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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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5.薬降る



東京郊外某所。
閑静な高級住宅街、居並ぶ家家のどれもが城塞のような、その中でも一際大きな邸宅に一台の高級外車が近づいた。見上げるような巨大な門が静かに開き、黒塗りのリムジンは殆ど減速することもなく邸内に進入し、広大な敷地を少し進んだ先に佇む洋館前のロータリーにしずしずと停車する。運転手が後部座席へと回り、慇懃ぶった仕草でドアを開けると中から固い表情の少年がひとり降り立った。


「勝様、お荷物を」
分かりやすいくらい事務的な口調で手を差し伸べるメイドに
「いいよ、自分で持てるから」
と、目を暗く伏せたまま、勝はそそくさとランドセルを背負った。勝の歩みに合わせ、玄関に整列するメイド達が
「お帰りなさいませ」
と頭を下げた。


形ばかり。心のこもらないのが見え見えの言葉。
勝は小さな溜息をついて、これまた小さな声で
「ただいま」
と言うと、儀礼的に少年に頭を下げる一団の前を速足で通り過ぎた。
ここにも、誰も、勝のことを本心から気にかけてくれる人間は一人だっていない。
そんなこと、慣れっこだけど。


勝は玄関をくぐった足で応接室へと向かい、その硬い扉をノックした。扉はしばらくして内側から開かれた。
「勝、帰ったのか」
そう、肉親であるこの叔父でさえも。勝自身のことには興味などない。
興味があるのは勝が相続した遺産。


そんな勝の脳裏にひとりの青年の面影が浮かぶ。
最愛の母親と死別してから今日までで、ただひとり、勝に温かく笑いかけてくれた人物。
ひとりぼっちの勝のために、何の縁もない見ず知らずの少年のために命をかけてくれた恩人。
勝はきゅっと唇を噛み締めた。


「善治おじさん、ただいま帰りました」
勝は頬を強張らせたまま、自分をどこか憎々しげに見遣る叔父・善治に頭を下げた。





過日、軽井沢で勝に脚を圧し折られた善治は、以来、自宅に仕事を持ち込むことが多くなった。年のせいか、既に常態化していた不摂生のせいか、完治が長引いた上、リハビリも満足に行わなかったために、すっかり動くのが億劫になってしまった善治だった。勝の登下校同様、行き帰りは社用車が出るので問題はないはずなのだが、仕事に赴くのではなく仕事にやってこさせる楽を覚え、それが惰性で続いている。彼の会社は社長である彼が直接動かなくても回るシステムが完璧に出来上がっているので、人に会う用事以外のトップダウンは別段、自宅でも出来るのだった。


だから大抵、勝が帰宅してくる時分は応接室でダラダラと仕事をしているか、お気に入りのメイドを連れ込んで『会話』をしているか(秘書がドアを開けてくれない時は『会話』中らしい)、いずれにしてもだらけた空気が屋敷中に漂っているのが常だ。
だが、勝はここ数日、いつもとは全く違う雰囲気を感じていた。
善治が勝の表情を窺うような、ピリピリと神経質な顔色を見せるのだ。


「挨拶が済んだならさっさと自室に下がるんだ」
甥に対する温かみが一切ない口調、善治は顎をしゃくって出ていけの意思表示をした。勝にしても別に長居する気はサラサラないので、失礼します、と頭を下げ、今入ってきたばかりの扉に向かう。そんな勝の背中に珍しく善治が更なる言葉を投げた。


「……勝、おまえ、何か連絡を受けてるんじゃないのか?」
取っ手にかけた自分の手元を見つめていた勝の眉がぴくりとする。
確かに勝はとある人物から定期的に連絡を受けている。勿論、善治に知られぬよう隠密に。
勝は善治がそのことに感付いて鎌をかけているのではないか、と警戒し、それを気取られぬよう振り返ると
「連絡、って何のこと?」
と素知らぬフリをした。


「僕には学校でだっておじさんの監視がついているのに?どうやって誰と連絡を取れるの?」
勝は善治に非難がましい皮肉を言った。その子どもらしからぬ暗さを湛えた強い瞳に善治は怯み、
「……何でもない。私の勘違いだ」
と話を切った。
「おじさん?……何か変だよ?」
「もういい。下がれ」
善治の顔色に、勝はとある予感がパッと閃いた。
「……まさか、兄ちゃんに」
「下がれ!」


善治が大声を張り上げた時、応接室の扉がバタン!とけたたましい音を立て、その前にいた勝を跳ね飛ばすかの勢いで開いた。そして老年に差し掛かった男性がひとり、応接室に慌しく駆けこんできた。男性は扉の陰になった勝の存在には気づかない。勝が『初めて見る顔だなぁ』とさりげなく観察していると、その男は気になることを喚くように捲くし立てた。
「才賀さん、申し訳ない。あの大男がどうしても見つからない」
勝はハッとする。勝が『大男』から連想するのはただ一人。
やはりさっきの予感は当たっていたのだ。


「半径を広げてしらみつぶしに探してはおるんだが依然不明のままだ。病院から着の身着のまま、裸足のままだからそんなに遠くには」
「勝!早く出ていけ!」
善治が血相を変えて叫んだ。勝に気づいた男は自分の失態に蒼ざめ、口を噤んだ。
「やっぱり兄ちゃんに何かあったんだね?!兄ちゃんが病院からいなくなったの?!どうして?!兄ちゃんはどこに行ったの?!」
「おい!そのガキを摘み出せ!」
「約束じゃないか!兄ちゃんをちゃんと治すって!治るまで病院で最高の治療を受けさせてくれるって!」


勝は善治の怒号に負けじと矢継ぎ早に叫んだが、秘書に首根っこを押さえられ、乱暴に廊下へと放り出された。
「おじさん!」
勝は懸命に食らいついたが駆け付けた善治のボディガード達に手荒く自室へと連れて行かれ、外から鍵を下された。


「痛た…」
床に痛打した頭を押さえ、顔を顰めながら勝は身体をゆっくりと起こした。
「兄ちゃん……鳴海兄ちゃんに何かあったんだ……」
応接室から自室までの短い間にこしらえた手足の打ち身を擦りつつ、勝は自分の命の恩人、加藤鳴海のことを思った。





少しに前に起きた、勝の遺産を巡る誘拐と殺人未遂。
「サーカスに連れてってくれませんか?」
キグルミを着てバイトをしていた鳴海にそう勝が声をかけたことが発端となり、怒涛の如く事件は起きた。鳴海は勝を暴漢から救い、匿い、誘拐されてしまっても助けにきてくれた。勝の大事な人なのだ。誰にも気にかけられなかった勝に笑顔と勇気を教えてくれた人。鳴海がいなかったら死んでいたに違いない。もしくは今は違った心持ちで善治の養子でいただろう。


誘拐先の軽井沢の別荘が大爆発を起こした際、勝を庇った鳴海は左腕切断という大怪我を負った。意識を失い、出血多量で一刻を争う鳴海を前に形勢逆転を見て取った善治は、勝に再度、自分の養子になるように迫った。養子になれば鳴海の命を助けてやろう、今すぐ手術をすればこの千切れた腕は接合できるだろう、今すぐ返事をしなければ、何かの拍子にこの不安定な瓦礫の山は男の上に崩れてしまうかもしれないな、と、善治は今にも鳴海を押し潰そうとしている岩塊を折れてない足で蹴りながら言った。
下卑た笑いを浮かべて。


勝は。
善治の申し出を無条件で飲んだ。
鳴海は命をかけて自分を助けてくれた。
だから今度は、自分が鳴海を助ける番。
自分と出会わなければ、鳴海はこんな目に合わなくても済んだのだ。
でも、鳴海と出会ったから自分の中には滾る勇気が生まれた。





「兄ちゃん…兄ちゃんの身に何が起きたんだろう…」
勝はグルグルと考えを巡らせた。
善治は約束通り、事故後、鳴海に最高の医療を受けさせ、その命を助けた。勝を養子にするためには、鳴海が死んでしまっては元も子もないからだ。勝を言いなりにするためには鳴海は体よく人質になっていてくれなければならない。その点、重体であった鳴海が快方に向かい、縫合術も無事に済み、腕もほぼ元通り動くことが分かっても、記憶喪失であったことは善治にとっての福音であった。余計な事を口にされる心配もないし、容易に薬漬けにして飼い殺すことが出来た。


善治は勝に
「鳴海は他県の最高級リバビリ施設に入院中。懇ろに療養させている」
とだけ言い、どこの病院にいるのかも教えてはくれなかった。勝もそれ以上は訊かなかった。訊いても無駄だと言うことが火を見るより明らかだったからだ。
それに勝は善治に直接訊くよりもはるかに信憑性のある情報の伝手を持っていた。元は自分の命を狙っていた黒賀の人形使い、阿紫花。勝は先程、軽井沢の事件後も水面下で繋げている阿紫花とのラインを善治に疑われたのかと思ったのだった。


「あ、そうだ、ヒロシの手紙!」
勝はポン、と手を打った。自分と一緒に部屋に投げ込まれたランドセルの傍に這うように駆け寄ると、中から紙切れを引っ張り出した。自由帳のページを無造作に破った白い紙に子どものラクガキが書き散らかしてあって、それが汚く4つ折りにしてある、一目見ただけでは即行ゴミ箱行きのシロモノだ。


ヒロシ、というのは勝が入院している間に同じクラスに転校してきていた少年だ。ひょろっとしていてあまり目立たない感じで、そんなに友達を作っているようにも見えなかったがそこそこクラスに溶け込んではいるようだった。
そんなヒロシが、退院明けて久し振りに登校した勝に自己紹介しながら、これと同じようなラクガキまみれの紙切れをくれた。
「これあげる。絵が下手なんだ。必ず家で見てね、恥ずかしいから」


言葉通り、勝が帰宅してから見てみると、そこには阿紫花からのメッセージがあった。一見、子どもの他愛のない文章なのだが、勝にしか分からないようなキーワードを織り交ぜてヒロシの字で書いてあった。勝にはすぐに分かった。勝もヒロシに同じような返事を書いて渡した。
それから勝とヒロシの不定期な『手紙交換』が続いている。


ヒロシは阿紫花の手下である羽佐間の息子で黒賀の子だった。厳しい監視下におかれるだろう勝との連絡係として前もって、素性を巧妙に隠し勝の通う小学校に転校させておいたらしい。流石に学校内の友達同士のやりとりまでは善治もノーチェックだった。
何かの折に、勝が暗にそのことをヒロシに訊ねたら彼自身はすっかり納得しているようで
「僕の地元ってそういうところなんだよ」
と笑っている瞳が鈍く光った。淀んだ歴史の裏で暗躍してきた村の子も、どこか『そう』なのだろう、勝は思った。


そういった訳で、勝は知っていた。他県で最高の腕のリハビリを受けている筈の鳴海が何故か、都内の『精神病院』に入院させられていること。一般病棟に鳴海はいないこと。『隔離病棟』に『収監』されているらしいこと。尤も、鳴海はそこの病院に『入院していない』ことになっていること。


鳴海が不遇な状況に陥っていることは想像に難くなかった。鳴海を助けたつもりが、鳴海を更に不幸な目に合わせてしまっていると知って、勝は涙を零した。でも鳴海は泣くなと言った。だから勝は泣くのを止めて、どうすべきか足掻くことにした。
何とか鳴海を取り戻したかった。でも自分が下手に動けば鳴海を盾にされ、更に鳴海を取り巻く環境が悪化する可能性もあった。鳴海、そして勝自身も含め、この不遇な現状を打破するためにはともかく、鳴海の身柄の確保が先決だった。


勝は興奮する震える手で紙きれをガサガサと開いた。
阿紫花さんからの連絡に兄ちゃんのこと書いてあるかもしれない。
思った通り、そこには鳴海のことが記されていた。そしてそれは、勝が予想もしなかった事態の急展開を告げることだった。


鳴海が病院から自力で脱走したこと。
善治側も阿紫花も懸命に探しているが鳴海の消息が不明なこと。
依然、鳴海から何のアクションもないこと。
「いなくなった……」
勝の頭は更に速くグルグルと考えを巡らせ始めた。


先の善治の部屋での話だと、鳴海はとにかく身一つで逃げだしたようだ。それは彼にとって病院は脱出せざるを得ない地獄だった、ということだろう。移動手段もなく、目立つ風体をしている鳴海のことだ。どこかで力尽きたのならば今頃既に見つかっているに違いない。それが見つからないのだとすると、何らかの伝手を頼って潜伏しているものと思われる。自分に連絡がないのが気になるが、逃げるのに手一杯で連絡している余裕がないのだろうと思う事にした。善治側に見つかったらまた病院に連れ戻されてしまうのだから用心に用心を重ねているのだろう。
よもや鳴海が記憶喪失であるとは勝には知る由もない。それに、もしも鳴海が「オレをこんな目に合わせた勝にはもう関わり合いになりたくない」と距離を置いているのだとしても、それはそれで仕方のないことだ。


そうだとしても、鳴海が勝の恩人であることに変わりはない。
善治に見つかる前に鳴海の安全を確保するのは勝のすべきことだ。
勝は強い意志の光の宿る瞳を上げた。
勝を善治の元に縛り付ける人質が消えた。
勝は机に向かうと、受け身の立場から攻勢に出るための手紙を阿紫花に向けて書き始めた。



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