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アオイトリ。
目の前にあるのに気づかない幸せのコト。そのはち。
時刻は19時を軽く回っていた。
テーブルの上には4人分の磨きぬかれた銀のカトラリーとクリスタルグラスが整然と並べられ、それらはシャンデリアの灯りをうけてキラキラと豪奢な光を撒き散らしている。
勝としろがねはテーブルに着いて、残りふたりの到着を待っていた。
「遅いですね、どうしたのでしょう?相手の方がホストだというのに、失礼な話です」
「仕方ないよ、事故渋滞にはまっているって連絡があったそうだから」
自分の社長である、しかも招かれた側である勝が先に来て待たされている、ということがしろがねにとっては許せない。
「こんなルーズな相手とは取引を考えたほうがいいですよ、社長」
そう言って銀の瞳に怒りを隠そうとしない今夜のしろがねは、ドレスアップしていることもあって神々しいくらいにきれいだ。
「しろがね、とても似合うね、そのドレス」
「そ、そうですか?お坊ちゃま、いえ、社長。こんなドレスいただいてしまって、申し訳ないです」
肩も胸も背中も大きく開いた、淡い桜色のシルクのドレス。しろがねのプロポーションを強調するピッタリとしたラインのドレスは右の太腿のかなり深いところからスリットが入っている。腕も剥き出しだから、かなり露出度が高い。しろがねはあまり露出の高い服装は昔から気にならない性質なので、自分がすこしばかり『挑発的な』もしくは『扇情的な』格好をしているという自覚はない。
もちろん、服をプレゼントした勝にはちょっとした『意図』があったのだけれど。
「男を落とすための、ひとつの作戦だからね」
「はい?何ですか?」
「ううん。こっちの話」
「それにしても、本当に遅いですね」
「うん…そうだね…」
勝は腕時計に目をやった。
不発かな?僕の挑発がまずかったのか、足りなかったのか…?
これでダメなら、また作戦を練り直さなくちゃならないけれど、絶対来るはずなんだ、だって…。
そのとき、店員がやってきて勝に何やら耳打ちをした。
「うん、ありがとう。…しろがね、会社から僕に連絡が入ったみたい。ちょっと行ってくる」
「分かりました」
個室のドアの向こうに消える勝を目で追って、しろがねは俯いた。
俯いて、鳴海のことを考えた。
カトウは本当にミンシアさんのことが好きなのかな?
私にはあんなふうに開けっぴろげに好意をぶつけることができない。私はこんなになってもまだ待つことしかできない。
ヴィルマはアオイトリには羽があると言った。いつでも飛んでいけるのだ、と。
アオイトリ。目の前にある幸せのこと。
私のアオイトリはカトウナルミ。
ばたん。
とドアが開いた。一流店にしてはらしくないドアの開け方に眉を顰めながらも、
勝、または遅れてきた相手方を出迎えるためにしろがねは立ち上がった。
だが、そこにいたのは
肩で荒い息をつく、加藤鳴海だった。
19時が近づくにつれて、鳴海の落ち着きはなくなった。
しろがねがリシャールの親に紹介される。これで気に入られれば話はまとまってしまうかもしれない。
気に入られないわけがない、だってしろがねだぞ?話がまとまってしまったら、とんとん拍子で結婚ってことになる。
当然、オレのところにも披露宴の招待状が届くだろう。そんなもんに笑って出られるもんか!あんな女、鐘や太鼓を叩いて探したっていない。ましてや、オレにとっては唯一無二の女だ。
代わりがどこにもいない。どこにもいない。誰も代わりになんかならない。
今なら、まだ間に合うかもしれない。今なら、まだ捕まえられるかもしれない!
今日の会食の席なんざ、ぶち壊しにしてやる!
鳴海は仕事を放り出すと、社長室の机にとって返し、その上の小さな紙切れをむんずと掴んだ。後はひたすらバイクを飛ばし、制止する店員を振り切って、今ここにいる。
「カトウ。何か会社でトラブルでもあったのか?」
そう声をかけるしろがねを見て、鳴海は絶句して、表情を険しくした。
おまえ、あいつとあいつの親父に会うために、そんなに気合を入れたのか?
何なんだよ、それ?殺人的にきれいじゃねぇか?
オレ、おまえがそんな風に化粧をしているとこも見たことねぇよ。
おまえにとって、今日の席はそんなに気合をいれるべき席なのか?
「まだ…誰も来てねぇのか?」
「相手はまだきていない。お坊ちゃま…社長は今、会社から連絡が入って、外に出ている」
間に合ったか。鳴海は大きく吐息した。
「それで、カトウ、何かあったのか?」
「…おまえ、肌、見せすぎ」
「え?」
しろがねは慌てて胸元を手で隠す。
「なぁ、このままフケねぇか?」
「はい?カトウ、どういう…?」
「あのよ、オレ、ミンシアとは本当に何にもないから」
唐突に、鳴海は切り出す。真っ直ぐな瞳で真面目な顔で。
「確かに、ホテルの前に立ってたよ。でも、入ってねぇ。あれ以来、ミンシアとは口もロクにきいてねぇ。そこんとこは、信用してもらうしかねぇんだけど」
「カトウ」
「オレにはおまえしかいねぇんだ。おまえしか…おまえがいなくなったら、オレには何にも、ねぇんだよ」
鳴海はつかつかとしろがねに近づくと、その身体をぎゅうっと抱き締めた。
「ごめんな。今更かもしれん。でも、おまえを愛してる。ずっと前から」
銀色の髪に頬を押し当てて、その細い身体が折れそうなくらい抱き締めた。
しろがねは鳴海の背中に回した手でそのスーツをぎゅっと握ると、泣きそうな顔をした。
「……私も……あなたの中に私の幸せがあるのだもの」
と囁いた。
勝は部屋の外でにっこりと微笑んだ。
だって、兄ちゃんはしろがねが大好きなんだもの。飛んでくると思ってたよ。
もう、大丈夫かな。
勝は店員に「あとはよろしく」と小声で告げると、そっとその場を立ち去った。
「失礼いたします」
個室に店員たちがなだれ込んできたので、鳴海としろがねはバッと身体を離した。
店員たちはテキパキと4人用のセッティングを2人用のものに変えていく。
「来られないと連絡があったのですか?」
気恥ずかしさに赤くなりながら、しろがねは店員のひとりに訊ねた。
「いいえ、本日は初めから二名様でお伺いいたしております。才賀様より、後からみえたお連れ様とお食事を楽しまれるよう言付かっております」
「お坊ちゃま…」
「ちぇ。みんな勝の思惑通り、か。まんまとオレは乗せられたんだ」
「?どういう?」
「せっかくの勝の心づくしだ。頂戴しよう。メシを食いながら説明してやるよ」
「こうやってふたりでゆっくりとメシ食うの、初めてじゃねぇか?」
「そうだな…サーカスの買出しでよくファストフードは食べたけれど」
「うん、金がなかったしな」
「それにしてもお坊ちゃまも大胆なことをする。あなたも私とリシャールがお見合いするってどうして信じたのか」
「それは……まあ、ありえない話じゃねぇなー…って」
「それで血相を変えて飛んできてくれたのか」
しろがねは嬉しそうにクスクス笑う。
鳴海はしろがねが本当に楽しそうなので、それだけで嬉しかった。
微笑んでワイングラスを傾けるしろがねの肌はアルコールがはいったことでほんのりピンク色に染まって、鳴海の視線はドレスの胸元から零れ落ちそうなしろがねの大きな胸に釘付けで、何だかもう今度は別の意味で落ち着かなくて、食事の味もよく分からなかった。
よし。
この店を出たら、「オレと付き合おう」って言おう。そんで「久し振りにオレんちに来ないか」って誘おう。
そんで明日はふたりとも休みじゃねぇけどかまうもんか、もう今夜は寝かせねぇ!
鳴海は絶対に譲れないプランを胸に秘め、魚料理を口の中に放りこんだ。
鳴海の今夜のプランには何の障害も現れず、無事実行された。
日本屈指の大企業『SPYGA』の株価は今日も絶好調。若い社長の的確なトップダウンが最近さらにキレを見せている。
噂によると長年の頭痛の種が消えたのが勝因とのこと。
今日も勝社長の後ろには耳目を集めるふたりの秘書が控えている。
勝社長はふたりに挟まれてピリピリした空気を感じて気まずいことはなくなったけれど、何だか空気が甘くて息苦しくなることが多くなった。
仕方ないね。近々、夫婦秘書になるんだから。
でもホント、ふたりとも自分の幸せを捕まえることができてよかったよ。
勝社長は大好きなふたりの秘書に囲まれて、にっこりと微笑んだ。
End