忍者ブログ
『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。







3.卯の花腐し



「先に適当に食べていろ、と言っただろう?」
念願の熱いシャワーをようやく浴び終えたしろがねは、リビングに戻って来てローテーブルの上の白いビニル袋が自分が置いたままなのを見て、ソファに身動ぎもせずにふんぞり返っている男に言った。彼女が雨の中を苦心惨憺して買ってきた食材にまるで手がつけられてないのだ。その言葉に男は、いまだ警戒を解いていない瞳でギロリとしろがねを射抜いた。
「毒は入ってないぞ。それともそれ程空腹ではないのか?」
「いや、腹はすげー減ってる」
「ならば言われた通りに食べていれば良かったものを」


しろがねは濡れた銀色の髪をタオルで拭きながら、男とローテーブルを挟んで向かいの床に腰を下ろした。すると男はゆっくりと身体を起こし、しろがねと視線が同じ高さになるくらいに大きな身体を出来るだけ屈め、
「アンタが来るのを待ってた」
と言った。思いがけない台詞にしろがねの銀目がまあるくなる。だが、
「…飼い主も腹減ってるかもしれん。腹減ってる飼い主よりも先に食い物に手をつけるのはまじーかなー、と」
との続きにしろがねは瞳をすぐさまスッと細くした。男がしろがねを待っていたのは健気だからでも何でもなく、ただ皮肉をぶつけたかっただけなのだと分かったからだ。


「その飼い主とか、止めろ。私はあなたを犬だなんて思ってないのだから」
「でもよ、オレはアンタが雨の中で拾ってきた犬なんだろ?」
「止めてくれ。例えだと言ったろう?」
「拾ってもらったオレは飼い主のアンタに敬意を払わないとな、捨てられちまう」
「止めろと言ってる!」


どうしてこんなにもこの男は私につっかかる?私が一体何をしたと言うのだ?
しろがねはやや語気を荒げて言い放った。
「ならば飼い主からの命令だ!今後一切、犬とか飼い主とか、そういうことは口にするな!そして大人しく食べろ!」
しろがねはキッチンにアルコールを取りに行くために男に背を向けた。
男は面白くなさそうに口を噤むと、ふん、と細い背中に向けて鼻を鳴らし、まだ雨滴で光るコンビニ袋に手を伸ばした。ガサゴソとうるさいビニルの音の陰で小さく、
「うぉんうぉん」
と吼えた。





ワインで口を湿らすしろがねの向かいで男はガツガツと食らった。本当は余程腹が空いていたのだろう、選り好みもせず、袋に手を突っ込んで出てきたものを手当たり次第に平らげていく。男の健啖ぶりはしろがねが見ていて気持ちいいくらいだった。男は、食べ物と一緒に2リットルのペットボトルをゴッゴッと呷り、食べ物を胃に流し込んでいく。
それにしても大きな男だ。傍らに山が生えたように思える。男が上半身剥き出しのままでいるので改めて、その肩にも胸にも腕にも、こんもりとした筋肉が律動しているのが具に感じ取れ、しろがねは密かに感嘆した。それだけ男の肉体美は見事だった。


ただ一点、男の左肩に刻まれた手術痕が惜しいと思った。もげた腕を継いだような、何十針もの縫合痕が痛々しかった。見たところ、傷痕はまだ真新しく、男も若干もどかしそうに左腕を使っている。何か大きな事故に巻き込まれたに違いない、この男の記憶喪失はその事故に由来しているのだろう、しろがねはそう推測した。推測はしたが男にそれを訊くことはしなかった。誰しも他人に触れられたくないことはある。聞いて欲しくば男の方から言うだろう。
だから男の傷など存在しないかのように振舞うしろがねだったが、ふと、違う疑問を口にした。


「Tシャツのサイズは合わなかったのか?」
男は箸を口に咥えたまま、上目遣いにしろがねを見た。
男はしろがねが大量に買い込んできた下着の中から選んだボクサーパンツしか穿いていなかった。上半身は裸のままだったから、そっちのサイズは小さかったのか、としろがねは思ったのだ。
「少し小さいかもしれねぇが、まぁ着られるには着られるだろーな」
「だったら着るといい。それとも風呂上がりで暑いのか?」
「それもあるが…」


男は目の前の女が無防備に晒す、タンクトップとショーツのみ、というスタイルに若干視線の向きを変えた。
「女主人がそんなカッコだからな。飼われる身としては飼い主以上に露出してねぇとバランスがとれねーだろ。パンツ一枚で充分」
「まだそんなことを言うのか」
しろがねはワイングラスを置いて、目力をこめた。
「五月蠅いな。さっきそういうことは口にするなと言ったろう?本当に犬扱いするぞ」
「ああ、いいぜ」


男は空になった弁当をぞんざいにテーブルの上に投げた。
「これも脱ごうか?犬、はパンツもつけねぇからな。」
男がボクサーパンツのゴムに親指をかける。しろがねはその行為に視線を誘導された先で、男の股間が屹立しているのに気がついた。会話の始めの頃にはなかったモノが、今では浅い股上から飛び出している。


「はさまってるぞ?痛くないのか?」
勃起して納まり切れなくなったペニスがゴムに首を絞められていた。
「オレのはそんなにヤワじゃねぇ」
「私に見られて恥ずかしくないのか?」
「むしろ胸を張りたいね。アンタのソレと一緒だよ」
男はしろがねの胸に顎をしゃくって見せた。しろがねは自分の胸を見下ろした。確かに大きく膨らんでいるが別に張りたくて張っているわけでもない。全く動じるところのない男に、しろがねは呆れたように肩を竦め、何事もなかったかのように自分のグラスにワインを注いだ。
男はしろがねの動きに合わせて乳房が柔らかく形を変えるのを眺め、いたずらにペニスへの刺激をもらう。


「ま、正直…アンタがそんなカッコでいる以上、コレは生理的に致し方なし、なんだよ。さっきは飯に集中してたから大人しかったけどよ。アンタ、裸同然だぜ?」
「私を見る度にソレはそうやって飛び出すのか?」
「多分な。こればっかはオレの意志とは無関係…言ってるだろ?生理現象だってよ」
「だったら……あなたの言う通り、穿いてても脱いでてもあまり変わらないかもしれないな……」
「見慣れればあるいは…でもまあ無理だろ。アンタ、見てくれだけはいい女だからな」
男の物言いにしろがねは少しカチンとくる。
「では脱ぐか。私はあなたが素っ裸でも全く構わないから」
「…穿いてるよ」
男はパンツのゴムをパチンと鳴らした。すぐに新しい弁当に手を伸ばし、ラップを剥がしにかかった。


「それにしてもアンタ…けっこうなタマだなぁ」
男は弁当をかっこみながら言った。
「何が?」
「野郎の勃起したモンを間近に見ても顔色ひとつ変えねぇんだからよ」
しろがねも感情の起伏も感情の表現も乏しい人間であると自負している。それは自分の育ってきた環境によるもので、変わりようのないものだと諦めてもいる。だから男の言うようにペニスを見たところでさして驚きもしなかったし(確かに食事中に見るモノとしては珍しいが、男性の身体にはくっついていて然るべきモノだと思うし)、表情に出ることもなかった。


ただ、彼女の深奥では心臓が慌しい音を立てていた。透明な汁を滲ませて張り詰めた顔を見せる男の亀頭がとても美味しそうなものに見え、身体の秘芯が勝手に潤うのが感じられたのでさりげなく膝を閉じた。そういった無意識のところで起きるさもしい反応にしろがねは惑乱していた。
「全く下品だな…」
しろがねは眉を顰めた。彼女は疼く自分の身体に眉を顰めたのだが、そんなことを知る由もない男は
「見りゃあ分かんだろ?品、なんざ欠片もねぇよ」
べえ、と舌を突き出した。


「そんだけ見慣れてるってことか。ま、分かんねぇでもねぇ…アンタ、引く手数多だろ?」
「何がだ?」
「おいおい、しらばっくれんなよ?アンタみたいな見てくれの女、男が黙っちゃいねぇだろ?ヤる相手に不自由してなさそうだって話だよ」
しろがねは別に処女ぶってしらばっくれていたわけではなかった。ただ純粋にしろがねは男の言いたいことがよく分からなかったのだ。男のペニスを見て顔色を変えなかったからってどうして見慣れていることになるのか。しろがねは人が言うほどセックスが気持ちいいと思ったこともなかったし、セックスをしたいと思える相手にも出会えなかったし、面倒な気持ちが先に立って経験は少ない。自分が見た『本数』というのは人並み以下も以下ではないか、と思うしろがねだった。強いて言えば「引く手数多」の部分は当たっているのかもしれない。


「まぁ…色々と声はかけられる…確かに私から声をかけたことは一度もないが」
「だろ?」
男はキシシと冷笑した。男にやりまんだと思われるのは非常に不本意だったが、自分の性遍歴を披露してそれを訂正するのもかったるかったので放置した。好きなようにイメージを展開してくれて結構だと思った。
それに実際、今の彼女の身体は目の前の男を『男』として認めていた。さっき出会ったばかりの男に対しそんな感情を抱く辺り、ヤリマンと思われても仕方がない。
どうしたのだ私は?本当に…何故?
しろがねは自問を繰り返す。


「とすると…このマンションはアンタのパトロンが用意したモンだったりすんじゃねぇの?こんなでけぇマンションに若い女の独り暮らしって在り得ねぇ。どう見ても新築だし…階も上の方だし…ロケーションいいし…スポンサーがいねぇとキツイだろ?勝手に他の男を連れ込んだりして平気なのかよ?」
期待に応えて男のしろがねイメージが野放図に展開される。
「援助してくれるの、一人や二人じゃねぇんだろ?ホント、見てくれはいいもんな。無愛想で、睨んでばっかで、高圧的で…それ以外はどっちかっちゃあ無表情…でも見目麗しく?人形みてぇ」


しろがねは男の『人形』という言葉に憮然とした。胸が痛んだ。
「外見が良けりゃあ男なんて簡単に起つからなぁ」
「あなたもそうか?」
男は一瞬、しろがねの問いの中に揺らぎを感じた気がして、どきりとした。が、目の前の銀色の女の顔は相変わらずの人形を思わせる無表情だったからすぐに気のせいだ、とした。
「中身なんざ、セックスしてる間にゃあ必要ねぇもんかもしれんし」
「私は余程、あなたに好印象を持ってもらえたようだな」
しろがねの皮肉を、男は聞こえないフリをした。


「つか、アンタ幾つよ?かなり若作りだな」
「18だ」
「18?」
若作り、ではなくて本当に若かったのか、と男はあんぐりと口を開けた。
「18で?社会人?」
「この春に社会人になったばかりだ。このマンションは私が自分で買った。両親の…遺産…みたいなものがあったからな、それで買った」
「すげーな、遺産とはいえ自分で買ったのかよ?」
はあーすげー、一体どこのお嬢様だよ、と男は間抜けな顔をしている。


「予想が外れてお生憎様だな。あなた的には『パパ』の買い物の方が面白かっただろうけれど」
「まあな」
しろがねの買ってきた弁当を全て平らげた男は続いておむすびのパッケージを剥き始めた。
「もっと年齢が上なのかと思ったぜ。その割にそのルックスだからどんだけ若作ってんのかと…アンタ18かァ…オレと同い年じゃねぇか」
「は?同い年?」
今度はしろがねが開いた口が塞がらない。


「オレ記憶がなくて自分のこと分かんねぇけどさ、病室のベットに『ナルミ・18才』って書いてあったからよ、苗字か名前かどっちかがナルミで年齢は18ってのはガチ…」
「み…見えない…」
男はむうっとした。女が出会ってから怒る、睨む以外で初めて見せる感情が驚き(しかも驚愕といっても過言ではない驚きよう)なのはともかくとして、「自分が18に見えない」というので驚いているのが気に入らない。ペニス見たって驚かなかったクセにだ。
「何だよ?幾つに見えてたんだよ?」
「27…28…もしかしたら3」
「皆まで言うな」
「もしかしたら病院の間違いかもしれないぞ?あなたは記憶がないし、1と2が」
「言うなっつーのに」
「18……」
しろがねが何やら真剣に考え込んでしまったので、男は不貞腐れておにぎりを丸ごと口の中に放り込んだ。男も考え込んだ。病院の話題を持ち出してしまったことで、男は思い出したくもないあの忌々しい病院を思い返していた。













男は殺風景な病室に監禁されていた。
気がつくとそこにいた。


自分がどこの誰で、いつからここにいるのか、何でここにいるのか、まるで覚えてなかった。目が覚めてからしばらくの頃は自分に何の記憶も残ってないことにも、狭い病室に独り閉じ込められていることにも疑問を感じなかった。
看護士が男に薬を飲ませることを失念した、ある夜までは。


翌朝起きると、その薬の効果は殆ど切れていて男はようやく自分を取り戻した。毎日飲むことを義務付けられていたその薬は、頭をぼうっとさせて思考する力を奪う怪しい薬だったのではないか、と考えた。


既に縫合術を受けてはいるが千切れた形跡のある左腕。
入院患者として病院に幽閉されている自分。
それらの理由の答えを含む記憶は一切合財が消え失せている。


白い壁と白い天井、向かいの建物の壁面しか見えない窓には頑丈な鉄格子。
ただ一つの出入り口には外から鍵がしっかりとかけられていて、牢屋のような病室だった。
自分が置かれている状況がまともでないことは悟ったものの、男に意思が戻ったことを病院側に気付かれたら強制的に投薬をされる危険がある。あの如何わしい薬で再び前後不覚になってしまうことは避けたかった。


それからは慎重に、これまで通りの思考能力のない、従順な患者である演技をした。病室には監視カメラが据えられていたから例え部屋に独りきりでも迂闊な行動は出来なかった。効用の知れない薬は全て排除するように心がけた。飲んだように見せかけて、看護士がいなくなってからカメラのないトイレに吐き捨てた。


男の病室の扉にはいつも厳重に鍵がかけられたが、術後のリハビリと運動、数日おきの入浴の時間だけ病室を出ることを許された。その際には付き添いという名の監視人が必ず傍にいた。男が入院している病院は精神病患者を専門に収容する病院らしく、時折暴れ出す患者をスタッフが数人がかりでやっとの体で抑えつけていた。病室にいる時にもたまに聞こえてくる奇声はこれだったかと男は思った。外に出る度に男は抜け目なく建物内の様子や間取り、監視カメラの位置、人員配置を観察することにした。


男は意識がはっきりするようになってから自分にまつわる何点かの事柄を思い出した。
一つ目は自分が何かしらの格闘技を嗜んでいただろうこと。
それが何かは明確には出来ないのだが、運動の時間に身体を動かしていると無意識に身体が何らかの型を取ろうとする。自分を空っぽにしてユラユラと湧き上がるものを自然とカタチにする作業に没頭すると、頭の記憶が失われていても身体が覚えている何かを知ることが出来そうな気がするのだった。


二つ目はひとりのとてもいい笑顔の少年と知り合いだったらしいこと。
度々、男は何らかの拍子にその少年の顔を思い出す。いつも笑っていて、男はその笑顔を思うと心が温かくなり、力が漲る心地がする。その少年と自分がどういう繋がりがあったのかはさっぱり分からない。だけれど全ての記憶を失っているのにその少年の笑顔だけを覚えているということは、その少年が自分が記憶を失ったり左腕が千切れたりした事故又は事件に深く関わっているような気がしてならないのだ。


三つ目。
これはむしろ思い出したくもなかったが弥が上にも思い出さざるを得なかった。
自分は不治の病に冒されていたこと。非常に苦しい発作が起きて、それは誰かを笑わせないと止まらない。誰かが笑いかけてくれなければ死に至ってしまう、つける薬のない難病。
入院中、何度も発作に見舞われた。発作が起きると何人かの看護士が男のところにやってきた。男に笑ってやるために。否、男を笑い者にするために。


「ほらまた犬になってみせてくれよ」
「犬なんだから服脱げったら。素っ裸になって四つん這いになれ」
「犬になったら、三べん回ってワン、お約束だろ?」
「犬みたいにベロベロ舐めろよ」


あの病院の中で受けた屈辱は絶対に忘れない。男は自分が受けた辱めを思い出したことで腸が煮えくりかえり、如何ともし難い破壊衝動に男は駆られた。
本当は「笑われている」のに「笑わせている」のだと信じて、言われるがまま滑稽なことを懸命にしていた、薬で朦朧として自分のしていることが分かっていなかった頃の自分を思うとその道化っぷりに泣けてはくるが、まだ良かった。


理性が戻った後、逃げ出すチャンスを覗うためにそれまで通りの何も分からない患者のフリをして、看護士たちの仕打ちに耐えねばならなくなってからが地獄だった。看護士たちは男を徹底的に笑い者にした。笑われていることも分からないで滑稽な姿を晒す愚か者と侮蔑した。
人間としての尊厳は全て打ち砕かれた。勿論、人並み外れた体躯をしているという自負も、ひとりの男としてのプライドも木端微塵にされた。怒りに震え、飛びかかって拳を深々と打ち込んで半殺しにしてやりたい気持ちを必死に抑えた。ここを逃げ出すためには「馬鹿で無害な大男」を演じなければならない。


しかし、それよりも何よりも、ゾナハ病の発作から逃れるためならばどんな滑稽な真似をしてもいいと、笑ってこの苦しみから解放してくれるのならば嘲笑でも構わないと、自ら看護士たちの前に膝をついてしまう自分が悔しかった。


芸を披露する犬以下だった。
絶対に脱走してやると、這い蹲りながら、誓ったのだった。



next
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
ブログ内検索

PR
Template by Emile*Emilie
忍者ブログ [PR]