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夜のブランコ
<後>
それからしばらく、鳴海がバイト帰りにしろがねに会うことはなかった。
何となく、罰の悪くなった鳴海が帰るルートを変えていたからだ。自分の中では「コンビニに用事があるんだからしょうがないよな」と言い訳をつけて回り道をして帰った。別に読みたくもない雑誌の立ち読みをしたり、牛乳でも買うかと手を伸ばしては冷蔵庫にまだ2本もあることを思い出して止めたり、そんな程度の用事でコンビニに寄っていた。
実際は、しろがねのいない、空っぽのブランコを見るのが嫌だったからだった。しろがねは絶対に自分のことを怒っていると鳴海は信じて疑わない。いきなり、あんな風に、好きでもないヤツに抱き締められたら誰だって嫌だろう?自分には彼氏もいるのに。身の危険だって感じたかもしれない。
あの晩、あの後、しろがねが口を開く事はなかった。何かを言いたげな風ではあったけれど、会話は生まれなかった。百歩譲って怒ってはいないにしても困惑している可能性は大いにある。
あの銀色がいるかもしれないという期待が外れるのが嫌だった。
しろがねに変な態度を取られるのも嫌でサーカスにも顔を出さなかった。しろがねは自分に抱き締められたことを絶対指輪の贈り主に伝えたに違いない。だから、サーカスの男連中の誰かに嘲笑われているような気がして行くにも行けなかった。
自分が自惚れ屋の臆病者だってことは百も承知だった。
さすがに。
ほとぼりが冷めただろう数日後、鳴海は帰り道を元の公園脇通過ルートに戻した。コンビニ通過ルートは正直遠回り過ぎるのだ。鳴海はいつも通り、冷たい空気に身を縮こませながら歩く。公園を通りかかって歩みがノロくなるのもいつも通り。鳴海の顔の周りが白く大きく霞んだ。
ブランコに銀色が揺れてなくてももう平気。
平常心でいられるだけ色々考えることは考えた。
平気、平気、どうってことねぇ。
「よし」
気合を入れて、鳴海は目を上げる。ブランコを見る。
いないって分かってるんだからいないのに傷つくことはねぇ!
すると、驚いた。
銀色の髪の女が静かにブランコを漕いでいるではないか。
いないと思っていたモノがいたりすると、今度はそれに対してどうしていいのか分からない。心臓は…やたら元気よく走りだしたようだけれども。
「何でいるんだよ…」
オレに抱き締められてもしろがねは嫌じゃなかったのか…?いや、違う。最初からオレは物の数に入ってねぇんだ。あれが冗談になるくらいの、友達、だったってことをオレは忘れてた。
バカだなぁ、オレ。
どうしょうもないくらいの自惚れ屋の臆病者だなぁ。
鳴海は自分を鼻で笑って、足をブランコに向けた。
「よう…ちょっと久し振り」
しろがねの隣のブランコに腰掛けながらかけた、極力明るめの鳴海の声にしろがねは短く、「ああ」、とだけ答えた。しろがねは視線を自分のつま先に向けたまま。左手の薬指には相変わらず、あの安っぽい指輪。
鳴海は間が持たず、長い脚が邪魔で漕げないブランコをわざとガチャガチャ言わせてみる。
「最近、何やかやと忙しくてさ、ヒマがなくて、上がりの時間も押したりして…」
訊かれてもいない言い訳をしてみる。
「……」
「……」
案の定、何だか気まずい。こんな時は謝ってしまうに限るだろう。深刻な方向に行かないように努めて明るく。
「あの、さ、しろがね。この間はすまん、抱きついちまって。あの時はさ、ちょっと考え事にはまって…気がついたらその…えっと」
「間違えた」
「そうそう」
鳴海はそう言って誤魔化したのだった。
明るく、明るく。
でも、しろがねの指輪を撫でる仕草が鳴海の気を塞いでいく。
何のためにオレは明るくふるまってるんだろ?
黙り込んだ鳴海がブランコの下にできた窪みを踵で更に深くしていると
「訊いてもいいか?」
としろがねから話しかけてきた。
「何を?」
鳴海はゲシゲシと地面を蹴るのを止めない。
「ずっと訊きたいことがあった。あなたは何を、間違えたのだ?」
「な」
足に変な力みが入ったせいか、地面に当たったスニーカーが脱げて柵の辺りまで飛んでいってしまった。
「何って…」
答えに窮した鳴海は「今は答えていられねぇなぁ、スニーカーが脱げたし、ほら」みたいな態度をとりつつ、ケンケンで靴を迎えに行き、そのまま柵に腰掛ける。しろがねは畳み掛ける。
「私と、他の誰かを間違えた?」
「誰かって?」
「例えば…あなたの好きなヒト」
「す、好きなヤツなんていねぇよ、好きな、ヤツなんてよ…」
スニーカーの紐を解きながら、懸命に誤魔化す。
「では、何を間違えた?」
「何…」
「では、この指輪のことか?」
「指輪…?」
しろがねが何を言いたいのかが分からない。鳴海はしろがねの指にはまるオモチャみたいな指輪を苦々しくみた。しろがねはそんな鳴海の表情に眉を顰める。
「あなたはあの時、この指輪をそんな風にじっと見ていた」
鳴海はしろがねの視線に気づき、頭をガリガリと掻きながら苦笑した。
「それ…ずい分、大事そうにつけてるよな」
鳴海は靴に足を突っ込んで、ユルユルと紐を結ぶ。しろがねを見ないで済むから結んでは解くを繰り返す。
「ああ」
「そんなに大事、か?」
「ああ」
「オレには…オモチャみてぇに見える、その指輪がそんなに大事か…」
鳴海は唇を噛んで胸に痞える不安が飛び出そうになるのを堪えた。
「オモチャみたい、じゃない。オモチャだぞ、これは」
「は?」
しろがねの言葉に鳴海は思わず顔を上げる。しろがねは指輪が見えるように手の甲を鳴海に向けた。
「子どもの、オモチャ。そのものだ」
やっぱりな、と思う。同時に尚のこと、そんなオモチャをしろがねが肌身離さずつけている理由が知りたいと思った。
「笑われてねぇか?その…ヴィルマやリーゼに。野郎どもにゃ分からんでも女には分かんだろ?」
しろがねは何かを思い出したのか、くすり、と淡く笑った。鳴海が見とれてしまうくらいにきれいに淡い微笑みだった。
「ヴィルマには笑われてるさ、バカだね、って…リーゼには、その気持ち分かりマス、って言われたが」
それなのに
「何で…そんなオモチャを後生大事につけてる?」
しろがねにそんな顔をさせる男が心底憎らしかった。
「…それは私の想う人からもらったものだから」
「……」
しろがねがあまりにもキラキラと澄んだ瞳できっぱりと言うものだから、鳴海はもう絶句するしかなかった。しろがねは頼りない外灯の光にも分かるほどに頬を上気させている。
「いいんだ、オモチャでも。指輪は指輪だ。私は私の好きな人からもらったのだ。身に着けていたいではないか」
しろがねにそこまで言わせる男が本当に憎らしかった。
鳴海はもう、なりふり構わず、それが誰かしろがねに訊こうと心に決めた。
訊き出したら絶対にそいつをシめてやる!
「で…誰?」
「誰?」
しろがねもヒトが悪い。聞き返すことねぇじゃねぇか。
「その……そのオモチャの指輪をくれたっての…ノリさん?」
「は?」
見っとも無いヤキモチを焼いている自覚があるんだからいちいち聞き返すのを止めて欲しい。
「だからその…オモチャの指輪しかおまえにやれないってのはよっぽどの経済力のなさが垣間見えるわけで、そんな男っつったらサーカスの連中しか今のところ思い当たらないわけで、その」
「あ、あなたは誘導尋問を私に仕掛けていたのではなかったのか?」
しろがねはババッと両手で顔を覆った。
「な?誘導尋問って何?」
鳴海は何のことか分からない。
「気づいてなかったのか、あなたは…」
「何だよ?何のことだよ?」
「何で、私が指輪を、誰からもらったのか気になるのだ、あなたは?」
「何でってそりゃあ…、おまえのことが好き」
鳴海は慌てて口を手で押さえた。
「す?す、何だ?」
しろがねがまん丸の銀色の瞳でじっと見つめてくる。鳴海は脳ミソが煮えるのを感じ、
「何でもねぇっ!」
と真っ赤な顔で言い放った。そして照れ隠しのためにドカドカとしろがねの前に立つとワザと強気に
「おい、訊いてんのはオレだぞ?早く答えろよ、誰からもらったのか」
と詰め寄った。でもしろがねは
「内緒。教えてあげない」
と不敵に口角を持ち上げただけ。打って変わって表情が何だか明るい。
「なんっ」
「内緒」
「どうして?」
「離れろ、危ないぞ!」
しろがねは勢いよくブランコを漕ぎ出す。気分良さそうに。
「おいったら」
「思い出すまで教えない!」
ある日のサーカスの買い物帰り。
しろがねと鳴海が連れ立ってスーパーを出ようとしたところ、小さな男の子が泣いていた。そんな子どもを放っておけないだろうな、としろがねが思った通り、鳴海はたくさんの買い物袋ごと男の子に近づいていく。
「よう、ぼうず。何泣いてんだ?どうした転んだのか?迷子か?」
鳴海は大きな身体を小さく小さくして男の子の前に屈みこんだ。
「ま、間違えちゃったの」
男の子の手の平にはガチャポンの丸いボール。
男の子はどうしても欲しいガチャポンがあって、母親に頼み込んでようやくもらった百円でやったはいいけれど勢いあまってガチャポンを間違えてしまったのだ。男の子の持つガチャポンは見るからに女の子向けのもの。
「ママにせっかくもらったお金なのに」
「そーかそーか。ぼうずのやりたかったのはこっちのガチャポンか?」
男の子がコクンと頷く。鳴海はジーンズのポケットから100円玉を取り出すとガチャポンを回した。
「ほれ」
鳴海は男の子に丸いボールを差し出した。
「こっちの女の子用のはな、オレの後ろにいるお姉ちゃんが欲しかったヤツなんだ。だから交換こしようぜ?」
鳴海は人懐こそうにニッと笑う。
「おい、私は別に…」
「うん!ありがとう!」
男の子は本当に嬉しそうで。ニコリと笑って母親の元に駆けていった。
「ほれ。やるよ」
立ち上がりざま、鳴海がしろがねに丸いボールを放り投げる。
「な、いらないぞ、私はこんなオモチャ!」
しろがねは何だか気恥ずかしい。
「ま、いーじゃねぇか。【女の子】用なんだから。そんなんでもおまえは【女の子】なんだろ?」
「女の子…って…」
しろがねは何が恥ずかしいのかよく分からないけれど、恥ずかしかった。
「オレが持ってたってもっとしょうがねぇだろ?滅多にねぇオレからのプレゼントなんだからありがたくもらっとけよ」
「プレゼントも何も、100円だろう?」
「金額じゃねぇの。心だろ」
「これにあなたの心がこもってると」
しろがねが傍らの大男を見上げて尋ねる。鳴海は大きな手の平でしろがねの頭をかいぐりしながら
「そういうこった」
と笑った。
「ふうん」
しろがねは目を細めて手の上のプラスチックボールを見遣る。クリアな部分から、小さなリングが見えた……。
鳴海は「オレの心がこもっている」みたいなことを口にしたけれど、ガチャポンの中身を知らないのだから、そこに特別な意味などないことはしろがねだって分かっていた。例えそれがオモチャでも指輪だと知っていたら、鈍いことに定評がある鳴海といえど男が女に指輪を贈るということに含まれるニュアンスくらいは嗅ぎ取るだろう。そうしたら、あんなに気軽に「心がこもってる」などとは言わないはずだ。
だけど、分かってはいても、しろがねは鳴海に手渡された指輪というものに【女の子らしい】夢を見てしまった。柄にもないと自分を揶揄した。けれど、嬉しいものは嬉しかったのだ。
100円のオモチャの指輪、鳴海はそれをあげたことに気づいてない指輪。
それでもしろがねにとっての宝物だった。
それくらい、鳴海のことが大好きだった。
鳴海がいきなり抱き締めてくれたときには本当に幸せだった。抱き締める前に、鳴海は指輪を見つめていたから自分の想いに気がついたのかもしれないと思った。あの時のプラスチックボールの中身がこの指輪だったことに気がついて、それをつけている自分の気持ちに応えてくれたのだと思った。
けれど違った。
鳴海は「間違いだ」と言ったのだ。
一体、何を間違った?
一体、何が間違いだった?
しろがねはずっとそれを鳴海に訊きたかった。だから翌日からも毎晩、このブランコで待っていた。
でも、鳴海は次の日からこの公園を通らなくなってしまった。
私を誰か他の女のヒトを間違えたの?
それとも、指輪だとは知らなかった、それを意味深につけていることが間違ってる、そう言いたかったの?
しろがねは苦しんだ。
苦しみながらずっと、夜のブランコでひとり、鳴海を待っていた。
鳴海が来なくても、毎夜毎夜、寒空に待っていた。
「なぁ、思い出すって何をだよ?」
公園を出てからの帰り道々、鳴海はそればかりを繰り返す。
「内緒、って言っているだろう?しつこいな」
しろがねはそんな鳴海を軽くいなす。さっき確かに鳴海は「おまえのことが好き」と言ったのだ。本人は誤魔化せたつもりでいるようだが、しろがねはしっかりと聞いたのだ。だから今は余裕綽々で鳴海をかまう。
「でもよう…」
思い出すにしても何を思い出すのかが分からないわけで、せめてそのヒントをくれたら…と、大きな犬のようにまとわりついてくるこの大男は私のことが好きで、この指輪を私が他の誰かからもらって大事につけていると勘違いしているのだ。そう思うとこみ上げてくる笑みを噛み殺すのに苦労する。
鳴海が私を好きでいてくれた、その事実が泣けてくるほどに嬉しい。
「おまえに指輪を寄越した男とオレの記憶、どこに何の接点があるんだよ」
「教えない」
鳴海が自力で思い出すことは難しいだろう。だからいつか自分が教えてあげることになるんだろうな、としろがねは分かっている。
でも。
「なぁってば。何かヒント」
しばらくは
「教えてあげない」
意地悪するのは可哀想かもしれない。でも私だって答えのない問いを抱えたまま、悩んだのだから。あなたが来るのをずっと待ってたのだから。
夜のブランコで。
End