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アオイトリ。
目の前にあるのに気づかない幸せのコト。そのなな。
勝は困っていた。
鳴海もしろがねも、仕事は真面目にこなすので『業務』の面では何の支障も出なかったが、このふたりに付き添われていると何とも言えない息苦しさ、または緊張感に身が包まれる。不機嫌なしろがねは全く微笑まなくなり、厚い殻の中に閉じこもってしまった。
そしてこれまた不機嫌の塊の鳴海は、あるとき勝に襲い掛かった暴漢を必要以上に手荒く撃退した。暴漢は一撃で沈んだ。その鳴海の殺気だった様子を見て、「ああ、これではどうしようもない」と勝は頭を抱えた。
これはもう、強制的に何とかしないと。
今は何とかなっても、この先はどんどんいろんなところが歪んでくるだろう。
だから勝は手のかかる大事なふたりのことを、真剣に考えることにした。
あれ以来、鳴海はミンシアと口をきくのも避けるようになったし、しろがねもリシャールと会うのを避けていた。でも、お互いのその行動を知る由もなく、「きっとまだ、自分の知らないところで相手と仲良くやっているのだろう」とふたりは無駄に不必要に心を痛めていた。
その気持ちに拍車をかけるように、社内の噂は無責任にも鳴海とミンシアの仲を、しろがねとリシャールの仲をより発展させていく。
仲直りのきっかけがどこにも見つからない。
オレら、このままになっちまうのかな。
何だか、終わっていく感じがよく分からない。
もう、オレの手の平から飛び立っちまったのかな?
まだ手を伸ばせば触れられそうなところにいるのに、
どうしても手が届かない。
オレの手も真っ直ぐに伸びない。
触れるのが、ものすごく怖い。
鳴海の心が途方に暮れることしかできなくなっていた、ある日の夕方、鳴海は社長室に呼ばれた。
「何ですか、社長?」
「うん、今夜の会食、しろがねとナルミ兄ちゃんに付き添ってもらう予定だったよね。だけど、少し事情が変わってさ、鳴海兄ちゃんは行かなくてもよくなったから」
「?どうしてっスか?」
勝はうううーん、と言い辛そうにしている。
「何?気になるじゃねぇか?」
ついつい口調から『敬語』の要素が抜け落ちる。
「兄ちゃん、知ってるでしょ?フランス地区担当営業一課のリシャール・ベッティー…」
鳴海の表情が一気に険しくなる。
「あいつが何か?」
「うん。今夜の会食の相手はフランス2位の海運会社のオーナーなんだ。
『PHYGA』はフランス1位の会社と提携しているからうちとしては特に重要視してないんだけどさ、まあ話を聞くだけでも、顔を繋げとくだけでもいいかな、って感じなんだけど」
「?それがどうした?」
「で、そのオーナーってのが彼の父親なんだよね」
「リシャールの?」
勝は頷く。
「彼はしろがねを自分の父親に紹介したいそうなんだ。だから、彼が同席することになったんだ」
鳴海は開いた口が塞がらない。
「何で…?」
「もともと、向こうがセッティングした席だし、どちかというとプライベート色が最初から濃くてさ。父親のほうも仕事の話よりもしろがねに会ってみたいそうなんだよね。僕はしろがねの身内みたいなものだし。だから、家族顔合わせみたいなものかな?どうしてもって言うから承諾した」
「な…!し、しろがねは何て?」
「『分かりました。別にかまいません』って。特に問題ないみたいだったよ。
しろがねも知ってたんじゃないのかな?お父さんに紹介されるってこと」
「そんな」
「僕としても、もしも、しろがねが結婚するかもしれないというのなら、その相手にも、その親って人にも会っておきたい」
勝は鳴海の顔をチラリと見る。鳴海は絶句したまま、青ざめた顔をしている。
「僕はね、しろがねが大好きなんだ。しろがねが幸せになってくれれば嬉しいんだ。今のしろがねは…幸せそうには見えないよ」
「勝…」
「兄ちゃんじゃ、これ以上は無理なのかな?だってケンカばっかりだもんね」
「勝!」
「僕は兄ちゃんのことも大好きだよ。でもね、こんなんじゃダメなんだよ」
勝を見つめる鳴海の瞳は真剣で、だから勝もそれを真摯に受け止めた。
「今日の会食場所はドレスコードがあって、面倒なんだけど着替えなくちゃならないから僕は早めに出るよ。しろがねも早くあがる。何かあったらここに連絡してくれる?」
勝は机の上に店の名刺を置いた。
「19時からだから、よろしくね」
勝は鳴海の様子を横目で見ながら社長室を後にした。
部屋にひとり残された鳴海は拳を握り締めて、唇を噛み締めて、机の上の店の名前を睨んだ。
「しろがね!」
鳴海は廊下で自分の前を行くしろがねを呼び止める。
何日か振りに鳴海に名前を呼ばれてしろがねの胸はとくとくと高鳴った。
「もう帰るのか?」
「ああ、社長の会食に列席することになっている。ドレスコードがあるから着替えに…」
「おまえ、今夜の席がどんな席か知ってるのか?」
「それは、もちろん秘書だから把握して」
「そんなんじゃなくってよ!どんな席か知ってた上で出るのか?」
「あなたの言うことがよく分からない。だがそうだ。知っている上で出席する」
「……」
「それが」
「行っちまえ」
「え?」
「早く、行っちまえよ。遅れっぞ」
「カトウ!何をそんなに怒って」
鳴海はしろがねに背中を向けると大股で立ち去った。
「何?何なの…?」
名前を呼ばれてものすごく嬉しかったのに。話しかけてもらえてとても嬉しかったのに。
「もう、カトウのことが全然、分からない」
訳も分からず、ただ惨めで、しろがねはトボトボと歩き出した。
しろがねのヤツ!今夜の席がどんな席か分かった上で出席するだと?!
「勝手にしやがれ!馬鹿が…!」
オレの気持ちも知らねぇで…!
鳴海の怒りに任せて前に運んでいた足が次第に止まる。
「馬鹿は……オレだよな……」
オレの気持ちなんか、あいつが知るはずもないじゃねぇか。
だって、一度だって伝えてねぇんだもん。
「フランス2位の、海運会社の息子だってさ…しろがねも玉の輿だよな」
オレなんか、ホント、腕っ節しか取り得がなくてさ。
『SPYGA』に入社できたのも奇跡みたいなもんだしな。
どっちがしろがねにとって幸せか、なんて考えるまでも、天秤にかけるまでもねぇや。
でも。
しろがねが、オレの傍からいなくなったら、
傍にいても、もうこの手で触れることの許されない女になったら、
「オレ……そしたら、どうしたらいいんだ?」
そしたら、何を目的に、何を心の拠り所にして生きていけばいいんだ?
「何にもねぇよ。何にも…」
しろがねのいない未来は、茫漠としているだけの荒れた大地。
「ホント、何にもねぇなぁ…」
へへっと自嘲する。
「さぁ、オレは仕事に戻らなきゃ…」
そして鳴海もまた、足を引き摺るようにして歩き出した。