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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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6.干天の慈雨



「しろがね、もう帰るのか?」
しろがねは、不躾にそう声をかけてきた相手に向き直ると無表情で機械的な、けれど完璧なお辞儀を返した。
ここ数日のしろがねは一切の残業をせず、定時で帰宅する。自分の仕事はきっちりとこなし、やるべきことは全て終えているのだから定時に上がっても誰にも文句は言わせない。ただ、他人の仕事の手伝いをしないだけだ。


元々つきあいのいい人間ではなかったが、それに輪をかけて声をかけてくる男たちを袖にする。以前には、さして食事をしたい相手でなくとも仕事の話を絡められると断り切れずに仕方なく、ということもあったが今のしろがねは問答無用で即お断りだ。
目力をこめて、キッパリ言い放つと誰もそれ以上無理強いはしてこない。仕事だ何だと理由づけても大した内容ではないことは分かっていたが、何だ、簡単に断れたのか、これまで律義に付き合ってた自分が莫迦だった、と思う。
でもたった今自分を呼び付けた、周囲に何人も取り巻きを引き連れて偉そうな顔で立っている男は少し一筋縄ではいかない。


「ずいぶんと早いな」
男はズカズカとしろがねに近寄ると馴れ馴れしくその肩に手を伸ばした。しろがねは身体を起こしながらさりげなく気色悪い手が触れるのを避けた。
「才賀社長……私用がありますので、これで帰宅させて頂きます」
この才賀という男は、しろがねが勤めている会社が傘下に入っている大元締めの社長だ。その社長が数多ある傘下企業のひとつの、しかもその中の目立たない一部門付近(定時に帰ろうと思えば帰れるレベルの)に頻繁に出没するのは、今年入社したひとりの女性社員に懸想しているからだと、社内ではも専らの噂だ。


しろがねの耳にもその噂は届いていて、その相手が自分だということも知っていた。妻子もいる身だというのにこんな大っぴらに愛人漁りしている男がトップなのだと思うと、この企業も大したことないと思う。しろがねはこの男が根本的に生理的に受け付けず、いつだってまともに取り合ったことはない。大体が、全く親しくもないのに名前で呼んでくるのが気持ち悪い。


「何度も言っているがオレの秘書になれ。給料だって破格になるんだぞ」
「そのお話は何度もお断りしております」
以前、魚心も下心も丸見えな異動人事を出したことろ、即座にしろがねが辞表を出してきたので無理強いが出来ない才賀だった。時折こうやって愛でに来ていれば、いつか手籠めにするチャンスにも巡り会えるというものだ。辞められてしまっては元も子もない。
才賀は、今日のところは諦めることにした。


「急いでおりますので」
「最近、帰りが早いそうだな。男でも出来たか?」
才賀はニヤニヤと笑っている。しろがねは社長相手に見下したように目を細めると
「可愛い犬を飼いだしたものですから。まだ、放っておけなくて、早く帰ってあげたいのです。それではお暇いたします」
とさっさと踵を返した。けんもほろろにあしらわれた才賀はしろがねの細い背中を忌々しげに睨んでいたが
「まあ、最終的には非合法ででも……」
と、美しい獲物を犯す絵を想像して舌舐めずりをした。





会社から最寄りの駅まで脇目も振らずに帰って来たしろがねが、毎日、唯一寄り道するのが駅中のスーパーだ。そこで適当に結構な量の買い物をすませ、重い買い物袋をぶら提げて自宅に辿りつく。時計はまだ18時を軽く回ったところ。
帰ろうと思えばこんなにも早く帰れるものなのだな。
鍵を取り出しながらしろがねは鼻で笑った。
もっとも、残業手当は一切つかないから身入りは確実に減る。利己的に定時で上がり続ければそれを悪く思う人間が出てくるのも理解できるけれど。そのどちらも、どうでもよかった。そうまでしても早く帰りたい理由が今のしろがねにはあった。
しろがねが鍵を引き抜くのと同時に、扉は勝手に内側から開いた。


「しろがね、お帰り」
玄関の扉の向こうで、短パンTシャツ姿の大男が笑顔で出迎えた。鍵の回る音がするとすぐに飛んでくるのだ。相手に嫌な思いをさせたくないので口には決して出さないが、『留守番していた犬が飼い主の帰宅に駆けつけるみたいだな』と心の中で考える。
「ただいま、ナルミ」
「お帰り」
ナルミはしろがねからたくさんの買い物袋を当たり前のように受け取った。
あの大雨の日から居候している大男が、しろがねが一刻も早く帰宅したい理由。
この4日ばかり、しろがねの生活リズムを変えた原因。


「特に変わったことはなかったか?」
タンクトップに下はスウェットに着替えたしろがねは、そうナルミに声をかけた。
大雨の翌日にしろがねが買ってきた服をナルミが大人しく身につけたことを受けて、帰宅後に下着姿で家の中を闊歩するのが常のしろがねも着衣することにした。ナルミが極力、動き辛くならないで済むように。


「いいやなんも。平和なもんさ」
ナルミはキッチンで夕飯作りに勤しんでいた。ナルミは意外と料理上手で、こうしてあるもので適当に食事を作ってしろがねの帰宅を待っていることが何となく常態化しつつあった。
「もしかして独り暮らしで自炊でもしてたんかな、オレ」
と記憶喪失のナルミはカラカラと笑っていた。ナルミの料理が美味しかったのでありがたく、そして遠慮なく作ってもらうことにしたしろがねは(彼女自身、料理は上手いのだが他人の料理は美味しいものだ)、その食材が切れぬよう会社帰りに買い物をしてくるのであった。


「……発作は?起きなかったか?」
しろがねはナルミの傍らに立ち、料理の手伝いをしながらそっと訊ねた。
「うん…発作は今日も起きなかった」
「そうか」
鳴海の横顔は穏やかだ。しろがねはほうっと安堵の息をついた。『もしかしたら今この瞬間、笑ってくれる者のいないマンションで鳴海が発作で苦しんでいるかも知れない』、しろがねは仕事中に時折、そんな考えに囚われてぞっとすることがままあるのだ。


「あれ以来、一回もねぇ。こんなに発作が起きないでいたことなんて……ねぇなぁ」
ナルミはしろがねの胸中を知らず、ニコニコしながら野菜を刻んでいる。
「ホントにしろがねの歌が、特効薬だったりしてな」
「まさか」
「分からねぇぞ?もしかしたら『好きな女の子守唄』ってのがミソだったのかもしんねーし」
「は?」


タマネギの皮を剥いていたしろがねの手が止まる。しろがねの瞬時の言動を受けて、ナルミはすぐさま
「冗談だよ」
と言った。呼吸を止めていたのか、しろがねは大きな息を吐き出して
「本当に……あなたの冗談は笑えない……」
と皮剥き作業に戻った。怒ったような口調になってしまったのはナルミに『好きな女』と言われた事で自分の中で湧き上がった感情を持て余してしまったからだ。どうしようもなく心臓がドキドキする。


「何だよー…」
ナルミはぷうっと頬を膨らませた。
「へえへえ。オレなんかが何言ったって冗談にもならんよな」
鳴海は少し乱暴に、刻んだ野菜をフライパンに放り込んだ。
そうじゃない。
しろがねは心の中で答える。
あなたの言葉が冗談なのか、本気なのか、と一瞬考えてしまう私がいるから。
ナルミが来てから、しろがねの心はいつも騒がしい。





消灯後、しばらく経ってからリビングに戻って来たしろがねは、真っ暗い部屋の中、ナルミが寝床のソファに腰かけて窓の外を見ているのを見つけ
「まだ寝てなかったのか?」
と声をかけた。
「まあ…な。ちょいと考え事…しろがねこそどうした?」
「ひとつ、家に持ち帰った仕事があったこと、思い出して」


しろがねは定時で上がるために、自分の仕事を全てきちんと終わらせているのだが、今日は帰りしなに上司からイレギュラーな頼まれ事をしていた。自宅でもできる仕事だったので渋々引き受けてきたのを忘れていた。
「元々起きているのなら…ここで作業しても構わないだろうか?」
「構うも何も。ここはしろがねの家だろが」
「そうか」
しろがねはローテーブルでノートパソコンを開くとカコカコと仕事を始めた。
「電気、付けてこようか?」
「いや、必要ない。ありがとう」


ナルミは足元に座るしろがねの顔がよく見える角度になるように、自分の居住まいを正した。黙って、生真面目な仕事モードのしろがねの表情に見入った。
「ナルミ…眠れないのか?」
画面に目を据えたまま、手を動かしながらしろがねが言う。
「不眠ってわけでもないだろう?初日はあっという間に眠ってたし」


ナルミは、自分からしてみたら甚く複雑怪奇な仕事を忙しなくしながら会話も出来るしろがねを少し尊敬しながら、
「あの日は草臥れ切って、精根尽き果ててたからな。今はもう…体力も勢力も回復して、むしろ有り余ってる。目が冴えちまってな」
「と言っても、外に出る訳にいかないしな」
「しろがねが仕事に行ってる間、室内で出来る限りの筋トレはしてるんだぜ?とはいえ走り回ったり、飛んだり跳ねたりはできねぇからよ。やっぱ発散しきれてねぇんだよなぁ」
「そうか…」


しろがねは困ったように眉を顰めて、ふう、と小さく息をついた。会話が途切れ、暗い室内にはしろがねがキーを打ち込む音だけが響く。
「こんだけ元気になったんだ……そろそろ、ここを出てかないとな、オレ」
闇に溶かすかのように、ナルミは掠れた声で言った。
「え?」
しろがねのキーを打つ音が乱れる。


「ここに匿ってもらうのは体力が回復するまで、って約束だもんな」
「でも…記憶は戻ってないし、行く宛てだってないのだろう?」
しろがねの指が猛スピードで動き出した。思わず話の流れが深刻な方向になってしまったので、こんな他人の頼まれ仕事に神経を割くのがもどかしくなり、とっとと終えることに決めた。


「そりゃその通り。だからまぁ…ここを出た後どうするか、それを考えると頭が痛ぇが……ゾナハの発作が出なくなったのはすげえデカいからなぁ」
「本当に治ったかどうかは、まだ確証がないだろう?もう少し様子をみてみないと」
「それも一理あるけどさ、ゾナハの発作って本当に忌々しいくらい頻発してたんだぜ?それがこの数日ピッタリ止んでる。ありえねぇんだよ、こんな平和なの。これならきっと何とかなるだろ」
「何とかって…どこに身を寄せる?先立つものだって…無目的に歩き回っても、あなたが自分のすべきことを思い出す前に病院関係者に見つかるのが先だと、目に見えていないか?」
「それも…その通りなんだけどさ」



しろがねは目まぐるしい勢いでキーを叩くと、バシリと力一杯エンターキーを鳴らす。鬱陶しいノートパソコンを閉じ、言い放つ。
「だったら、今しばらくはここにいればいい」
「うー…」
「せめてあなたの記憶が戻るまで、ここにいればいい」
ナルミは頭をガリガリと掻いて、口を引き結んだ。


「そう言ってくれんのはありがたいんだけどよ、氏素性の分からん無駄飯喰らいをいつまでも匿ってもられんだろ?」
「無駄飯喰らいではないだろう?食事を作ってくれるし。私は助かっているぞ?」
ナルミは特大の溜息をついて肩を落とす。
「それって、おさんどん、ってこったろ?ぶっちゃけ、男を指す言葉じゃねぇよなぁ」
「では独り暮らしの女の身の回りを守ってくれている、と言うのは」
「番犬、ってことか」
「そういうつもりじゃ…」
思いも寄らず、NGワードに踏み入ってしまい、しろがねは慌てて言い取り繕おうとした。


「わあってるよ。別に『犬』ってのに引っ掛かってるわけじゃねぇよ?」
ナルミもそれを察して大きな手の平で制する。
「ただ…さ、今の現状は男として情けねぇにも程がある、っつーかさ」
「あなたは記憶を失くしている。そして、不可思議な監禁を行っていた病院関係者に追われているのだろう?確かに女の庇護下にあるこの状況は、男としてのあなたのプライドからしてみれば我慢ならないのかもしれないが、どうしたって仕方のないことはあるだろう」
「……まあ、そうなんだが」
ナルミはまた頭を掻いた。あんまりに掻き過ぎて、髪の毛がモシャモシャになっている。しろがねはフッと目元を緩めた。


「乗りかかった船だ。私は、あなたの記憶が戻って、あなたが自分の為すべき事を思い出してここを飛び出していくまで、いてくれて構わない」
「そんな悠長なこと言って……オレの記憶……この先何年も、何十年も戻らなかったらどうすんだよ」
「言葉通りだ。記憶が戻るまでいればいい」
しろがねのその言葉を受けて、ナルミの瞳が見開かれた。そうしてこれまで以上に真面目な顔をしろがねに向けると
「しろがね…オレにはおまえにそこまでしてもらう理由がない」
とキッパリと言った。しろがねも負けじと大きな瞳で見返して、言う。


「別に私は軽い気持ちでなんか言ってはいないぞ。あなたは私に気兼ねすることはない。私は、私の意志で、あなたのことを助けたいと思っているだけだ」
「何でそこまで、オレに」
ナルミは項垂れ、深く目を閉じた。ともすると勘違いしそうになる思考を懸命に修正する。
この女はただのおせっかいやきなのだ、と自分に言い聞かす。
「私といるの、嫌か?」


薄く目を開けると、何故か懇願するかのような表情のしろがねがナルミを覗き込んでいた。暗闇でも分かる潤んだ銀の瞳が間近に自分を見上げている。ナルミは自分が耳まで赤くなったのが分かった。
「嫌……て……」
ナルミにはしろがねの考えていることが全く理解出来ない。
ただ自分の脳ミソが煮えてきたのは理解できた。
「だ、だってよ…オレがいることで…おまえには何のメリットもねぇだろ?おさんどんとかじゃなくてさ、こう…なんつか、そう!もっと広い目で考えてみろよ。大体が、オレがいたら好きな男も連れこめねぇだろ?まー…必要とあらば外で済ましてくるんだろうが、それはそれにしても…」
「そんなに私は、あなたから見て遊んでいるように見えるのか?」


しろがねの瞳が悲しそうに揺らめいた。ナルミは心臓がドッドッと駆け足になり、奇妙に乾き始めた喉を潤すために唾を呑み込んだ。
「いや、しろがねがどうの、ってんじゃなくて…男が放っとかんだろ?」
しろがねの脳裏にあの本社社長の下心たっぷりの笑い顔が浮かんだ。
私はさすがに、誰彼構わずついていかないだけの分別、くらい持ち合わせているが。
しろがねは、自分を貞操感が欠如しているかのように言うナルミを腹立だしく思った。ナルミの発言はしろがねを揶揄したもの、というよりはむしろ、遥かに嫉妬を含んだものだったのだが、しろがねには知る由もない。





私は何故、あなたに離れて行って欲しくないのだろうか?
どうしてこんなに、あなたが気になるのだろうか?
私は…自分で自分が分からない。
私はあなたが言うようには遊んではいないし、男好きでもない。
なのに、私の中には、あなたに抱かれてみたいという衝動が渦巻いているのは事実。
あなたに出会った時から。


そうだな。
あなたが私を『遊んでいる男好きの女』だと思うのならば、それを逆手にとってみようか?
私を「男が放っておかない」、そう言うのであれば、男であるあなたもまた、例外ではない。





「要は、私にメリットがあれば、あなたを匿い続ける理由になるのか?あなたは納得するのか?」
しろがねは静かに訊ねた。ナルミは少しの間考えて、コクンと首を縦に振った。
「やっぱさ、『寄生』ってのには抵抗があるわけよ。『共生』ならともかく。でもそれにゃあオレばっかに利があるんじゃなくて、しろがねにも得るものがねぇと。今のままじゃ『寄生』だからな、何だか…悪くてよ。バランスが」
「あなたにはそれが我慢ならないと」
「記憶が戻るまで……それが数日で戻るってならいいさ。でも実際はいつ戻るか分からん。下手したら一生戻らんかもしれん。そんなあやふやなものをアテにして、しろがねの好意に甘えるわけにはいかねぇ」
「……」
「オレが転がり込んで、しろがね、その、不自由することもあるだろ。ほら色々とさ?しろがねばっか我慢させて、オレがこんなのうのうとしてんじゃあ」
「身体動かせなくて不自由しているじゃないか」


ナルミは身体を起こすと大袈裟に肩をすくめてみせた。
「それはほら……オレ自身が持ちこんだ問題であって、しろがねのせいで不自由してるんじゃねぇだろ?」
「要はメリットもデメリットもイーブンでなければいけない、ということか」
「ああ。少なくてもな」
「そうか……それなら私があなたに不自由をかければいいのだな?」


しろがねはナルミのすぐ傍に腰を下ろした。突然のことにギョッとしたナルミが後ろに身を引いたが逃げ場は殆どなかった。星明かりに浮かぶ綺麗な顔と、タンクトップをはち切れそうなくらいに膨らます柔らかそうな胸と、どっちに視線を定めていいか迷っているナルミの頭に、しろげねは白い手を伸ばし、散々掻きむしって鳥の巣を作ったその髪に指を挿し入れた。
「お、おい」
展開の速さについていけずに石の様に固まるナルミの膝に乗り上げて、しろがねはゆっくりと唇を重ねた。



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