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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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2.肘傘雨



しろがねはまだ大雨の中を歩いていた。
自宅に帰り着いた後、氏素性の分からない男を家の中にひとり残し、彼女は再び土砂降りの下に飛び出した。
何のことはない、自分の家には男の着替えになるようなものが一切ないのでコンビニに買いに出たのだ。近所でこんな真夜中に開いている店はコンビニくらいしかないし、コンビニにだって置いてあるのは精々下着くらいなものだろう。それだってあの男は人並み外れた体躯をしていたからコンビニの一般男性サイズでは着られないかも知れない。
それでもないよりはマシだろう。


目的地に着いたしろがねは怒ったような顔でコンビニのカゴを手に取り、真っ直ぐに生活用品の並ぶ棚の前に立つ。威勢よく立ったはいいけれど手が出ない。
男物の下着なんかを買うのは生まれて初めての経験のしろがねだ。
形が色々あって何が何だかよく分からない、形が違うと何が違うのかも分からない。
それよりも何よりも、男物の下着を買うという行為がこんなにも恥ずかしいものだとは思わなかった。しろがねはらしくなく耳の天辺を少々赤くしながら棚にある全種類の一番サイズの大きいものを無造作にカゴの中に放り込んだ。
数を打てばどれかは当たるだろう。
生活用品の棚を離れながらしろがねは考えた。


男の言うことを信じるならば、彼はきっと取るものもとりあえずで逃げて来たに違いない。飲まず食わずでいたことだろうからきっと空腹に違いない。自分の家には時間をかけずに口に運べるものが何もない。
しろがねは店内をぐるりと回り、パンやらおにぎりやら弁当やらペットボトルやら酒やらも適当に選び、気恥ずかしい下着のパッケージを隠すかのようにして放り込む。
そして山盛りになったカゴをレジに突き出した。


そんな経緯を経て、彼女は再度家路を急ぐ。
両腕に幾つものビニル袋を提げ、これまで以上に速足だ。
何で私はこんなに一生懸命になっているのだろう?
しろがねは唇を噛み、眉根を寄せた。


ただでさえ傘という余計なものを手にしているというのに、こんなにも大量の買い物をして濡れなくてもいい雨に濡れている。残業で疲れて、脚だって棒のようで。雨に濡れた身体は冷え切って熱いシャワーを欲している。
なのに、何故?見ず知らずの男のために動いている?
ここ数十分の自分の行動原理を全く理解できないまま、しろがねは大男が待つ自宅へと向かった。





しろがねが玄関の鍵を開けて中に一歩踏み込むといきなり、大きな拳が突き出された。ゴツゴツした見るからに破壊力のありそうな拳がしろがねの眉間にピタリと狙いを定める。
「何の真似だ?」
しろがねは退くことなく、髪の毛一筋で寸止めされたそれに臆することなく強い瞳で男を睨みつける。
「あなたにこんなことをされる云われはないが?さっきタオルを渡したろう?勝手に上がってシャワーを浴びて待っていろと言った筈だ」
「遅かったな、どこへ何しに行っていた?アンタ一人か?」
「は?」
「後ろに誰か引き連れたりしてねぇか?」


男の目元が鋭く釣り上った。男が家に上がった様子はなく、男の裸足の足元には大きな水溜りができている。雨をたっぷりと吸った髪からは止め処なく雫が落ち、安っぽい病衣を乾かす間もない。
しろがねはピンとくる。男は勘ぐっているのだ。
男の話が作り話ではないという、幾らかの信憑性もその攻撃的な行為に見えないこともない。となれば男が警戒する気持ちは分からないではないが、この威嚇の仕方はあんまりではないか?
しろがねは表情も変えず、男が自分にしているようにその鼻先に向けて白い買い物袋を突き出して見せた。さすがにリーチがまるで違うので、しろがねの拳は男の顔面のかなり手前にしか届かないが。


「コンビニに行ってきた。私は一人暮らしだからあなたの着替えになるようなものは何一つないからな」
銀色の瞳に射抜かれた黒い瞳が、一瞬呆気に取られたように丸くなった。
「適当に食べ物も買い込んできたがいらないというのなら別にいい」
男はゆっくりと拳を下ろす。しろがねも重たい買い物袋を下ろした。


「あなたが濡れ鼠のままずっと玄関にいたいと言うのなら私は止めない。好きにするがいい。だが、小腹が空いてて何か温かい飲み物が欲しいのなら上がれ。今すぐシャワーを浴びてこい」
しろがねは男の脇をすり抜けると自分の足を冷やすぐしょ濡れのパンプスを強制的に掴んで脱がし、家に上がる。そして、これまた水を吸ってずっしりと重たくなったスーツの上着をその上に放った。
面倒臭い、何もかも始末するのは明日にしよう。


「普通こんな風に、一人暮らしの女が見ず知らずの男を家にあげるか?」
拳は下げたものの、男の鋭い眼光はそのままだ。
男はまだ警戒心を解いていないようだった。玄関から動く素振りがまるでない。いざとなったら、すぐにでも逃げられるようにここから動きたくないようだ。
しろがねは『見るからに胡散臭い男に胡散臭く思われている自分』の滑稽さに小さな苦笑いをした。


「私があなたのいた病院の関係者かと疑っているのか?それともやはり厄介者は御免だと考えを変えてあなたを病院に売ることにしたとか?それで今、表に出て連絡をつけてきたとでも?」
「ああ。それで間もなく病院の連中がここに押し寄せることが分かってるから落ち着いてんのかも知れんしな。それなら分かる」
銀と黒の視線が暗いエントランスで交錯する。
しろがねは自分の馬鹿さ加減を鼻先で嘲笑し
「あなたの言うことは尤もだ。私もそう思う」
と言った。


「私も、私のやっていることが理解できないでいる。何で胡散臭さの塊のあなたを家に連れ帰ったのか、私が教えてもらいたいくらいだ」
「……」
男の怒った肩が少し落ちた。
「あなたの話が真実でも、病持ちの妄想でもかなり性質は悪い、なのにどうして…?そうだな…強いて言えば、雨の中に捨てられていた子犬を見過ごせないのと同じ気持ちだった」
男は寂しそうに見えた。孤独に見えた。
そう、自分よりも。


「オレは犬か」
男が冷笑する。
「その例えなら少しは理解可能か?」
「ふん…まあな」
「あなたが私に不信感を抱くのは当然だろう。私だってあなたを信用しているわけじゃない。どうしてか放っておけなかっただけだ」
「…アンタは異常なくらいのおせっかい女、ってことか。普通の人間は自分の平和な日常を壊すことは望まないものだもんな」


しろがねは思う。私はおせっかいなど焼いたことがない。他人に干渉をしたくなければされたくもない人間にとって、おせっかい、など最も無縁のものなのに。
なのに何故。
この男には手を差し伸べたのか。
この男と知り合ってから何度目の「なのに何故」だろう。


「好きに言え。私はきっと莫迦なのだろう。あなたも相手が莫迦な女だと思った方が気楽だろう?」
しろがねは肌に張り付いて気持ちの悪いシャツのボタンを外す。
「私はあなたを家に上げた段階で、仮にあなたにレイプされても自業自得だと思っている」
胸の谷間が露わになるにつれて男の視線が下方にずれる。それを見てとったしろがねは
「だが、そんなことをしようものなら即刻保健所送りにしてやる」
と言い放ち、シャツもバサリと脱ぎ捨てた。小さな布地だけで吊り下げられている威厳たっぷりの乳房を男にさらしてもしろがねは平然としている。


「保健所送りが目的で、オレを煽ってんのか?」
「家の中を汚したくないから濡れた服は玄関で脱いでいく、それだけだ。ここは私の家だ。どうして私があなたに気を遣って自分のスタイルを変える必要がある?私はあなたの目を気にしない」
男はまたしろがねと目を合わせた。
「そうだったな、オレは『犬』だもんな。恩を仇で返すような駄犬は死刑が妥当ってか」
男は頭をガリガリと掻いて飛沫を撒き散らした。ふたりはしばし、見つめ合うようにして睨み合う。


「とりあえずあなたに雨露を凌げる場所を提供してやる。あなたは草臥れ切っているように見える。体力が回復するまではここで匿ってやろう」
「元気になったら勝手に出て行けってか?」
「本当の犬ならば何日かともに過ごせば情が移って自分で飼うことにする、そんな人は多そうだが」
しろがねはスカートも脱ぎ、一番不快でならなかったパンストからも両足を引き抜いた。男の前でブラジャーとショーツだけの扇情的な姿になったしろがねは、玄関先に置かれたままのタオルを手に取った。2枚あるうちの1枚を自分の肩にかける。


「アンタもその口か?」
男の声色が幾らか低く、しろがねの真意を探るようなものになる。
「あまり私は情の深い人間じゃないから。自分で餌がとれるようになったら拾った場所に戻す」
「そりゃあご親切にどうも」
男はオーバーアクションで肩を竦めて見せた。
「少なくともあなたのことは誰にも黙っている。勿論、病院にも。それでも私を信用できないというのなら、このまま、また雨の中に出て行くといい」


しろがねはずいとタオルを男に突き出した。
タオルを受け取れば、男はしろがねに拾われた犬となる。
受け取らずに野良犬として再び放浪することも自由。
男は訝しそうに瞳を細め、唇を突き出した。そして、しろがねからタオルを受け取るとそれで濡れた髪を拭いた。


「さ、見ての通り、濡れた服はそこに脱ぎっぱなしにしていいからシャワーを浴びてさっぱりしてこい。そこの袋の中に下着の替えがある。一番大きなものを買ってきたつもりだがサイズが合わなかったら諦めてくれ」
「気にするなよ、オレは犬なんだから。拾い主ですらそんな目の保養様々なんだ、犬は素っ裸でウロついても気にはなんねぇだろ?」
「犬、は物の例えだ。そんなに言葉尻を捕まえて噛みつくな」
しろがねは男の皮肉交じりの言葉に眉を上げた。


「それとも『本当に』犬扱いをされたいのか?」
「好きにしろよ、ご主人様?オレはアンタに拾われた身だからな。見てくれ見事な女主人に飼われるのもあながち悪いもんじゃねぇ気もしてきたよ」
男は相変わらず鋭い眼光で自分を観察している。
果たしてこの女は敵か、味方か、と。
しろがねは男を一瞥すると、「さっさとしろ」と一言、家の奥に引っ込んだ。
男は嘲る様に「うぉん」と一吠え返事をし、玄関で忌々しい病衣を脱ぎ捨てるとその細い背中を追って家の中に足を踏み入れた。



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