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アオイトリ。
目の前にあるのに気づかない幸せのコト。そのご。
「アンタ、ホント何やってんのよ?」
歓楽街沿いにあるビルの階段に腰掛ける鳴海にウーロン茶のペットボトルを手渡しながら、ヴィルマもその隣にひょいと座った。自分用の缶ビールをぶしっと開けて、ごくりと飲む。ヴィルマはすでにしろがねと飲んだ際にドライマティーニを9杯空にしている。
「待ち合わせしてんだろ?」
「男なんて待たしとけばいーのよ。代わりはいくらでもいるし。それに今はアンタの話してんでしょーが」
真っ赤なマニキュアがきれいに塗られた長い爪が鳴海の腕に刺さる。
鳴海は口角を上げてにやりと笑う口元とは裏腹に、真夜中近いというのにかけているサングラスの奥のヴィルマの瞳がそれほど笑っていないことに気がついた。
「アンタ、あの娘とマジでホテルに入るつもりだったの?」
「おまえが来なかったら……入らなかったっていう自信は、ない」
「ふうん。ま、アンタが誰と寝ようが自由だけどね」
ヴィルマはぐびりとビールを一息に飲むと、鳴海の顔を覗き込んだ。
「アタシが訊きたいのはさ、アンタが本当に食事をしたり、ホテルでセックスしたり、そういうことをしたい相手は誰なのか、ってことなんだけどさ」
「……」
ホントにさっきの娘としたいんだったら悪いことしちゃったわけだけど。
ヴィルマは缶ビールをあっという間に空にすると、二本目に手をかけた。
黙っている鳴海から缶ビールに目を移す。
「アンタもさ、腹くくったら?いつまでもお互いに背中を預けてゆるゆると手を繋いだ状態に甘んじてていいの?」
「オレは…」
「違うんでしょ?本心では正面からきつく抱き合う関係になりたいんでしょ?」
図星だ。ヴィルマの言うとおりだ。
勝が社長に就任するにあたって、「兄ちゃん、僕の秘書になってくれないかな?」と言われたとき、正直、断ろうと思った。大企業ってのはいろいろとシガラミがありそうだし、窮屈そうだし、何よりも自分には学がない。腕っ節だけが取り得の男だと、自分で百も重々承知していた。
そのことを勝に言ったら、「兄ちゃんには語学力があるじゃない。それに僕のボディガードになってくれたら心強いよ」と返された。確かに親の仕事の関係で語学力はある方だ。中国語は日本語と同様に操れるし、書くのは苦手だけど英語も達者だし、フランス語も日常会話程度ならなんとかなる。
それでもどうしようかと悩んだ。
やっぱりオレには大企業なんてとこは柄じゃねぇ。でも。
しろがねも勝の秘書になるという。
ふたりで勝の秘書になれば、これからもずっとしろがねと一緒にいられる。
それが、鳴海が秘書になることを決めた本当の理由だった。
勝が成長して、強くなっていく姿を見ることは鳴海にとって喜びでもあり、誇りでもあった。あんなに小さく弱く泣いてばかりだった勝が、いまや世界屈指の巨大企業の社長になる、そして自分の元を巣立っていくのを鳴海は嬉しく、感慨深く思っていた。
しかし、鳴海はそれと同時に淋しく、未来に向けて漠然とした不安を感じるようになっていた。
勝の成長は、イコール、しろがねとの関係の希薄化を意味していたのだから。
勝を守る、勝の成長を見守る、それを媒介にして鳴海としろがねはもうずっとともに歩いてきた。
その媒介がある限り、ふたりの絆は揺ぎ無いものだった。
その媒介さえあれば、それを理由に会うことができた。
その媒介がなくなれば、ふたりが顔を合わせるのに理由を考えなくてはならない。
そんな危うくて儚い関係だったのか、と改めて気づかされた。
3人で擬似家族のように、仲良く楽しく過ごしていた時間が永遠に続くものだと信じていた。
否、そう思い込んでいただけなのかもしれない。
しろがねが自分と同じような虚無感を持っていたかどうかは分からない。
少なくとも鳴海は、しろがねがこれを機に、自分の手の平から自由に遠くへと飛び立ってしまうような気がして怖かった。こんなにもしろがねをいつの間にか愛していたのかと、残酷なほど思い知らされた。
「そのためには一度繋いだ手を放さなくちゃなんねぇ。それに躊躇してるの、認めるよ。今のままなら、いつまでも傍にいられるからな」
「でもそれじゃ、いつか誰かにかっさらわれるわね」
鳴海の脳裏にリシャールと親しげに話すしろがねの絵が浮かび、鳴海はギリギリと歯噛みした。
そうだ、今頃、ふたりで話に花を咲かせながら楽しく飲んでいるのかもしれねぇ。それとも時間的にベッドの中で…。
真っ黒な嫉妬心が湧き上がる。ヴィルマはそんな鳴海の様子を満足げに見ながら煙草を咥えた。
「それがイヤならアンタの方から行動を起こすのね」
「オレ?」
「そうよ。何、吃驚顔してんのさ。あのひねくれ乙女のしろがねがどうこうできるなんて思える?」
「そりゃ…そうだ…けど」
「けど、何よ」
じれったいわね。
ヴィルマは少しイライラしながら煙草に火をつけた。
「オレが働きかけたとして、アイツ、喜ぶかな?」
「はあ?」
「いや、その……アイツはオレをどう想ってんのかな、って…」
「だーからアンタは脳筋だっつーのよ!鈍感バカ!」
ヴィルマは鳴海の顔に思いっきり煙を吹きかけた。鳴海はつい煙をまともに吸い込んでゲホゲホとはげしくムセた。
「な、何すんだよ?!」
「そんなことくらい自分で考えなさいよ!首の上に乗ってんのはカボチャかなんかなの?なんでアタシがアンタにそこまで教えてあげなきゃなんないのよ?」
「だってよー、わかんねぇんだからしょーがねーだろ…」
鳴海は唇を尖らした。
「あのコのコト、一番分かってあげてるのはナルミ、アンタでしょ?あのコはこれまでの人生で何一つ自分のために欲しがったことがない。何が欲しいのかも分からなかった。欲しがり方も分からない」
「……」
「そんなあのコが生まれて初めて心の底から欲しいと思うモノに出会った。でもどうしていいのか分からなくてもがいてる」
「よく見てるな、アイツのことを」
ヴィルマは嬉しそうにふっと笑う。
「当たり前よ。アタシが一番欲しいのはしろがねなんだから。アタシはバイでタチだからね。本当はしろがねを抱きたくてたまらないのさ。さぞかしあのコはセクシーに哭くだろうね、想像しただけでゾクゾクする」
「おい…物騒なこと言うなよな」
「冗談じゃないわ。本気よ。でもね、あのコはそんな趣味がまるでないから、仕方ないさね」
「でもそれが、オレとなんか関係あんのか?」
「ばーか。後はその救いようがない頭蓋骨の中につまった筋肉の塊をたまには使って考えてごらんなさいな」
「…ちくしょー…」
さんざん、バカにされて言い返したい気持ちでいっぱいだが、如何せん今日の鳴海は立場が弱い。
ヴィルマは煙草を消すと立ち上がった。
「そんじゃ、アタシそろそろ行くよ。ちゃんとしなさい。これ以上、泣かすんじゃないよ」
ヴィルマは軽く手を振って、ホテル街へと戻っていった。
「そうそう、サイフの代金、アンタの名前でつけとくから」
と付け足すことを忘れずに。