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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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4.梅若の涙雨



長くて嫌な回想から現実に戻って来た男は、天井を見上げて疲れたように大きな息を吐き出した。そんな経緯もあって、例え話であっても犬扱いされたことで過剰な反発を見せてしまったのだが、相手にしてみても男の無礼な警戒ぶりに思わず出てしまった『犬』なのだろうとは思う。恩人(ではない可能性も決してゼロではないが)に対して喧嘩腰でいるのもどうかとも思う。少し落ち着いてみれば事情をまるで知らない初対面の女に噛みつくのも男としての器量が狭かったな、といささかの自己嫌悪を禁じ得ない。


男は頑固者ではあったが自分の非は非だとすぐに認めるだけの素直さは持ち合わせていたし、何よりも単純な性質だったから謝るべき時は即謝らないと何となく気持ちが悪かった。だからそーっと、女の様子を窺った。チラ、と男が盗み見ると銀色の女は何やら小難しそうな顔をしていた。「18…」と唇が動いたのが分かったので、まだ男の年齢を怪訝に思い考え込んでいるようだった。
(ちぇ。大きなお世話だっての。これでも自分で気にしてるってのによ)
男は唇を尖らせて、謝るタイミングを計った。そして計っているうちに何時の間にか、男は女に見とれていた。





煌く銀髪。
不思議に揺らめく銀の瞳。
透き通るように白い肌。
綺麗、としか表現できない顔。
言葉少なさを補って余りある、表現豊かな姿態。
女性美、そのもの。





ぼうっと見つめる男の口元は知らぬ間にポカンと開いた。女が瞬きをする毎に長い睫毛が滑らかな頬に影を落とす様に見入っていた。これまでにこんな綺麗な女を他に見たこともなかった。
平平凡凡な男の人生になど縁もない美女。
だのに何故か、見れば見るほど、言葉で言い表すのは難しいけれど、どこか懐かしい気がするのは何故だろう。初対面なのに、この銀目銀髪の女とどこかで昔会ったような、そんな不可思議な心地はどこから来るのだろう。
思えば確かに、あの橋でコイツに声をかけられて目を合わせた時には…オレは…既に…。





「何だ?私の顔に何かついているのか?」
男の視線に気がついたしろがねが突然話しかけてきたので、男の心臓が引き攣れたような音を派手に立てた。女があのでっかい銀色の瞳で睨むようにじっと見ている。
男は見とれていたことを本人に気付かれて狼狽し
「いや、何でもねぇ!」
と急いで目を逸らした。心臓がやたらドキドキする。
「何だ?何でもないって反応ではないだろう?」
「ホ、ホント、何でもねぇって」
「さてはまた、私のことを悪く考えていたな?全く…」


しろがねはプイとそっぽを向いた。少しむくれて頬を膨らましたように見える。そんな表情に、男はちょっと目を丸くして、「ああ」と息をつくように苦笑をした。
「な…今度は何?」
「オレはアンタにもう一つ謝んなきゃだなあ」
「は?」
男が気色ばむ自分に白い歯を見せたので、しろがねは唖然として返す言葉を見失ってしまった。


「一つは……犬、って単語に噛みついてスマン。逃げてきた病院でよ、ソレ絡みでちっと…あったもんだから過剰反応しちまった。アンタはそのことに関係ねーし、こんな氏素性の分からねぇオレを助けてくれたのに…無礼なことも山ほど言った。嫌な思いさせたな、スマン」
男が急に首を垂れたものだから、しろがねは反射的に男の足元に膝をつき、その長い黒髪の内に隠れてしまった顔を覗こうとする。
「あ…それは…私も言葉の選び方が…」
「それからもう一つ、人形呼ばわりして悪かった」
「……」
「アンタ、無表情ぽいし笑わねぇからよ…売り言葉に買い言葉で、つい…でも、ちゃんと見れば、完全無表情じゃねぇの分かるからさ…傷つけたのならこれも謝らねぇと、って…スマン」
男は更に大きく頭を下げた。


「人形じゃ…ない…」
「ああ、アンタは人形なんかじゃねぇよ」
しろがねはどうしてか胸の中がじんわりと温かくなって、理由も分からず泣きたい気持ちになった。物心ついた頃から涙を流した記憶のない彼女だったけれど、知らず熱くなる目頭に戸惑った。何故、こんな気持ちになるのかも分からなかった。
胸に手を置いて心を探る。不思議と心は癒されていた。


「い、いい…もう…気にしてないから、頭、上げて…」
言葉を受けて男は顔を上げ、目のあったしろがねに明るい笑顔を見せた。
ここに来てから喧嘩腰で和やかさとは無縁だったけれど、この人はこんなに屈託のない笑顔を作れる人なんだ……。
息を止めて間近で見惚れてしまっているしろがねに特に変とも感じないのか、笑顔のまま
「そういやあ、何だかんだでアンタの名前、聞いてなかったなあ」
なんて言う。
見入っていた自分に気づいて、今度はしろがねが心臓をドキドキさせる番。


「しろがね」
「しろがね…か。見た目にぴったりだな」
「あなた」
「ナルミ、でいい。苗字なんだか名前なんだか分かんねぇけどよ」
「では…ナルミ」
「何?」
「急にどうした…?あまりにも態度が変わったから…その、私は…」


自分の戸惑いを誤魔化したくて、その原因があたかも目の前の男・ナルミにあるかのように話を誘導する。ナルミも自分の心境の変化が急すぎたと自覚しているのでしろがねが困るのもさもありなんと思っている様子。
「とりあえず、体力が回復するまではここに厄介になるんだし…その間中、険悪なムードってのも居心地悪ィからさ。別にオレ、しろがねと喧嘩がしてぇワケでもねぇし」
「そうか…ナルミは…私が嫌いで突っかかってきてたわけではないのだな?」
「嫌、ってなんか…つか、むしろ、その…あー、スマン」
ナルミは罰が悪そうに頭をガリガリと掻いた。
「そうか…」


しろがねの表情は変わらない。けれどその目元、口元がほんの僅か緩んだようにナルミには見えた。
硬い表情、この手で温めたら、どうだろう、柔らかくはならないか?
しろがねを温めてやりたい気がした。ゆっくりと、白い頬に手を伸ばす。『触れたら、保健所送りにされるかな?』と口に出したら怒られるだろうことを心の中で呟きながら、それでも触れたい衝動に逆らう事ができない。しろがねも逃げない。
後、もう少しで頬に触れるその刹那、





ぜひっ。





ナルミの手の平は自分の首元を押さえていた。
「あ…?」
ひゅうひゅうと空気が漏れ出すような、傍で聞いているだけでも苦しくなる呼吸音。ナルミは小山のような背中を丸め、身体をふたつに折ってガクガクと震えだした。突然苦しみ出したナルミにしろがねは為す術もなく、
「どうかしたのか?おい、大丈夫か?」
声をかけ、背中や肩を摩ることしか出来なかった。


「苦しいのか?どこか…悪いのか?」
「オレは…ゾナハ病って不治の病持ちでな…これはその発作よ」
ぜひぜひと絶え間なく続く喘ぎの最中、ナルミは答えた。眉間に皺を寄せる自分の心配を少しでも軽減させようとナルミが頑張って笑顔を作っているのがしろがねには分かった。
「発作を止める薬は?薬は…どこだ?持っていないのか?」


しろがねは玄関に放置したナルミの病衣を探りに行こうと膝を立てる、が、
「この病気につける薬はねぇんだよ」
の言葉に詮無く元に戻った。
「ただ…」
「ただ?」
「誰かが…オレに笑いかけてくれれば…止まる。他人を笑わせる事、それが…発作を止める唯一の方法…。誰も笑ってくれなきゃあ死に至る。そーゆー…フザケた病気だ」
「わ…笑う…?」
ぜーぜーと苦しげな息をつきながらナルミは身体を起こした。


「今から面白い冗談を言うぜ」
「は、はいっ」
「おまえはオレの女になる」
「……」
「……」
「……」
「……止まんねぇなぁ…発作…」
「だ、だって今の冗談、私、笑えない…私には冗談になってない、かも…」


ナルミはがっくりと床に両手をついた。
「わ、私は…笑ったことがなくて…」
「しろがねは笑うの、苦手かァ…ま、オレの笑わすの苦手だからよ…」
「すまない…すまない…」


激しい痛苦に責め苛まれているナルミを助けることの出来ない自分にしろがねは愕然とした。ただ笑うだけなのに!笑いさえすればナルミを発作から救ってあげられるのに!人間なら、人間だからこそ作れる笑顔を欠片も作れない自分をしろがねは責めた。
やっぱり、私は人形なのだ。
しろがねは己の無力さが悔しくてギリギリと唇を噛んだ。


「しろがねは笑えねぇ…誰かを笑わせに表に出る事もできねぇ…せっかく逃げてきたってのに…こんなとこでゲームオーバー…かよ」
呼吸がままならない、全身が締め付けられるように痛い。誰かがコメカミをハンマーで殴ってる。
視界が狭まる、世界が回る。
ナルミの身体がぐらりと傾いだ。その頭を、何かとても柔らかいモノが抱き止めた。





かわいいぼうや

愛するぼうや

風に葉っぱが舞うように

ぼうやのベッドは ひいらひらり

天にまします 神さまよ

この子にひとつ

みんなにひとつ

いつかは恵みをくださいますよう





最初のうち、ナルミは自分の置かれている状況がよく分からなかった。自分が顔を突っ込んでいるのがしろがねの豊満な胸の谷間だということにも気付かなかったし(気付いても気付かないフリでいたし)、リフレインされるメロディーが子守唄だということに気付くまでにしろがねが何十回歌ったのかも分からなかった。
「子守唄……歌ったところで……笑ってくれなきゃ……」
ナルミは大きな溜息をついた。肺の中がすっかり空っぽになって次の吸気を始めても、自分が普通に呼吸していることにしばらく気がつかないくらいに、幸せな感触に浸っていた。


「あ?あれ?」
ナルミは自分の喉元を押さえ直す。
「どうかしたのか?」
「……何で……?発作…止まった…」
ノロノロと、名残惜しく、しろがねの胸元から身体を起こす。


「大丈夫なのか?もう、苦しくないのか?」
「うん…」
血相を変えたしろがねがナルミの顔を覗き込む。
「何でだ…?何で、発作、止まったんだ…?しろがねを笑わせたわけでもなんでもねぇのに。何でゾナハの発作、止まったんだろ…分っかんねぇ…」
「ナルミ?」


不可解そうなナルミにしろがねの眉がきゅっと寄っている。ナルミはヘラリと笑って何でもないと手を振ってみせた。
「でもまあ、結果として発作は止まったわけだし。笑顔でなくて子守唄でも」
「私の子守唄で止まった、って確証もないだろう?」
「そりゃ確証はねぇけどさ、何なら次、発作が起きたときにでも試してみりゃ分かるさ。ま、いいよ。楽になれば何でも」
「とにかくよかった…」
しろがねはホッと胸を撫で下ろしながらも、拭えない罪悪感に目元を歪めた。


「ナルミ」
「ん?」
「すまない。笑ってあげられなくて。笑うことができていたら、あなたはもっと早く苦しみから逃れられたのに」
「いいよ、大体こんな発作見て突然初見で笑えって言われてもそうそう笑えねぇだろ」
「でも…」


ついさっき、ナルミが謝るまでのしろがねは眉尻も目尻も釣り上がったような顔ばっかりだったけれど、今では眉間に皺を寄せて心配そうな顔ばかりしている。
オレ、もっと違う顔、コイツにさせたいんだがな。
ナルミは小さく苦笑した。


「何だか知らんがオレに悪いって思ってんなら…これでチャラな」
「わわっ、何をする」
ナルミはしろがねの膝に頭を載せると、ごろん、と寝そべった。下から見上げるしろがねは粟を食ったような顔をしている。これもまたナルミがさせたいと思う表情ではないけれど、怒ったり心配したりする顔をさせるよりはナンボもいい。
「全くもう…」


しろがねはナルミを追い払おうとはしなかった。寝位置を定めようとナルミが頭を動かす度に長い髪が太腿をくすぐってこそばゆい想いをしたが、いきなりの膝枕に少しも嫌な気持ちにはならなかった。自分の膝の上で、ナルミは気持ち良さそうに目を瞑っていた。
「苦しかったのだな…短時間だったのに、こんなに額に汗が滲んでる」
しろがねは汗で貼り付いたナルミの鬢の毛を指先で整え、そうっと撫でるように髪を梳いた。
「疲れたか…?」
しろがねが訊ねると
「うん…」
と夢心地な返事が戻って来た。
「そうだろうな」


あの大雨の中を病院から逃げて来て、傘もささず途方に暮れて、いつかかるとも知れない追手に気を張って、そして死線と紙一重の激しい発作に苦しんで。ようやく睡魔を受け入れることが出来たのだ。自分の膝が安眠の地に選ばれたことが、しろがねは何だか嬉しかった。
「上、着ないで寒くないか?」
しろがねの問いかけに、もう返事はなかった。ナルミはまさに泥のように眠っていた。ぐったりと、死んだように眠っていた。そのあどけなく無防備な姿にしろがねの頬が緩んだ。頬や唇、鼻筋を指先で辿ってみる。
「あなたは……一体、何者なのだろうな……」
初めて会ったはずなのに、私にこんな想いを抱かせたあなたは誰なのだろう…?


しろがねはナルミの傷痕に愛おしげに触れる。
ふたりの出会いの、長い一日は静かに終わった。



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