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酒の苦手な鳴海は甘党だ。
和菓子でも洋菓子でもどっちでも平気。
ケーキはホールでいけるし、羊羹ならいつも一棹食べる。
聘珍楼の巨大ゲッペイだって軽く完食できる。
大きな身体のなせるワザ、ともいえるが甘いものは昔から好きだ。
そんな鳴海は、密かに今月の14日を楽しみにしていた。
Happy St. Valentine's Day !
鳴海はいまだかつて女の子からチョコレートをもらったことがない(母親を除く)。
日本にいた頃はまだ小さかったからもらえなかったんだ、と本人は言い張るが、昨今の女の子はませている。幼稚園の年少さんだって好きな男の子にチョコをあげる女の子がいるのに、いわんをや、小学生なら尚のこと。単に鳴海がモテなかっただけの話。客観的に見ても、泣き虫で弱虫でいじめられっ子の鳴海を好きになる女の子がいるとは到底思えない。
拳法の修行を積んで逞しくなった鳴海ならもらえる可能性もあったかもしれないが、如何せん、中国ではチョコをあげる習慣はもちろんない。これは日本だけの風習。
だから、鳴海は期待に胸を膨らませていた。
初めてもらうチョコレート。
それも、しろがねからもらうチョコレート。
もしかしたら彼女から本命のチョコをもらえるかもしれない、なんてかなり飛躍したことを彼は考えていた。
だって、最近オレたち、何だか雰囲気いいしさ。
バレンタインデーをきっかけに、しろがねが告白してくる、ってこともありえるんじゃねぇかなー、と。
オレ、甘いもん好きだから、どんなでっかいチョコレートだって食えるしな。
鳴海の想像は『しろがねから絶対もらえる』という(勝手な根拠のない)確信の上に成り立っていて、彼の中には『もらえないかもしれない』なんていうネガティブさは欠片もない。
去年はまだ、しろがねも日本のバレンタインがよく分かってないこともあったし、もらわなくても鳴海自身も特に気にしてなかった。
だが、今年は違う。何が違うって、鳴海は自分がしろがねが好きだと知っている。それが違う。
好きな女のコの存在って大きい。こんなにもワクワクとドキドキをくれるのだ。
だから今年は店にバレンタインの特設コーナーがお目見えした辺り、たくさん山積みになっているチョコレートを見たしろがねが「なんでこんなにチョコレートが並んでいるのだ?」と訊いてきたのを『待ってました!』とばかりに、鳴海は彼女に『バレンタインの日本における風習の情報』をさりげなく、でも事細かに教え込んだ。
まだ、しろがねがそこんとこの事情に疎いと困るから。
「日本ではバレンタインデーに『女』から『好きな男』にチョコレートとともに愛を告白することになってんだよ」
「ふうん…極東の島国は自国向けに世界の常識を変えているのだな」
「ま、そうなんだけど。とりあえず、チョコをあげるっつー行為が『好きです』ってことになるわけ」
「これはなんだ?ここに書いてある『義理チョコ』ってのは」
「(こんなもん書いておくなよな)
『義理チョコ』ってのは…『愛情抜きのチョコレート』ってヤツ。職場の人とか友達とか、
『いつもお世話になってます』みたいな気持ちを込めて渡すチョコのこと」
「またずいぶんと日本人らしい発想だな」
「仕方ねぇよ。だってここは日本だもん。『義理チョコ』も人間関係の潤滑油なんだよ。だからチョコには『本命』と『義理』の二種類がある」
「そのふたつを、もらった人はどうやって見分けるのだ?」
「(もらったことがねぇから分かんねぇ…)
メ、メッセージ入れんだよ。それとか、手作りのチョコとか…気合の入れよう、かな?」
「手作り…」
「も、もしなんなら、うちの台所貸すぜ?」
「……考えておく」
以上が掻い摘んだふたりの会話。
しろがねのセリフ、最後の『考えておく』が鳴海の中では非常に大きい。
ようするに、しろがねには『手作りチョコをあげようかな』と考える相手がいるということだ。
結局、鳴海は台所を貸して欲しい、とは言われなかったけれど。
そりゃそうだよな。渡す相手の家で『本命チョコ』を作るってのもおかしな話だもんな。
サーカスの台所(?)じゃ手作りチョコは難しそうだ、ということは既製品か。
まあ、この際なんでもいいんだ。しろがねの、本命チョコなら。
どこまでも無邪気で楽天的なカトウナルミ。
14日。バレンタイン当日。
その日は夜半から降り出した雪が町を真っ白に染め上げて、朝になってもまだ降り止まぬ雪は綿帽子をどこまで積めるかをあちこちで競い合っていた。
「今日は外でできねぇなぁ…」
鳴海が『朝の日課』をするために庭に出ようとしたものの、あまりの積雪に断念し、室内でやろうとしていたその矢先に携帯が鳴った。着信を見ると、しろがねから。思わず、鳴海の心が小躍りする。
「おう、おはよう」
普段通り、のつもりの声も心なしか上擦っている。
「今日は何か用事あるか?」
キタキタキタ !
「2時からバイトだけど、それまでは家にいる」
「そうか。なら、昼過ぎに家に行く」
「わかった」
用件だけの、短い電話。でもまだ、7時前だぜ?しろがねも、あげる方も気合入ってんだなぁ…。
『日課』をこなし、食事をし、きれいにひとっ風呂浴びて、全身をくまなく、髪も洗って、はみがきも念入りにして、新しいパンツをおろしたりして、数時間前からしろがねの来訪をそわそわと待った。
ピンポーン。
おおう!やっと来たか!
玄関の扉を開けると頭やら肩やらに雪を乗っけたしろがねがいかにも寒そうに立っていた。
「す、すまない。何か温かいもの飲ませてもらえないだろうか?」
OK、今日は何でも言うこときいてやるぞ。鳴海はリビングに通したしろがねにホットコーヒーを用意する。
しろがねはコーヒーを飲み干して身体を温めると「ごちそうさまでした」と言い、鳴海に向き合った。
「カトウ」
鳴海は膝を乗り出して、しろがねの次の言葉、もしくは行動を見守った。
「こんな天気で悪いのだが、買い物に付き合ってくれないか?」
買い物?そして鳴海はピンとくる。
なるほど、一緒に買いに行って、オレに好きなのを選ばせようってことか?
「かまわねぇよ、行こうか」
今日の鳴海は非常に腰が軽い。さくさくと玄関に向かう。
玄関に鍵をかけようとしたら、しろがねが
「すまない、カバンを忘れてきた。取ってくるから待っててくれ」
と言う。しろがねが忘れ物なんて珍しいな、なんて思いながら、しろがねは街までチョコを買いに出るつもりなのかな?街まで行くとするとこんな天気だし、バイトの時間に間に合うかな?とか考える。
「おまたせ」
鳴海は改めて鍵を閉め、傘を二つ並べてふたりは歩き出す。
「あ、あのよー…もし、買い物に時間がかかりそうってんなら、オレ、バイト休んでもいいからよ」
「いや?そんなに時間はかからない。スーパーで買い物するだけだから」
スーパー?いつも買い物している、あの店?
本命チョコを選びに行くには少し色気がねぇなぁ、なんて思いもしたが、いやいや、しろがねはそこんとこの情報がまだ不十分だったに違いない、と鳴海はあくまで前向き。
それに仲町サーカスは貧乏だもんなあ。もらえるだけでもありがたいのだ。
スーパーに着き、鳴海はカゴをふたつ載せたカートを押して、しろがねもカゴをひとつ手に持ってメモ書きを見ながら、スーパーの中を巡る。
入ってすぐのチョコレートの特設コーナーはスルー。青果売り場、魚売り場、肉売り場、卵に牛乳・調味料、お菓子売り場は通り過ぎて、生活用品、飲料水、止めの米袋。惣菜売り場を抜けてレジ。
……これってさぁ、いつものサーカスの買出しと変わんねぇんじゃ……ナイデスカ?
会計を済ませ、袋に詰めて、鳴海は米袋を肩に担ぎ、しろがねも両手に買い物袋。
何か納得のいかない顔の鳴海を引き連れたしろがねが、帰り道、チョコレートの特設コーナーで足を止める。
「少し待っててくれ」
チョコレートを選び出すしろがねの背後で鳴海の顔は喜色満面、思わずしろがねの手元を覗き込む。
ひい、ふう、みい、よお、いつ、むう…
団長、ノリさん、ヒロさん、ナオタさん、法安さん、勝…
同じパッケージのものを6つ、それから少し迷って、ひとつだけ違うパッケージ(他のより、大きくて値段もいい)を手に取る。
鳴海は嬉しくて嬉しくてたまらない。チョコレートを買って戻ってきたしろがねの荷物を半分、持ってやる。
「カトウはただでさえ、そんなに荷物を持っているのだから」
と遠慮するしろがねに
「いーの、気にすんな。全部持ってやったっていいんだ」
と笑いかける。
表に出ると雪が止んでいた。
「良かった。傘を差さなくてすむ」
しろがねが微笑んだ。
大荷物を抱えているのに鳴海の足取りは軽く、サーカスのトラックまでの道のりはあっという間だった。
「ありがとう。雪が降っていて買い物の量が多かったから助かった」
「いいって。気にすんな」
「あの、カトウ」
「ん?」
にこにこする鳴海に、しろがねは言う。
「バイトの時間だろう?早く行くといい。遅刻する。本当に今日はありがとう」
以上。
「え……それ……?」
オレにくれないの?と言いたいが言葉にならない。
「どうした?カトウ?」
「いや……なんでもない……それじゃ、また」
「またな」
手を振るしろがねに背中を向けると、鳴海は何だか釈然としないもので心がいっぱいになって、眉間に深い皺が寄って、あっという間に鳴海のポジティブシンキングの泉は枯渇した。
なんだよ、オレ結局、荷物持ちに借り出されただけじゃん。
さっき買ったチョコは、大きいのが勝用で、後は団長、ノリさん、ヒロさん、ナオタさん、法安さん、最後の一個は自分用ってとこか(正解。)?
オレは物の数にも入ってないことなのか?
「ちぇ……、しろがねのバーカ…」
こんな雪の中、大荷物を運んでやったんだぞ。それだけでも『いつもお世話になってありがとう』だろが。
「ちぇ、義理でもいいからさ、くれたっていいじゃねぇか」
朝からオレ、ひとりで舞い上がってバカみてぇ。
ひどく気分がフテフテしてクサクサして、何ともやりきれない気持ちになって、鳴海は重い足取りでバイト先へと向かった。
また雪がしんしんと降り出した。
夜遅く、鳴海はバイトから戻り、『もしかしたら宅配だったのかもしれない』という一縷の望みをかけて郵便受けの中を見る。
DMばかり。不在票は一枚もない。
「…………ふて寝してやる」
鳴海はがっくりと肩を落として、家の鍵を開けた。
「バレンタインなんて大っ嫌いだ」
数日前。リーゼがしろがねにある情報を持ってきた。
「今度の日曜日、近くの公民館で手作りチョコレートの講習会があるんデスっテ。しろがねサン、一緒に行きまセンカ?」
そして当日、公民館でチョコレート作りに精を出すしろがねとリーゼの姿があった。
しろがねは持参した特大のハート型でチョコレートを作る。
「カトウサンは身体が大きいデスからネ」
「リーゼさんはもうできたんですか?」
見るとしろがねのものよりずっと小ぶりなハートに『Ⅰ LOVE YOU 』の文字。
「しろがねサン、本命のチョコにはメッセージを入れるものなんだっテ教えテくれたでショウ?」
ちょっと恥ずかしそうにリーゼは笑う。
「しろがねサンもメッセージ入れるのでショ?」
「……はい」
大きい分だけ固まるのが遅かった特大のチョコレートに、しろがねもメッセージを入れた。
それを今日、しろがねは出掛けに忘れ物をしたふりをして、キッチンのテーブルの上に置いてきた。
大きなハートに本当に小さく小さくピンクのチョコペンで『Je t'aime 』と書かれたチョコレート。
「分かってくれただろうか…」
『本命』だって。
それにカトウは、どう応えてくれるだろうか?
鳴海が絶望的な心境で玄関で靴を脱いだ頃、仲睦ましい勝とリーゼ(リーゼの手作りチョコを勝は笑顔で食べている)を羨ましく横目で見遣りながら、しろがねもまた少し不安な気持ちで過ごしていた。
もう雪はすっかり止んで、晴れた宙にキラキラと星が瞬いていた。
キッチンのテーブルに鎮座まします、しろがねの愛が詰まったチョコレートを鳴海が見つけて狂喜乱舞するまで、後1分 !
Happy St. Valentine's Day !
End