい縁のない鳴海ですら「安っぽい」ことが一目で分かるくらいに安っぽい造形の指輪だった。オモチャみたいだと思った。針金のようにツヤのないリングに、ちゃちい花のモチーフがくっついていて、ダイヤというよりはガラス玉にしか見えない光の鈍い小さな石がついている。
オモチャにしか見えなかった。でも、細いしろがねの指のサイズにピタリと合っているのだ。
店頭には置かれていない、注文しないとないサイズだろ?
しろがねの指ってそれくらい細いんだぞ?
鳴海は、そりゃああげる予定なんてないけどさ、と分かっていながらもジュエリーショップを覗いたことが一度ならずある。何かの話の折にしろがねの指のサイズを知ったからだ。『こんなに小さいのにこんな値段なのか』と【市場調査】をしながら、『これが一番しろがねに似合うかも』という指輪を店員に出して見せてもらったこともある。しろがねの指輪のサイズを伝えたら「そのサイズはどれも発注しないとありません。店頭にはないですよ」、と言われて買わない口実ができてよかった、なんて思ったものだ。
だからこそ、指輪のサイズがしろがねに合っている、というのが誰かがちゃんと用意したものであり、その安っぽさが金のないサーカス連中の買った証拠になるのではないか、というリアリティが感じられて、しろがねの指にはまる指輪を見る度に鳴海はとても嫌な気分になるのだった。
その指輪はオモチャにしか見えない。その指輪はしろがねという女には似合ってない。
それ、誰にもらったんだ?
そう訊けたら楽になれるのに。
いや、そうか?知ってホントに楽になれるのか?
知らない方が平和でいられるんじゃねぇのか?
分からねぇ。
自分じゃない男がしろがねに指輪を渡し、しろがねはそれを身につけた。
その事実が鳴海を苦しめる。寒空にバイト帰りのオレを待っててくれている、そんな風に考えていた自分の自惚れが嫌になる。しろがねが夜のブランコを漕いでいるのは本当に考え事のためで、もしかしたら指輪の相手に想いを馳せているかもしれない。ブランコを漕ぐのをやめたしろがねが愛おしそうにその指輪を撫ぜていたりするのを見ると、それはもう鳴海の心の中は嫉妬でささくれ立って、ただでさえ乱暴な口調が更に乱暴になるのだ。
オレじゃねぇ男からもらった指輪を大事そうに触るなよ。
指輪をその男に見立てて愛撫しているみてぇじゃねぇかよ。
オレといるときは、そんな指輪、外せよ。
鳴海はしろがねのことが好きだった。
初めてサーカスのテントで会った、あの時から一目惚れをしていた。
一筋に、しろがねのこと想っていた。
しろがねは万事が万事あの調子なので、いつか時が熟す時も来るだろう、と悠長に構えていた。自分に色よい返事を返さないのだとしても、それは他の男も同じだと気長に構えていた。でも、いつの間にか、しろがねの指は誰かに繋ぎとめられていた。
オレは。
オレは、ずっとずっと、しろがねを愛していた。
だのに、オレの知らない間に、誰かがこいつを抱き締めているんだ。
オレだって、こうやって、しろがねを抱き締めたかったのに。
こうして、こいつの柔らかさも、温もりも、こいつの何もかもを抱きとめてやりたかったのに。
辛い過去も、隠された本名も、オレだけが知っているものだと勝手に思ってた。
だけど、こいつには他に好きなヤツがいる。
きっとそいつもオレが知っていることを知っているだろう。
しろがねと秘密を共有しているのはオレだけじゃなかった。
こうして抱き締めるのはオレだと思っていた。
こうして、抱き締めるのは。
バカだな、どんなに寒いのが気にならないっつったって……こんなに身体が冷え切ってるじゃねぇか。
手だって指だって氷みてぇじゃねぇか。
こんなに…冷たく…。
え?こんな?
なんてリアルな抱き心地のする妄想だろう?
「は?」
「……」
妄想じゃなかった。
我に返ると、拳ふたつ分先にしろがねの顔があった。しろがねはすっぽりと鳴海の腕の中に納まっていた。鳴海は、しろがねを現実に抱き締めてしまっていた。指輪のついた左手を握り潰さんばかりにギュウと掴んで。ぼふん、と一気に脳ミソが煮える。
「あ、あ、あ、あれ?オレ、何した?」
「えっ、えっと…急に私の手を掴んで、指輪をじっと見たかと思ったら…その、いきなり、抱き、締め、て…」
「抱き…え?」
「カ…カトウ…あの…」
首を直角に曲げて鳴海を見上げてくるしろがねの瞳は驚くほどに大きくてまん丸だった。映り込んだ月がウルウルとユラユラと、揺らいでいた。
いつまでこうしているつもりなのか、と言われているような気がして
「あ、いやッ、これはそのッ!」
鳴海は慌てて腕を解いた。しろがねの銀色の瞳が無言で鳴海を追いかけてくる。その瞳が、鳴海の突然の所業に単に驚いているだけなのか、それとも幾ばくかの非難がこめられているのか、それがどうしても分からない。顔色も、外灯が暗すぎてよく分からない。
鳴海は堪らずに背中を向けた。
しろがねには指輪を贈ってくる相手がいる。
しろがねはそのオモチャみたいな指輪を後生大事につけている。
そんなしろがねに想いを告げたって迷惑なだけだろう?
想いの吐露はこの味気ない『友達』という関係すら壊しかねない。
それだけは避けたいと思った。
「ま…間違えた、すまん!間違えた、オレ!」
咄嗟に鳴海の口をついたのは「間違えた」という言葉だった。