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「やっべ、絶対怒られる」
待ち合わせの時間は、はるか彼方に過ぎ去っている。
鳴海は改札を飛び出すと、人混みを掻き分け掻き分け前に進む。
急がねぇと急がねぇと。
そうは言っても人待ち顔がずらりと並ぶ待ち合わせのメッカの中を猛スピードで直進するわけにもいかない。
いくら鳴海がイノシシだと言っても。
「何でこんなところで待ち合わせしようなんて言ったんだろ、オレ」
それはひとつにそこが自分のバイト先に比較的近かったから。
それともうひとつ、先月めでたく彼女になったしろがねと渋谷でデートをしてみたかったから。
渋谷の待ち合わせ場所、といえば、あの犬の前。
渋谷と加藤鳴海の組み合わせが似合うかどうかは別として。
「オレだって若者だもの、いいじゃんか」
The answer day to Valentine.
鳴海がその日付のせいで普段よりも何割増しかの人波にも目立つ銀髪を上から見つけたとき、やっぱりしろがねはナンパされていた。
どこで待ち合わせしても、彼女は誰かしらにナンパされている。
しろがねの顔はものすごくものすごく不機嫌そうで、これから我が身に起こるだろうことを鳴海は容易に想像できて、気持ちがずうんと重たくなった。
「この間も言っただろう?あなたが先に来ていてくれないと、私は面倒で堪らない」
しろがねは目尻も眉尻もキッと上げて、鳴海に対して文句をぶちまける。
「スミマセン」
ツカツカと早足で自分の前を行く華奢な身体に、後ろをついて行く大男は何べんも頭を下げた。
到底これではデートと呼べる甘い空気が流れることは期待できない。
「これで3回目の遅刻だぞ?分かっているのか?私はあそこで40分も待ってしまった。おかげで何人に声をかけられたか。断ったり、あしらったり、面倒で堪らない。もう、途中で数えるのを諦めた」
実は、鳴海が追い払ったのでちょうど10人目。
20分は遅刻したオレのせいだけど、もう20分は待ち合わせよりも早く来たおまえのせいだろ?
鳴海は心の中でそう反論したが、口に出す気にはなれない。
火に油を注ぐ、という言葉を身をもって実践する気にはなれない。
そこまで怖いもの知らずにはなれない。
ていうか、充分、今のしろがねが怖い。
だから鳴海にできることといえば
「スミマセン」
と頭を下げることばかり。
「大体、自分で時間と場所を言い出しておいて遅刻するとはどういうことだ?」
「スミマセン……バイトが押してしまったものですから……」
バイト。
しろがねの顔が思いっきり曇る。
鳴海はもともとバイトをよくする男であることはしろがねも重々承知をしているが
ここのところの彼のバイトは常軌を逸している、としろがねは考えていた。
付き合いだしてのこの一ヶ月というもの、鳴海はほとんど毎日バイトなのだ。
だから、夜も家に滅多にいない(夜間の方がバイト代がいいので)。
デート、なんてものも実はこれでようやく3回目。
鳴海の鬼のようなバイトのせいで、たったの3回。
しろがねはもっともっと鳴海と過ごす時間を楽しみにしているというのに。
鳴海はできたばかりの彼女よりもバイトを優先しているのだ。
そして、その3回ともを鳴海は遅刻しているわけで。
しかも、そのバイトのせいで遅刻したとあれば、しろがねの怒りも凄まじい。
仏の顔も三度まで。
黙って自分の前を歩き続けるしろがねの背中に、鳴海は気づかれないように溜め息をついた。
オレの前をすごい勢いで歩くのはいいけどよ、おまえは一体、どこに向かって歩いてるワケ?
実は今夜の鳴海は奮発して少しいい店に予約を入れているのだが、それとはまったくの逆方向。
晩メシの予約時間が迫っているんですケド。
そう言いたいけれど、更に逆鱗に触れそうで怖い。
今回の話の鳴海は珍しく、まだしろがねとはキス止まり。
詳しく言えば、まだ、デートの帰りに軽いキスしかしていない。
だから要するに、問答無用でしろがねの怒りをとろけさせるスキルを彼はまだ少しも習得していない、ということ。
気の毒にも、しろがねのどんな些細な言動にも過剰に反応してしまう加藤鳴海。
赤信号に捕まって、とうとうしろがねの足が止まった。
大の男が情けない、と人は言うかもしれないけれど、惚れた弱み、というものは確実に存在する。
本ー当ーに恐る恐る、ライオンがネコの声を出しているかのような声で
「あの……何度でもおまえの気の済むまで謝るから……そろそろ許しちゃくれねぇか?」
と、お伺いを立ててみた。
今日という日に、ケンカしているのも味気ない。
何てったって今日の巷は仲の良さそうなカップルで溢れているのだ。
「これ、この通り!」
しろがねのいかり肩が下がった。怒りのオーラも霧散する。
「……すまない。私も、ケンカがしたいわけではない。可愛くないことを言うつもりもなかった…」
しろがねの目尻も眉尻も、きゅうっと下がる。
「すまん」
「ただ、私はあなたに会うのが楽しみで、待ち合わせの時間よりもずっと早くから待っているのに、あなたはいつも遅れてくるからそれが何だか辛くって…。あなたは私との時間をそれほど楽しみにしていないのか、と。それに、あんまりにあなたがバイトばかりで、つまらなかったから意固地になった」
ただ、あなたにもっとかまってもらいたかったから。
しろがねの方がしゅんとしている。
しろがねの言葉の中には暗に「あなたが好き」という意味がたくさんたくさん、ちりばめられていて鳴海のしろがねへの愛おしさが一気に膨れ上がった。
「これ」
鳴海はしろがねの鼻先に小さな紙袋を差し出す。
「もう、明日からは(そんなに)バイトは入れてねぇ。ここんとこバイト三昧だったのは、どうしても今日までに金策しなくちゃなんなかったから」
「何、これ?」
しろがねは受け取りながら鳴海に訊ねた。
「バレンタインのお返しのお菓子」
「お返し?そんなものがあるのか?」
「やっぱ、おまえは知らなかったな。日本ではバレンタインにチョコをもらったら一ヶ月後にキャンディとかお菓子を贈る習慣があんの」
「愛情にお返し……何とも日本らしい発想……」
「仕方ねぇよ。ここは日本なんだから」
「だからか。ノリさんたちがどうしてお菓子をくれたのか、やっと分かった」
鳴海はもと来た道を戻る。
今度はしろがねが、鳴海の後をついていく。
「ありがとう。…これは?もうひとつ、包みがあるけれど?」
紙袋をのぞいたしろがねが質問する。
小さな小さな四角い小箱。
「そ、それは……なんだ、その……指輪、だ」
「ナルミ」
「あー…まあ、そいつのせいでバイトバイトだったワケだ。今日のバイト代で代金がそろった。だから、それを買いに行ってて遅刻した。すまん」
「……」
だったら、もっと早くにそう言えばいいのに。
そうすれば、私だって怒らなかったのに。
まったく、莫迦なんだから。
しろがねはポケットに両手をつっこんで前を歩く鳴海の腕に自分の腕を絡めた。
「お、おい、人が見て…」
いるからやめねぇか。
人一倍、人前でベタベタすることを恥ずかしがる性質の鳴海だったが、しろがねの笑顔がとっても幸せそうで嬉しそうだったので今日は言うのをやめた。
それに今日は男が愛情のお返しをする日なのだ。
しろがねが笑ってくれるなら、ま、いっか。
やっとふたりも、街行く恋人たちの仲間入り。
「これからどこに行くの?」
「晩メシ、予約してあるんだ」
「予約するようなところ?」
「今日は多分、今からの時間じゃどこも予約無しじゃ入れねぇぞ?それに今日くらいオレにカッコつけさせろよ。いつもいつも安物じゃ、男の沽券に関わるだろ」
「そんなこと、気にしなくてもいいのに」
「いーの、どうせたまにしか、してやれねぇんだから。オレ、金ねぇからよー」
しろがねは鳴海の横顔を愛しげに見つめて、その腕に頬をくっつけて寄り添った。
「ディナー代も頑張って稼いでたんでしょ?そんなことしなくていいから一緒の時間、作ってくれれば良かったのに」
「だから、そう言うなって。オレだって、おまえと一緒にいたいの我慢してたんだから……」
ふたりの周りには、目には見えない無数のハートマーク。
「なあ」
「なあに?」
「メシ、食い終わったらさぁ……オレんち寄ってかねーか?」
「別にかまわないけれど?」
「そ、そっか」
「……」
「……」
「……そしたら今日、泊まってってもいい?何だか今夜は酔っ払いそうだから」
「お、おう」
これからはずっと、小さなことでこうやって大騒ぎするんだろうな。
鳴海は自分を見上げて微笑むしろがねに笑顔を返した。
今晩、しろがねとの関係を進められる、予感。
End