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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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疲れた身体を引き摺るようにしてしろがねはリビングのソファに辿り着くと、ぐったりと柔らかなクッションに身を沈めた。
今日の練習はハードだった。フランス公演開幕まで間もないからリングマスターから舞台プロデューサーから道具方のひとりひとりに至るまで、リングの中にいる全ての者が神経を張り詰め、肌に鳥の羽が触れただけでも爆発しそうなくらいにピリピリしていた。
不思議なことではない。何しろ、仲町サーカス初の海外公演が皮切りなのだから。
しろがねは長くしなやかな手足を投げ出して深く息をつくと、長い睫毛が縁取る目蓋を下ろした。



しろがねは仲町サーカスの古参だ。彼女は仲町サーカスがその日暮らしをしていた貧乏時代を知っている。今は世界屈指のサーカスの仲間入りを果たさんとする飛ぶ鳥を落とす勢いの仲町サーカスが、かつては公演場所にも困っていた等と誰が信じてくれるだろうか?
初めは指折り数える程のメンバーで大道芸のような演目を披露していたサーカスも、今では何百という団員とその家族を養う大所帯になった。しろがねにとっては名前と顔が一致しない団員の数の方が増えている状況だ。



しろがねは仲町サーカスの古参でもあり、花形トップスターでもある。それは貧乏時代から変わらない。見た目の美しさも、その芸の完成度の高さも右に出るものはいない。どんな種類の演目だって、どんな難易度の高い番組だってソツなくこなす。他の追随を許さない。非の打ち所もない美貌のシルカシェン。
難点は存在そのものが芸術ともいえる彼女に誰もついていけないことだ。ピンの芸ならどこまで本領を発揮しても構わない。それが大勢と行う人と合わせる演目になるとどうしても彼女だけが浮いてしまう。別の生き物のように動きが違う。



だから皆に合わせる努力をしてくれと言われる。皆に合わせるということは芸のレベルを下げるということだ。レベルを下げなくてはならないのなら自分は出なくてもいいと思うのだが、彼女がいるのといないのとでビジュアル的な華やかさが違う、そうなると観客の盛り上がりが違う、ひいてはサーカスとお客さんのためだと言われてしまうと折れざるを得ない。
でもどうしても動きをうまくセーブすることができない。元々、皆の気持ちをひとつにして、皆と呼吸を合わせて、等と言う芸当は彼女には苦手なのだ。所帯の小さかった仲町サーカス時代には出来たような気もするのだが、よく、思い出せない。



しろがねにとってまるで一心同体のように気持ちも呼吸も合わせられることのできる人物はこの世に唯一人きりだ。
彼とならば、阿吽の呼吸、神懸り的なことだって何だってできる。



しろがねはその人物を目蓋の裏に思い描く。すると彼女のふくよかな胸が更に大きく膨らんだ。苦しいくらいに。肺が弾けそうになったので息を吐き出すのと同時に、閉じていた目蓋を開けた。銀色の瞳に薄れさせるもののない夜景が広がる。
そして帰宅してきた時に部屋の灯りを点けていなかったことに気付く。だからと言ってソファに沈んだ身体を起こし、灯りを点けに行くのも億劫だ。
まあいい。暗いのも悪くない。むしろ、胸が高鳴って精神の高揚した今の自分にはこれで調度いいのかもしれない。
眼下にはどこか見慣れて、どこか懐かしいフランスの夜景。花形だから、こうやって公演の間中、リング近くの高級マンションでの一人暮らしを認めてもらえるのだ。それだけに見合う働きを彼女はしなければならない。



ストレス。
重圧などは感じない。ただ、ただ面倒だ。
世界中のサーカスを独りで渡り歩いていたときには常に感じていて、昔の貧乏仲町サーカス時代には感じなかった、対人関係の煩わしさ。
忘れていた。ずっと、忘れていた。
ここに来て、そういうものが在ったことを思い出した。どうして自分がそれを忘れていたのかも、しろがねは分かっている。



彼に出会ったからだ。彼の存在がしろがねの心を癒し、温め、潤して、彼女を取り巻く全ての煩わしさから守ってくれていたからだ。いや、どちらかと言えば、彼のことばかりが彼女を支配していたから彼に由来しないことなど考える余裕も与えてもらえなかっただけなのかもしれない。
しろがねは彼のことで心がいっぱいだった。それで満足だった。小さなサーカスで彼と番組を行うことは楽しくて楽しくて仕方がなかった。
けれど仲町サーカスがある程度大きなものになったとき、彼は潮時とばかりに退団した。



「オレは本格的にやれるほどの芸は持ち合わせちゃいねぇから。皆の足を引っ張るだけだからな」
道具方として残る話もあった。でも彼は
「しろがねと番組が出来ないんじゃいても辛いからよ」
と、今は家業につき東京で暮らしている。一方のしろがねはサーカスが成長するにつれて、東京を離れる期間が長くなった。となると必然的に会う機会が減る。



彼に会うことが減って、しろがねの心はカサカサと乾き始めた。
不安。
彼の中に居る自分が希薄になってしまっているかもしれない不安。
「カトウ…。あなたは今、何をしている…?」
鳴海に会えば、しろがねの心も身体も潤う。癒される。
会いたい。融け堕ちそうなくらいに温めてもらいたい。



しろがねは傍らに無造作に置かれたバッグの中から携帯を取り出した。履歴の中から「カトウナルミ」を探し出し、通話ボタンを押しかけて止めた。携帯を折り、力なく膝の上に落とす。
「……だいぶ私は弱っているとみえる……」
しろがねは鳴海ともう長い付き合いだ。だけれど、その長い付き合いの中、彼女の方から電話をかけることは滅多にない。いつも連絡をしてくるのは鳴海で、しろがねは大抵それに出るか、折り返し返事をするだけだ。しろがねから電話をかけたことはあまりない。どうしてか、鳴海に電話をかける、自分の方から連絡する、という行為は自分の【負け】を認めている気がして嫌なのだ。特に何の話題があるわけでもない。鳴海の電話の内容だって必要最低限のことばかりだ。だから深く気にすることなどなく、【負け】だなんて考える自分が意地っ張りなのだろう。



それに、鳴海はしろがねの彼氏ではない。
しろがねは鳴海の彼女でもない。
恋人、なんて呼ばれる関係になったことは一度もない。
けれど、会えば当たり前のように身体を重ねる関係。
「好きだ」とも「愛している」ともお互いに口にしたことはない。
確固たる言葉でお互いを縛り合うこともしない。
緩やかに結ばれては、また滑らかに解れていく、自由な大人の存在。裏を返せば不安定な関係。



鳴海と好きな時に自由に会えるのなら不安定な関係も特には気にもならない、または気にならないと自分を誤魔化すこともできるのだろうが、こうも離れていると不安定さが増す。不安定なことを無理やり誤魔化していた自分の心が際限なく不安定になる。
しろがねは手の中の携帯を強く握り締め、電話をかけたくなる衝動を押さえ込んだ。
それに東京とパリの時差は8時間。鳴海は仕事に出かける時分だろう。邪魔はしてはいけない。しろがねは電話をかけないことに対する言い訳をした。これが例えば、東京が22時であったら彼女の言い訳は別のものになる。



「カトウは今、ミンシアさんとお楽しみかもしれないから」
相手はミンシアではない、他の女かもしれない。相手が誰にしても鳴海は自分ではない他の誰かと身体を温めあっているかもしれないのだ。
鳴海としろがねは会えばセックスをする関係ではあるが恋人同士ではない。お互いを縛らない。だからお互いが自分以外の誰かとセックスをしたとしても文句を言う関係ではない。しろがねの眉間に深い皺が寄る。



前に何かの用事だったかは忘れたが珍しくしろがねは鳴海に電話をしたことがあった。東京時間で22時。鳴海の携帯に出たのはミンシアだった。
それを事細かに思い出した。





しろがねからの電話に出たミンシアの声は艶かしく艶やかだった。程よくアルコールが回っているのだろう。そして何より、優越感に満たされている声だった。
「ミンハイは今シャワーを浴びているから後で電話をさせるわね」
「あなたが来ているのなら返事は要らないと伝えておいてくれ」
しろがねの言葉に「そんなこと気にしなくてもいいのに」と肉体的な距離感に関しても、心身における湿度に関しても優位に立っているミンシアが電話の向こうで不敵に笑っているのが分かった。一方的に切ってやろうかと通話ボタンに指を置いた時、
「あら、タイミングがいいわ、ミンハイ電話」
と問答無用で相手が変わった。



「姐さん、人の携帯に勝手に出るなって言ってるだろ?もしもし……お!しろがね!元気かぁ?めっずらしいな、おまえが掛けてくるなんてよう。すまねぇな、今シャワー浴びてたからよ」
聴きたかった声を聴けた嬉しさよりもジリジリと心が真っ黒に妬けていくスピードの方が断然速い。しろがねは懸命に、普段と変わらぬ声色に努めた。
「それは今、ミンシアさんから聞いた…。彼女とこれからお楽しみだった?邪魔をして悪かったな」
「え?あ、いや、そんなんじゃねぇよ。それで何の用、じッ?」



鳴海の言葉が破裂したかのように途切れた。一瞬電話が遠くなる。鳴海はしろがねに聞こえないようにしているつもりなのだろうが、耳の敏いしろがねには鳴海が「おい、姐さん、電話中はよせって」と小声で囁いたのが聞こえた。しろがねはグッと唇を噛み締めた。
「すまん、それで何の…用事だった?」
鳴海は抑えようとしているようだが、その呼吸が荒れているのが手に取るように分かる。しろがねは素っ気無く言った。
「大した用事じゃない。また後でな。話しながらだと集中できないだろう、ミンシアさんのフェラチオに」
「そ、んなこと、姐さんはただ酒を飲みに来ただけで…」



ギクリ、と鳴海の声が揺れる。正直な人。嘘をつけないくせに、嘘を頑張ってつこうとする。嘘をつくのが苦手だってこと、自分でも分かっているくせに。自分とミンシアさんとの関係を、私が知っているのだって知ってるくせに。
「エレオノールと会話しながら他の女にしゃぶられるの、悪くないみたいよ」
ミンシアが口を挟んできたので鳴海の手の平が携帯の通話口を覆ったのだろう。また声が遠くなった。それでもしろがねにはふたりの会話が切れ切れに知れる。
「姐さん、余計なこと言うなよ」
「何よ、本当のことじゃない。こんなにもキチキチに硬くなってるじゃない……ほら…んッ…んんッ…」
「ふ…やめ、ろ、ってば」
「ぐぅ…は…顎が外れそう…気持ちいいんでしょう?」
「だから電話中、は… …ぅ …」



ミンシアはしろがねに聞かせたいのだろう。鳴海のペニスを舐めて啜る音をワザとぴちゃぴちゃと立てる。しろがねは大きな溜め息をついて
「いい。集中してくれ。またな」
と鳴海の返事も待たずに電話を切った。数分後に鳴海から折り返しの電話がかかってきたが、その微妙な数分間に何をし終えたのかがあまりにもリアルで、しろがねがそれに出ることはなかった。



鳴海のペニスがミンシアの口腔に収められている場面を想像することは、しろがねにとってかなり酷なことだった。自分が切に欲しているモノが他の女に与えられるのも非常に口惜しかった。しろがねが電話に出なかったことで、仮に出たとしても電話を切った後で鳴海のペニスがミンシアの口の中からヴァギナへと、収まる場所を変えるのにそうは時間がかからないだろうことも想像に容易い。ミンシアは高らかに嬌声を上げ、鳴海はその身体の奥に熱い精液を注ぐだろう。
そんな時、しろがねは虚しくも自分を慰める他に術はない。
携帯に鳴海でない誰かが出たり、鳴海が出ても携帯の向こうに女の影が透けて聞こえることがしろがねには嫌だった。だから東京が夜の時間は電話をしない。早朝も同様、情事の気だるさを声色に見つけたりするのは嫌だから。昼は昼で仕事の妨げにはなりたくないからしたくない。



仕方がない。鳴海はしろがねと長い付き合いになるが、ミンシアは更にそれよりも長い付き合いなのだ。鳴海はミンシアとも恋人同士ではない。かつてそんな名前の関係になったこともないと聞く。自分と同様、会えば自然と身体を重ねる関係。
鳴海はしろがねとそういう関係になってからもミンシアとの関係も平行していた。
鳴海にとってセックスはスポーツ。
自分は彼の運動仲間。
重々分かっていることだが、自分にとってのセックスはスポーツである意味合いが皆無に近いから性質が悪い。
ミンシアは香港で女優業をしているが日本での活動もしているので、来日した際には忙しいスケジュールを縫って鳴海と落ち合っている。鳴海は鈍いのでミンシアの「仕事のついで」という言葉を真に受けているが、しろがねは「仕事のついで」と言いながらも「鳴海に会うためだけ」に来日していることもあると、薄々感づいている。



しろがねがまだ東京にいる時分には性欲の殆どをしろがね相手で満足させていたものの、サーカスの興業が盛んになった現在はそうもいかない。ミンシアだってそうそう日本に滞在しているわけでもない。だから今の鳴海には他にも何人か気楽にセックスを楽しむ相手がいるようだ。精力の強い男だから詮無いことなのだろう。別段、女にマメなタイプではないのだが、構ってくれる女に恵まれる才能でも持っているのだろう。去るものは追わない、来るものは拒まない。



そして鳴海は、しろがねにもそういう相手がいると思っている。尤も、しろがね自身が鳴海にそう思わせるように仕向けているわけだが実際には、今現在のしろがねには鳴海ひとりだ。鳴海が自分以外の女とも関係を持っているのならと対抗意識を燃やして適当な男と寝たこともあったけれど、鳴海以外の男では気が全く乗らず、大して面白くないことが分かってからはそういった無駄をすることはなくなった。
だけれど鳴海はそれを知らない。しろがねもまた離れている間は自分と同様に適当な相手で性欲を処理し続けていると思いこんでいる。真実は知られなくていい、しろがねは思う。自分ばかりが相手に固執して、本当は相手を貪欲に束縛したいと願っていると鳴海に知られるくらいなら、誰にでも脚を開くアバズレだと誤解されていた方がマシというものだ。



弱い女だと、カトウに知られたくはない。
どんなに愛していても、愛しているなどと言えない。
カトウは私の口からそんな言葉を聞きたくもないだろう。
束縛したがる女など、嫌われるだけだ。
嫉妬に狂っても、カトウの背中に追い縋るような見っとも無い姿は晒したくない。



私は常に、あなたと対等でありたい。
あなたは自由な風だから。
風を縛り付けることなど、できないのだから。



しろがねは携帯を再度開いた。ピ、ピ、と幾つかボタンを操作して、耳に当てる。ビジネスライクな音声案内をやり過ごした後、
『よう、オレだけど。元気にやってるか?しろがね?』
低くて、深くて、ハリのある、そしてどこかやさしい甘みのある声が流れ出す。しろがねの口元が緩んだ。
しろがねの大好きな鳴海の声。
ずっと昔にもらったものだけれどどうしても消すことのできない、鳴海からの留守録。



『おまえ、いつこっちに帰ってくる?おまえって全然連絡くれねぇんだもんよ。たまにはよ、電話してこいや、な。待ってるからさ、しろがね…』
録音だと分かっていても、何度も聞いたフレーズでも、しろがねは自分の心がじんわりと温かくなるのを感じる。
ああ。こんなにも、私はあなたを愛している。
「あなたの声が聴きたい。声を聴かせてくれ。こうやって、耳元で私の名前を呼んでくれ…」
そうして、抱いてくれ。
不安など心に忍び寄ることも叶わないくらい、激しく。



私はあなたを縛らない。
でも、あなたは私を縛ってくれないか。
その強い風で、私の前途も退路も、私を取り巻くあなた以外のものを全て絶ってくれ。
あなたから縛ってくれるのなら、私も対等に、あなたを縛ろう。
私の運命に。



しろがねは何度も何度も留守録の鳴海の声を聴いた。
安らかな眠りの淵に沈むまでずっと。



End





◇◇◇◇◇

postscript
ここの鳴海はミンシアともできてます。お嫌な人、ごめんなさい(汗)。ただ、ここの鳴海は性にだらしがないわけではなくセックスを愛情表現というよりは一種のスポーツとしか思ってないんですよ、汗を流せて同時に気持ちよくなれる、一石二鳥の運動。本気になってしまった女性には失礼千万の最低な男ですけれども、そういったライトな関係って実際問題アリでしょう。後腐れがなくて遊ぶのには最高の相手です。
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