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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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世界に名立たる大富豪フウは世界中の各都市の高級ホテルに常時スイートをキープしている。借りている部屋に年に一度も行かなくても借りっぱなしになっている。大金持ちなんて言葉では表現しきれない金の有り余っている老人にとっては一泊数十万のスイートもはした金額なのだ。
勝は世界中を飛び回る間、勿体無くも空部屋になっているそれを『有効活用』と称して利用する。使っても使わなくても部屋代は支払われているのだからどうせなら使った方がいい。勝は帰国する際、必ずこの都内の高級スイートに腰を落ち着けることにしていた。
そのことをリーゼは知らない。帰国した勝は真っ直ぐ自分のところにやってきているのだと思っている。別に隠し立てをしているつもりはないけれど、サーカス暮らしというプライバシーのない生活をしている勝にとって、そして気ままな旅暮らしの間中、夜長話につきあってくれる相手にどうしてか事欠かない勝にとって、母国でののんびりとした独りの時間の持てる秘密の場所、といったところだろうか。秘密基地を欲しがるのは男という生き物が小さな頃から持つ習性なのかもしれない。



「もう一杯飲む?」
向かいのソファに腰掛けるしろがねのティーカップが空になったのを見て勝はそう声をかけた。
「いいえ。もう充分」
しろがねはやんわりと断った。
「いいホテルの紅茶って違いますね、堪能しました」
「そう?」
何事も、もう少し欲しいな、と思うところで止めるのがいいのですよ、としろがねは笑いながらカップをソーサーに戻す。身体を少し屈めたことで顔にかかった前髪を柔らかい仕草で掻きあげる。
勝はいかにもシャワーを浴びたばっかりです、といった格好で寛いでいて、目の前の美しい女性が無意識に作り上げる女性美を感嘆して見つめた。
しっかりとドライヤーで乾かしたつもりの銀色の髪はところどころが生乾きで小さな束を作っている。しろがねは自分の髪を撫でて生乾きの後を見つけ、もう少しちゃんと乾かすべきだったかも、と苦笑いを浮かべた。手の平でそっと頬を押さえ、隅々まで洗い上げたしっとりとした肌の感触に満足そうに頷いた。肌の細胞と言う細胞が潤っている。



「満たされた?」
勝の可笑しそうな声色に、自分がぼうっと満ち足りた自分というものに酔っていたことに気づき、しろがねは頬を赤らめた。
「あ……すみません。お恥ずかしいところを……」
「恥ずかしがることなんてないよ。しろがねはきれいだよ」
「お坊ちゃま」
「僕は小さい頃からずっと思っていたよ。しろがねってきれいだなって」
しろがねはやさしく微笑んでいる。勝は心底、きれいだな、と思った。





僕の初恋の人。
誰かを愛する気持ちを初めて教えてくれた人。
この人のためなら命など惜しくないと思えた人。



こうして穏やかな時間をふたりで共有していると、時間が緩やかに戻っていく。
しろがねを愛していたあの頃に心が戻っていってしまう。
しろがねは、人妻、なのに。
決して想ってはいけない人なのに。
心が疼く。


ああ、僕は。
もう、しろがねへの想いを断ち切ったのだとばかり思っていた。
まだ、ダメなんだな。
僕はしろがねから完全に卒業できていないんだ。


疼く心は一体誰のものなのか。
自分自身のものなのか、それとも自分の中に巣食う他人の記憶なのか。
多分、他人の記憶に増幅された自分自身の気持ち。


あれからもう何年も経っているのに、そしてリーゼという最愛の人がいるというのにこんなことを考えている自分が嫌になる。
しろがねへの愛は心の奥底にしまいこまなければいけない。
けれどふたりで会ってしまうと自分の心を誤魔化すのが辛い。





「しろがね……これからどうする?」
勝はそっと訊ねた。大きな声を出したら、この夢のような空間が弾けてしまいそうな気がして。
「私はもう帰ります。あんまり遅くなるとナルミが心配するし、それに何をしていたのかと詮索されてしまうわ」
しろがねは、くすり、と笑った。
「ここに来るのは内緒なのですもの、彼に」
「内緒…」
「そうです、内緒」
一本立てた細い指を唇に当ててイタズラっ子のように微笑む。ささやかな秘密を語るしろがねはどこか妖艶だ。しろがねに心動かされる度に、勝はリーゼへの罪悪感に苦しんだ。
「ここに来られなくなったら困りますもの」
「そうだね。兄ちゃんはしろがねが何をしに出かけているのかを知ったら、何て言うかな?」
「ナルミは私に規制をかけることは言わないでしょうね、きっと。それが例えどんなことでも。自分を殺しても…私の意志を尊重してくれると思います」
しろがねは寂しそうに睫毛を伏せた。



ナルミは、かつて私を傷つけたことをとても後悔しているから。
だから、私のことを許すのだろう。
苦しいくらいにやさしいのも、悲しいくらいに大事にしてくれるのも、その贖罪の意識が強いから。
ナルミはきっと愛情よりも贖罪の意識の方が…。



そこまで考えて小さく銀色の頭を振る。何を不安になっているのだろう、私は。
「私には私でナルミに秘密にしておきたいことがありますから。ナルミには知られない方がいい、私の心の奥底にしまっておきたい感情もありますから…」
勝には心の奥底にしまわなければいけない感情がある、そしてしろがねにも。勝は瞳を細め、しろがねも瞳を細めた。
「それでは」
しろがねはスッと立ち上がる。
「お坊ちゃま。しろがねはこれで帰ります」
「あ、待ってよ、しろがね。下まで送るから」
勝も弾かれたように立ち上がり、手早く身支度をする。
「さ、行こう」
「おじゃましました」
肩を並べても身長差を嘆くことも今は無い。勝はしろがねの肩に手を置いてエスコートしながらスイートを後にした。









「空いたお皿を……し、失礼しましたっ」
何杯目のコーヒーが空になったのだろう?それを下げにきた罪の無いウェイターは不機嫌な4つの瞳に思いっきり睨まれて脱兎の如く逃げ帰る。百獣の王ですら従える魔眼を持つ女と、敵に『悪魔』と呼ばれ死線を何度も潜り抜けた男に同時に八つ当たりをされてははっきり言って堪ったものではない。
ホテルのロビーの真ん中にある雰囲気のいいカフェ。賑わうカフェでふたりのテーブルにだけは会話がない。重苦しい空気が垂れ込めているのが分かるのか、混雑するはずの時間帯なのに彼らの周辺だけは客の回転が異様に早い。傍から見れば、鳴海とリーゼが痴話喧嘩しているように見える。



鳴海は件のホテルのロビーに着くや否や、ぐるりと見回し、すぐに長い黒髪の女性を見つけた。リーゼはエレベーターホールからはうまく影になっているテーブルに着いていた。鳴海はリーゼの座るテーブルに真っ直ぐに向かい、その横に腰をかけた。
鳴海もリーゼも甚く硬い声で現状を話し合い、そして黙り込んだ。
黙り込んでだいぶになる。ただ待っているしかできない自分に鳴海が痺れを切らした。
「どれくらい経つ?」
「かれこれ……2時間半……」
「ふたりが上がってから、2時間半……」
何ともリアルな時間だ。人目を忍ぶ逢瀬に費やした時間としてはとてもリアルだ。



「本当に、どうしたらいいのか、私……」
「まだそうと決まったわけじゃねぇだろ」
「鳴海さん…」
鳴海はテーブル越しにリーゼの肩をぽんぽんと叩いて励ました。本当は。自分の方が励ましてもらいたいくらいだったのだが。仮に、考えたくも無いが【逢瀬】だった場合、そろそろ帰りの時間になるだろう。それにしろがねは夕方前には戻ると言った。鳴海は時間を逆算しながら彼女が余裕を持って帰宅するためにはいい頃合いだと思った。



考えたくもない。
勝としろがねに裏切られているなんて考えたくもない。
自分たちの頭上でふたりがどんな時間の潰し方をしているのか、なんて考えたくもない。



リーゼは堪えきれずに大粒の涙をポロポロと零す。鳴海とリーゼの様子を見守っていた衆人は内心「別れ話に進展があったな」と考えた。鳴海はいささかうんざりしながら、どう慰めようかと思案する。女の涙は本当に苦手なのだ。
「落ち着けよ、な?落ち着かねぇと正しいものも正しく見」
「な、鳴海さん!あそこ…っ」
泣いていた筈のリーゼが鳴海の話を遮って、エレベーターホールの方向をパッと指差した。鳴海も恐る恐るその指先を追う。
「し…っ」
鳴海の顔がこれでもかと歪む。不安が鳴海の心を押し潰す。
「しろがね…」
「勝さん…」
エレベーターの扉が開いて、勝としろがねが連れ立って降りてきたのだ。



見たくなかった。
リーゼの間違いだと思いたかった。
よく似た他人であって欲しかった。
けれど、あそこにいるのは紛れもない勝としろがね。
どうしてホテルで、ふたりで逢っている?
心臓はこのまま壊れてしまうんじゃねぇか?
騒ぎ過ぎだ。
本当に壊れてしまう。
しろがねの裏切りを、信じたくなんか、ねぇ!
絶対に何かの事情があるはずだ!



しろがねと勝はエレベーターホールで二、三会話をし、にこやかに別れた。しろがねはエントランスに向かい、勝は上階に向かうエレベーターに再び乗り込んだ。しろがねはハミングが聞こえてきそうなくらいの上機嫌で、鳴海たちに気づかずにロビーを横切っていく。
呆然とした状態から抜け出たのはリーゼの方が先だった。
「鳴海さん。鳴海さんは帰ってください」
「は?」
「しろがねさんよりも先に家に着いて出迎えないといけないのでしょう?」
「そりゃそうだが…リーゼはどうするつもりだ?」
「私はしろがねさんと話をします」
「何?」
鳴海はリーゼの打って変わった潔さに二の句がつげない。



「勝さんは嘘つきだから一筋縄ではいかないでしょうが、あるいはしろがねさんなら。しろがねさんは…人生経験は私よりも豊富ですが私よりずっと素直な方ですから」
「おい…」
「一緒に暮らしていたのですもの、分かります。しろがねさんは嘘をつけない方です」
「リーゼ」
「鳴海さん」
カッと見開いたリーゼの瞳には意志の炎が揺らめいていて鳴海に言葉を失わせるのには充分の力があった。
「私に任せてください。それに、鳴海さんではしろがねさんに問い質すことはできない。鳴海さんは最後の最後には勝さんにも強く出られない」
「……」
「鳴海さんは、ふたりそれぞれに負い目があるから」
「はっきり言ってくれるな」
いつも泣き言の相談をしてきていた小さなリーゼに真実を突かれて鳴海は苦笑いする。
「だって本当のことでしょう?」



確かにその通りだ。鳴海はそうするしか許されなかったのだとしても、あの時しろがねを酷く傷つけた。そして勝がいなければこうして生きて、愛する者を腕にすることもなかった。この生身の腕だって還ってはこなかった。
リーゼは毅然と立ち上がった。瞳が凛と燃えている。
「鳴海さん、帰っててください。私に任せて。結果は必ずご連絡しますから。しろがねさんを見失ってしまう、先に行きます」
しろがねに続いてエントランスの向こうに消えるリーゼを見送る。がっくりと肩を落とした鳴海がふとテーブルを見ると、伝票の上にリーゼが自分で飲んだ分のコーヒー代が置かれていた。



「意外と……冷静なもんなんだな……女っておっかねぇ……」
苦笑にまじって溜め息をつく。と、憐憫の視線を感じ、顔を上げる。視線が合うのを避けるかのように、周りの人々が顔を下げたのが分かった。そして、自分がリーゼとの痴話喧嘩の末に振られた気の毒な男として周囲から見られていることに気がついた。
「ははは…女に振られた惨めな男、か。あながち……外れてねぇ、のかもな…」
力なく笑う。
冗談にもならない。



しろがねを信じている。
信じている。
信じることしか出来ない。



でも、しろがねの心が、本当は自分に向いてないことが分かったら、そのときはどうしたらいいのだろう?
「どうしたら…」
心の中に大きな不安が膨らむ。胃が重い、気持ち悪い。
拳の中に爪を立て、鳴海も席を立った。腰を上げるだけなのにこんなに力がいったのは生まれて初めてだった。



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