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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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鳴海の軽井沢生還ベースのパラレルです。



 

婀娜めく椿、酔う鯨

 

 

 

 

 

前編

 

 

 

夕飯の膳も整えた時分、鳴海が玄関の戸を開けると、銀色の髪や細い肩に淡雪を載せたしろがねが立っていた。しろがねが、今から行く、なんて連絡の一言もなしにいきなりやってくるのは鳴海にとってはもう慣れっこだったから、そしてそんな自分を鳴海が文句も言わずに上げてくれるのもしろがねにとっては当たり前のことだったから、扉が開いた途端にしろがねは家の中に足を踏み入れ、鳴海は彼女の背後で玄関を締めた。

「雪、降り出したみてぇだな」

いらっしゃい、もなく、鳴海はしろがねの身体をパパパと叩いて雪を落としてやる。

「はい、おみやげ」

鳴海の問いは自分を見れば答えが分かるのでそれについての返事はしない。その代わりに、しろがねは鳴海の手元に押し付けるようにして一枝の花を手渡した。枝には赤い椿が二輪。鳴海が受け取ったその花もまた雪の融水に濡れている。

「おみやげ、ってこれ、ウチの垣根に咲いてた椿じゃねぇのか?」

「きれいだろう?あなたに見せてやろうと思って取って来た」

「他所でやったらおまえ、そりゃ花泥棒って言うんだぞ?」

「花は愛でるものだろう?」

「ウチのだけにしとけよ」

「分かった。いい匂いだな?夕飯は何だ?」

しろがねは鳴海の話を聞いているのかいないのか、トタトタとリビングに向かう。ぴんしゃんと伸びた背筋を見送って、鳴海は「しょうがねぇな」と吐息した。とはいえ折角の椿なので、花瓶に刺すことにする。



「湯豆腐だけど、食ってくか?」

「いいな。もらう」

鳴海はいつも一人でも二、三人分作るのが常だからこうやって夕飯時にしろがねが突然来てもあまり困らない。どうせしろがねは猫が食べるくらいしか食べない。

鳴海に続いて、しろがねも台所に入った。椿を水切りしようとする鳴海の後ろで冷蔵庫を覗く。

「この間の酔鯨、まだ残ってるか?」

「オレが飲むわきゃねぇだろ、日本酒なんてよ」

下戸には一番縁のないシロモノ。鳴海は花器に簡単に生けた椿をダイニングテーブルに置いた。

「飲まないとは思うが、あなたは調理用酒に使ってしまいそうだから。酒の価値が分からなくて」

「それは有り得るな」

しろがねは「これこれ」と微笑んで足で戸を閉める。

「おい、行儀悪いな」

「気にしない、気にしない」

しろがねが次に向かうのは水屋。しろがね用の皿や箸を用意している鳴海の懐にもぐりこみ、勝手知ったる場所からひとつのぐい呑みを取り出す。

「酔鯨にはこれに限る」

「ずい分日本酒に味をしめたもんだな、ワイン一本槍だったのに」

「いい日本酒は水のようで美味しいって分かったから…」

しろがねの目下のお気に入りの銘柄は【酔鯨】。

「それに湯豆腐なのだろう?日本の料理には日本の酒が合う」

「それは一理あるかもな。その土地の料理にはその土地の酒ってゆーし。ま、オレは酒は飲まんから理解はできんが」

ふたりは並んでリビングに向かう。しろがねの手には日本酒、鳴海の手には椿。

「椿も持っていくのか?」

「花は愛でるものなんだろ?」

誰もいねぇとこでひっそりと咲かすのも可哀想だろ、鳴海は可笑しそうに笑った。

 

 

ほこほこと湯気の立つ鍋を挟んで座る。サイドボードから椿がそんなふたりを見下ろす。鳴海がとんすいに豆腐やらをすくってしろがねに手渡してやった。

「ありがとう」

「タレは好きにかけて食え」

鳴海の指差す辺りには薬味やら紅葉おろしやら鰹醤油やら。

「ん、いただきます」

しろがねは自分の好みにトッピングをすると、口の中が火傷しそうなくらいに熱々の豆腐を食べた。とても柔らかくて、震えるようにして舌の上に溶けていく。

「もしかしてこの豆腐、あなたの手作り?」

「分かるか?おまえにはちょっとゆるかった?」

「ううん。ちょうどいい。美味しい」

「そっか。よかった」

鳴海は嬉しそうに笑うと自分にも豆腐を掬う。

「本当にあなたは食べ物にかける情熱がすごいな」

「無添加だし…それに作りたての方が美味いからな」

見栄えを気にしなきゃ豆腐を作るのそんなに難しくないんだぜ?しろがねは鳴海の笑顔を肴にしつつ、ぐい呑みに酒を注ごうとした。

「おいおい。手酌ってのは味気ねぇだろ?注いでやるよ」

「手酌の方が気楽だぞ?」

「いいの」



鳴海は鍋の上に長い腕を伸ばし、しろがねから酒瓶を受け取るとぐい呑みにとくとくと注いでやった。ぐい呑みになみなみとする研ぎ澄まされた香りにしろがねは細目になった。熱燗とか温燗とか他に飲み様はあるけれど、しろがねはとにかくキリリと冷やして飲むのが好きだ。馥郁たる香りを放つ液体をコクリと喉に通過させる。

「おまえはこのぐい呑みがホントにお気に入りなんだなぁ。いっつもコレじゃねぇか?」

口辺を鉄釉がぐるりと縁取るぽってりとした形のぐい呑み。これは元々この家に住んでいた鳴海の祖父のケンジロウが使っていたものだ。鳴海の記憶の中にもこのぐい呑みで酒を飲むケンジロウの姿がある。酒の苦手な鳴海にはこの飾り気のない地味なぐい呑みの何がいいのか、さっぱり分からない。しかも、それはとても古くて、欠けた飲み口が接いであったりするのだ。

「年代モノには違ぇねぇだろうが」

「皮鯨。って言うのだそうだ」

しろがねは酒を呷るとその空になったぐい呑みの造形の美しさや手触りの温かさを楽しんだ。

「皮鯨?」

「このぐい呑みのこと。法安さんが教えてくれた。この色味が鯨の皮身に似ているからそういう名前なのだと」

「あーそう言われれば似てるかもな」

しろがねは皮鯨を差し出して酌を催促する。

「法安さんも酒飲みだからなぁ。そういうの詳しそうだ」

皮鯨が透明な液体で満たされる。



「あるヒトのおじいさんが使っていたもので、口辺の欠けたところを金で接いであった、愛着を持ってたものらしいと言ったら、もしかしたらとても価値のある皮鯨かもしれない、と。是非、譲って欲しいって言ってたぞ」

「へぇぇ…そんな小汚い小せぇモンがなぁ」

鳴海は、酒飲みの価値観ってよく分からん、と唸り声を上げた。

「私は好きだぞ、この程よい重みと感触が。とても男っぽくって」

「男っぽくて好き?」

鳴海は言葉尻にぴくりと反応してしろがねの様子を窺った。彼女は皮鯨を唇に当て、くちづけをするかのように感触を味わっている。

「法安さんには申し訳ないがこの皮鯨は譲れない。カトウの家のものだとは教えてあげない」

しろがねは手の中の皮鯨をどことなくうっとりと眺めている。何となく、鳴海の目元も口元も緩む。

「しろがね。おまえはそんなに気に入ってるのか、それ」

「ああ、とても好き。とてもきれいだから」

雪のようにすぐ消えてしまいそうに淡く、しろがねは微笑んだ。彼女自身は笑っていることを自覚しているか怪しいけれど、とてもきれいな微笑み。鳴海もどこか満足気な顔になって

「オレの嫁さんになる女のものになるぞ、その皮鯨。どうだ?」

なんてことを冗談めかして言ってきたので

「いいぞ。あなたの妻になろう」

と、しろがねは即答した。

「……」

しろがねの素直な返事に鳴海からの更なる反応はない。

「豆腐、よそろうか?」

「…ああ、頼む」

話題が変わる。

「顔が赤いぞ?どうかしたか?」

「…鍋の湯気に当てられてんだよ」

ほれ、と目を合わそうとしない赤い顔の鳴海がお代わりを差し出した。

何で私の答えに無反応なのか。冗談に冗談を返した形になってしまったからなのだろうか?私は結構頑張っていると思うのだがな…。

しろがねはお代わりの豆腐が湯気を上げるとんすいを受け取りながら、口の中で呟く。箸にくっついた鰹節を齧った。

 

 

ふたりの食事は進み、しろがねの酒も進む。

「程々にしとけよ?」

「皮鯨で酔鯨を飲む。何だかいいな」

ほんのりと頬が染まって、大きな銀の瞳が潤んで。しろがねを見る鳴海の瞳が眩しそうに細くなる。

「鯨繋がりだな。おまえ鯨が好きなのか?」

「好きか嫌いか、と訊かれたら好きだな。大きな生き物は好きだ。雄大すぎて途方もなくて」

「ふうん」

鳴海が大きな豆腐の塊を口の中に放り込んだ。

「あなたも大きな生き物だな。鯨に似ているかもしれない」

「……」

しばらく待ってみたもののまたもや返事がない。どちらかというと通常の鳴海は必要以上に話しかけてくる男なのに、しろがねが特に返事を欲しいと思う時には無口になる。

どうしてなのだろう?鯨=好き=カトウナルミ、なのだけれども。鳴海にとってはしろがねという女からのラブコールは冗談の範疇に入ってしまうのだろうか?それとも鈍い鳴海にはこれでも遠回し過ぎたのだろうか?いやいや、大きな豆腐が熱くて、それをどうにかするのに一生懸命で聞こえなかったのかもしれない。

本当に私は頑張っていると思うのだけれどな。どうして伝わらないのだろうか?

私、に問題があるのかもしれない。アプローチが弱いのかも。

とりあえず沈黙も何なので、今度はしろがねが話題を変える。



「これでアテも鯨だったら、言うこと無しに鯨尽くしなのだが。くじらのたれ、とかくじらベーコン、とか」

「くじらのたれ、なんてよく知ってるな」

「あなたが前に食べさせてくれただろう?お隣のおばさんからお土産をもらったとかで、『これは日本の食文化のひとつだ、食え』とか言って」

「そう言えばそんなこともあったなぁ」

鳴海は長い黒髪を揺らす。しろがねは皮鯨の中に映る銀色の瞳を見つめながらポツリと言った。

「…私はあなたには色々なことを教わった。私は本当に何も知らなかったから。本当に、生きた人形だったから…」

楽しいことも嬉しいことも、自分を大切にすることも、自分以外の命を愛おしいと思うことも、淋しさを打ち消してくれる温もりも、誰かを想いの丈を振り絞って愛することも、皆皆、あなたが教えてくれた。幸福がどういうものか、あなたを前にして、私は実感する。

「まぁたそんなことを言う。おまえはオレが初めて会った頃だってちゃんと人間だったよ。人形なんかじゃねぇ」

鳴海はしろがねに「もうそれ以上は言うなよ」と、めっ、と目つきで知らせる。しろがねは言葉にはせずに、それが鳴海に伝わってはいないだろうがと思いながら「あなたのおかげで、今はもう自分を人形だなんて考えてない」と瞳で語った。

 

 

「でもそれ何年前の話だよ?おまえ記憶力いいなぁ」

「何年…か」

しろがねはくすりと頬を緩めた。

「あなたと私、出会ってもう何年になる?」

「そうだな…」

しろがねに言われ、鳴海は指折り数字を数える。

「えー何だ…勝が今年、大学受験だから…6年?7年…」

「もうそんなになるか」

「早ぇなぁ」

「早いな」

お互いに感慨深げな口調になる。

「勝は頭がいいから心配ないだろ。どこの大学だって受験勉強無しで入れる。つーか、引く手数多じゃねぇのか?」

「仲町サーカスも所帯が大きくなってきたからな…仲町の今後のことを考えても経済や経営、税法などを把握できる人間がいた方がいいからと仰っていた」

「へぇ」

「人間心理も並行して学べたら…なんてことも。お坊ちゃまはマネージメントに向いているとリングマスターも言ってたし」

「へへ、すげえなあいつ。勝が本気出したら仲町サーカスはとんでもねぇことになりそうだ」

「きっともっと、仲町サーカスは大きくなる」

「勝は…」

鳴海はそこで、言葉を切った。

「…オレたちって勝の話題が多いよな、いつも」

「そうだな…出会った頃から変わらないな、それは」

「あんなチビ助がいっぱしのことを考える大人になった…要は、オレたちも付き合いが長い、ってことだよな」

「本当に」

クツクツと鍋が歌う。鍋の歌に合わせて踊る豆腐に自然と目が止まる。しろがねの唇に触れる皮鯨。豆腐から顔を上げると、鳴海の厚い、男らしい唇がそこにあった。

あなたの唇の方がこれよりもずっと、私の唇に触れたらしっくりくるのではないかしら?

しろがねはそんなことを考えた。


 

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