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Lemonade (後)
a flower in the ice pillar.
鳴海は鳥居の奥の階段でついさっきまで子供たちと遊んでいたらしい。階段の途中にブリキのバケツが置いてある。
「飲むか?」
階段に腰掛けると、鳴海はバケツの中からラムネの瓶を取り出して栓を開け、しろがねに手渡した。
自分用にも一本開ける。
しろがねは鳴海の傍らに腰を下ろした。
この階段は花火の上がる空を背にしているのでまるで人気がない。
見上げると満天の星空に上弦の月が船のように浮かんでいた。
「ガキどもが置いてったんだ。たまに飲むと美味いよな」
しろがねも一口含む。実はラムネを飲むのは生まれて初めてだった。
氷水で冷やされたラムネは甘くて爽やかで美味しかった。
瓶を傾けるたび、その中でビー玉がカチカチと鳴る。
「おまえさあ……もうちっと自覚しろよなぁ……こんなとこ、ひとりで出歩くなよな」
まるで子供扱いするかのような鳴海の発言にカチンとくる。確かに鳴海に助けられはしたけれど。
「どうして?」
「あのな。おまえは普通にジーンズとTシャツ着てたってきれいなんだぞ?それが今日みたいに浴衣なんか着てみろ。さっきみたいにロクでもねぇ男が雲霞のごとく寄ってくるだろが?」
そーゆーとこ自覚しろって言ってるの!
先程まで鳴海の物言いに怒っていたはずなのに、その気持ちはどこかに行ってしまった。
しろがねは赤くなって下を向く。
鳴海が自分を褒めてくれた。きれいだと、褒めてくれた。嬉しい。
でも、同じくらい恥ずかしい。
鳴海は、1たす1は2、三角形には角がみっつある、みたいに当たり前のことのように「おまえはきれいだ」と言ったのだ。鳴海は不自然なことを言ったつもりはないらしい。
濃灰地に白っぽく荒波のパターンを染め抜かれた浴衣はとても鳴海に似合っていた。
髪を後ろで無造作に束ね、よくこの足に合うサイズがあったものだと感心するくらい大きな下駄を履いている。
浴衣は彼の隆々とした筋肉を際立たせているようで、いつもよりずっと男らしく見えた。
しろがねはそんな鳴海の上に鳥居の影が淡く揺れるのを見つめていた。
ふたりとも寡黙で、瓶の中のビー玉が踊る音だけが響いていた。
鳴海は子供たちが祭りに出かけた後も階段にひとり座り、「考え事」をしていた。
もちろん、しろがねのことを考えていた。
先日の、「馬乗り」の一件で気づいてしまったしろがねへの想いが止まらない。
日に日に膨らむ気持ちを持て余し、辛くて堪らないのだ。
そして、あの日以来、毎晩のように頭の中でしろがねを犯していることも彼女に対する後ろめたさを掻き立てる。
いつ会ってもしろがねは変わらずきれいで、己の中に逆巻く邪まな気持ちも知らず、己に想像の中で汚されていることも知らずどうしてこんなに涼しげでいられるのかと憎く思うことすらある。
それを表に出さないように接することは拷問のように感じられた。
更に、しろがねに誰か想う人がいるということも鳴海を苦しめていた。
しろがねはもう誰かに「馬乗り」になってそいつを陥落させたのだろうか?
自分の知らないところでそいつと愛し合っているのだろうか?
見ず知らずの男に対する嫉妬心と、しろがねに対する独占欲。
気づかなければ知らなかった感情に翻弄され、鳴海はほとほと参っていた。
そして今、鳴海は更に困惑していた。
隣りに腰掛ける浴衣姿のしろがねがあんまりにもきれいすぎるのだ。神々しい、と言っても過言じゃない。そのしろがねと狭い階段に並んで座っているので、どうしても寄り添う彼女の身体に神経が行ってしまう。
鳴海は人気のないこんなところでしろがねと二人っきりになるんじゃなかった、と酷く後悔した。
しろがねの白い襟足が眩しい。
脳裏には、しどけなく浴衣を肌蹴させたしろがねと様々な体位でセックスする絵が浮かぶ。
オレが今ここで襲ったら、こいつの瞳にはどんな感情が過ぎるだろう?悲しみ?怒り?それとも…?
鳴海は湧き上がる底無しの性欲を必死に押さえつけようとした。
普段、多弁な鳴海が黙りこくっているのはそのせいだ。
開いた口から何が飛び出すかわかったもんじゃない。
怒張する股間を誤魔化すために前傾姿勢を取り、妄想の止まらない頭を抱えた。
「どうした、カトウ?」
いつもと様子の違う鳴海を怪訝に思い、しろがねは声をかける。
「んあ?…なんでもねぇよ」
鳴海はほんの少しだけ、身体を起こした。
「カトウ……さっき男たちに『オレの女に何か用か』、と言ったな」
「その方がヘンな虫が寄ってこないと思ってよ。『オレの女』呼ばわりされてイヤだったか?」
「そんなことはない!」
しろがねは力一杯否定する。
「そっか。だったらこれからも何かあったらそう言っとけよ。面倒になりそうだったら全部オレにふれ」
わかったな?鳴海の言葉にしろがねは素直に頷く。
なんて心強いのだろう。
鳴海を探してひとりで歩き回っていた心細さが嘘みたいだ。
「あのよ……ヘンなこと訊くけど、『馬乗り』、試したか?」
鳴海は頭をガリガリ掻きながら明後日の方向を見ている。
しろがねは鳴海の真意が読めなかったが、とりあえず訊ねられるまま「いいや」と答えた。
その答えに鳴海は心底ほっとした。
「それがどうかしたのか?」
「アレな、他の誰にもやるなよ、頼むから」
「何故?」
「何故も何でも…オレがイヤなの!」
だから何故?そう訊ねようとしたしろがねの背後で轟音が響いた。条件反射でふたりとも振り返る。
花火大会が始まったのだ。
しろがねたちのいるところからは首を急角度に曲げて上を見ないと花火を視界に入れることはできない。下半分は鳥居で隠れてしまう。それでもしろがねは楽しかった。
夢中で花火に見入った。生まれて初めて見る打ち上げ花火はとても素晴らしかった。
空を眩しく照らし出す火の饗宴。華やかに大輪の華を咲かせては、儚く潔く消えていく。
「花火とは……美しいものなのだな……・」
しろがねの言葉に鳴海が首をめぐらす。
「これまで独りで生きてきて、花火に興味など欠片もなかった。それは単なる出来事のひとつに過ぎず、私には関係のないものだったから…。こんなに楽しいものだとは知らなかった」
「おまえは意外と、オレが当たり前に知っているようなコト、知らなかったりするもんな」
「私は……何も知らない」
「難しいことはお手上げだけど、こーゆーことならいくらでも付き合ってやるからよ」
あなたと一緒なら、どんな些細なことでもきっと楽しいだろう。
しろがねは鳴海の笑顔に、彼女としては精一杯の柔らかい表情で応えた。
「うわー、すげえ人だなあ」
花火大会が終わり、本殿にいた人が皆屋台のある通りに下りてきたので、鳥居から先は人でごった返していた。
逸れそうだな、鳴海はそう言うと、人波に紛れてしろがねと手を繋ぐ。
鳴海の大きな手の平に包まれて、しろがねは何だかくすぐったい気がした。
離れないように、しろがねも手に力を込める。
ほら。
見慣れた屋台もあなたと一緒ならこんなに楽しい。
サーカスのメンバーと合流するまで、ふたりは繋いだ手を放さなかった。
End