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桜文字。
見頃も過ぎ、萌黄色の葉が目立ち出した桜の木の下でリーゼがしゃがみ込んでいる。地面の上で手を動かしているようにも見えるが、ここからでは何をしているのかよく分からない。
しばらくそうしていた後、リーゼの口元がにっこりと持ち上がった。
しゃがんだままの姿勢でも、立ち上がってからも、足元を満足げに眺めている。
と、そこに勝がやってきた。
リーゼは足元の何かに夢中で、肩を叩かれるまで勝の来訪に気がつかず、文字通り飛び上がった。
勝は「何をしてたの?」とリーゼの足元をのぞきこもうとする。
リーゼは「勝サン、見ないデくだサイ!」と言った模様。
わやわやと慌てるリーゼの阻止は間に合わず、勝は『それ』を見た。
見る見るうちに赤くなるリーゼと、そんなリーゼに笑顔を向ける勝もまたちょっとほっぺが赤くって。
それから2、3、会話を交わし、ふたりは手をつないで楽しそうに歩き去った……。
リーゼが勝と立ち去った後に、しろがねがやってきた。
しろがねは少し離れた場所からリーゼの一部始終を見ていた。
しろがねもリーゼに何をしているのかと声をかけようかと思ったのだけれど、彼女の作業の邪魔をしてはいけないような気がして、そして勝との様子から声をかけなくて正解だったのだ、と結論づく。
「それで、結局、リーゼさんは何をしてたのでしょう……?」
リーゼがしゃがみ込んでいた場所、そこに残るものにしろがねの頬も緩む。
芝生の上には桜の花びらで書かれた文字。
さ
い
が
ま
さ
る
リーゼの大好きな男の子の名前。
心ない風にいくらか散らされてはいたけれど、容易に判別できるくらいに上手に書かれた桜の文字。
「想う人の名前を、桜の花びらで綴る、か。少し少女趣味ではないか?リーゼさんたら…」
ああそうか、リーゼさんは現役の女の子だから少女趣味でも構わないのか、と思い至る。
「想う人の名前…好きな、ヒト…」
桜の文字を見つめながら、しろがねは自分の中に自然と浮かんだ誰かの名前のことをじっと考えた。
リーゼの書いた文字はしろがねの視線の先で、風が無情にも、少しずつ判別不可能にしていった。
しろがねはリーゼを真似てその場にしゃがみ込んだ。
手の平に桜の花びらを集め、細い指で地面に一枚ずつ置いていく。
風に吹き散らされる前に桜の花びらで想い人の名前を書き切ることが出来たら想いが叶う、そんなマイルールを思い浮かべながら。おまじないなんて私の柄じゃないけれど、なんて思いつつも、背中でうららかな風を受け、真剣な顔で花びらを並べる。
「できた!」
我ながら改心の出来ではないか?
しろがねは立ち上がり、右から左から、高くから低くから満足気に眺める。
白い花びらが描く、彼女の想い人の名前を。
カ
ト
ウ
ナ
ル
ミ
「ふふ。想い…叶うかな…?散らされる前に書き切ることが出来たけど…」
カトウとの間に思いがけないロマンティックな出来事が待ってたりして。ちょっとでも距離が縮まったりして。もしそんなことがあったらどうしよう?私の想いがバレちゃったりするのかしら?
らしくない少女趣味的発想をして、何だか気恥ずかしくなってしまったしろがねだった。
意地悪な風が花びらの縁をヒラヒラと持ち上げる。しろがねの傑作を台無しにしようとする。
「あ、やめてくれないか、そういう…」
しろがねは再びしゃがみ込み、秩序の乱れを正そうと地面に手を伸ばす。そんなしろがねの手元を
「何をやめるって?」
と、鳴海が覗き込んだ。
突如視界に鳴海の顔が入ったせいで、しろがねの心臓は本気で止まったかもしれない。カチリ、と固まってしまった腕では花びらで書いた名前を咄嗟に掻き乱すこともできなかった。いや、やったとしてもきっと間に合わなかった。手元に夢中で、鳴海が寄ってくる気配にまるで気がつかなかった。気がついた時にはもうしっかりと、桜の文字を見られてしまっていた。
さっきのリーゼのように。
しろがねはカチンと固まったまま動けない。
こんな時に限って、気まぐれな風は吹いてくれない。
「何?桜の花びらで何か書いてたのか?何々…?」
鳴海の声が先細りになる。鳴海の男らしい眉毛が寄る。
「これは…」
私が自分の名前をこんな風に書いていたと知ったら…
カトウは…どんな顔をする?
しろがねが凝視する先で鳴海の顔が難しいものになっていく。そして何と言われるのか、とドキドキする胸を抱えるしろがねにようやく与えられた、鳴海からの言葉は
「これって文字だよな?」
だった。
「は?」
「ちなみにこれ、縦書き?横書き?」
「…縦書き」
しろがねは、高鳴っていた鼓動が一気にペースダウンしていくのが自覚できた。鳴海は傍らの女の心中の温度変化に気付くこともなく
「そっか」
とニコニコと笑う。
「一番端っこのが『三』なのか『川』なのかで悩んでたんだけど」
鳴海は『ミ』の文字(らしき)場所を指差してウンウンと大きく頷いた。そうして止めの無自覚で無神経なセリフを吐いた。
「まー…『三』と分かったところで字が汚くて分かんねぇんだけどさ。あ、そもそもこれって日本語か?…っておい!」
しろがねはすっくと立ち上がると、鳴海をおいてさくさくと歩き出した。
「何いきなり怒ってんだよ?」
しろがねの懸命の速足も鳴海の大股にあっという間に追いつかれてしまう。
「あ、字が汚ねーって言ったの、気にした?」
「ふん」
「あー、それはオレが悪かった。素直に謝る、スマン!」
しろがねにとって自分の字の汚さを鳴海に弄られることは慣れっこだったからそんなことは今更どうでもよかった。よくないのは自分の字の汚さを棚に上げて、柄にもない少女漫画的展開を夢見てしまった自分だった。その挙句にこの結果。顔から火が出る想いとはまさにこのことだ。
「ああもう!マイルールとか、おまじないとか、あんなこと考えるのではなかった!思い出すだけでも恥ずかしくて堪らない!」
「な、何のことだよ」
鳴海にはしろがねの空想など分からないわけだから、穴を探す程の羞恥心など覚えなくてもいいのだが、しろがねにとってはもう『鳴海が傍にいるシチュエーション』そのものが耐えられないのだった。顔から本当に火が出ているようなのに、そんな自分の顔をしつこく覗き込もうとするこの鈍感男にも次第に腹が立ってくる。
「五月蠅いな!あなたには関係ない!今は顔も見たくない!」
「なんだとう?こうして謝ってんじゃねぇかよ!」
桜の花びらでネックレスを作っている小さな恋人の近くを鳴海としろがねが横切った。ほんの少し距離があるので話の内容までは分からないけれど、ふたりは何やら活発に言葉のキャッチボールをしているのはよく見てとれた。
「あら、しろがねサンと鳴海サン」
「何だかおしゃべりに花が咲いてるね」
「いいですよネ。あのふたり、いつ見ても仲良しデ」
「うん、ホントだね。でも僕たちも仲良しでしょ?」
「…うふ。そうデスネ」
リーゼは笑って出来あがったばかりのネックレスを勝の首にかけた。
小さな恋人たちにささやかな誤解を与えたまま、痴話喧嘩は続く。
果たしてしろがねのかけたおまじないは叶う日が来るのかどうか。
「いっそ腕だけ残して死んでくれ!」
「何だよ、そのイイグサ!」
End