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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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舞台設定、人物設定、その他もろもろ完全創作です。





神隠し 4/4





昔々、人間達に、この山の名を冠した神として祭られ、神格を得た日から、彼女は己の懐に息づく者達の営みを見護って来た。山間の寒村に住む者達は、慈母の心に溢れた自分達だけの土地神を欲し、山の神としての彼女に求めたものは五穀豊穣だった。冬は豪雪、夏は旱の痩せた土地。食うにも困る人間達の中で口減らしや子捨ては常態化していたから、多産の神としての利益を求められることは滅多になかった。
彼女の懐に住む人は昔から多くはなかったが、現代の世になってそれは加速度的に減少の一途を辿った。限界集落、そう呼ばれて久しい。新しい命は年にひとつ誕生すれば僥倖だ。若者はどんどん出て行ってしまうから寂れていく一方、人間の減る土地は緩やかな死に向かっている。そして彼女も、忘れられた神であることすらも人間から忘れ去られた時、消滅することが定められている。


人間達から忘れられた彼女だけれど、それでもこの山を統べる土地神だったから、遠くから彼らの営みを見護っていた。新しい命や幼い命は、彼女の存亡を左右する存在だから、殊にその成長を見護った。禁足地に迷い込んだ子供は見つけ次第、家に送り届けた。道中、一緒に遊んだりして慰めることもある。迷子になった子供達は皆、一見して人ならざる者と知れる彼女を慕ってくれた。「また遊ぼうね」、別れ際に必ずそう言ってくれるけれど、誰一人、その口約束を守れた者はいなかった。誰も彼もが彼女との出会いを忘れる。そして、大人になり、彼女の存在を軽んじる者になる。
彼女にとってそれはとても悲しいことだったけれど、自分と人間の道は交わらないものだから仕方がない。神とは何よりも孤独なのだから。


ある年、ある人間が、生家に息子夫婦を連れて帰省した。その人間は若い頃に都会に出て行った男なのだが、毎年お盆の時期に帰省した。今年は息子が結婚しためでたい年、若妻も連れて来た。若妻は臨月間近の大きなお腹をしていた。
翌年も息子夫婦はやって来た。その腕には男の赤子が抱かれていた。


大人達が酒の席を囲んでいる間、赤ん坊は客間でひとり、布団の上で昼寝をしていた。その枕元に白装束に緋袴姿で彼女はふわりと現れた。部屋の空気がさあと清められ、彼女の身体から発せられる光で周辺に漂う黒い埃のようなものが祓われる。
月足らずで生まれたことを差し引いても、間もなく一歳の誕生日を迎えるのに小さく痩せている体、餌食いが悪いのだろう。つい最近、寝返りを覚えたばかり、歩けるようになるまでまだまだ時間が掛かりそうだ。我が子の成長の遅さに母親も心配していることだろう。余りの育ちの悪さが気になって、彼女は人里まで降りて来てしまった。
傍に座し、覗き込む。赤ん坊は眉間に皺を寄せて困ったような顔で眠っていた。
『ふふ。何をそんなに辛そうな顔をしておる?それにしても、おまえの魂は綺麗だな』
綺麗過ぎる魂は悪しきものに魅入られやすい。あの黒い埃のようなものは赤子の無垢な魂に魅かれた邪気だ。今は先祖の加護で助かっているけれど、赤ん坊を護るごとに加護は弱くなる。早いうちに何か手を打たないと、残念だがこの子は長生きできない。
『すまない。私に力があれば、己で払う手助けをしてやれるのに…』
神の力は信仰する者の数に比例する。だから元より力のある神ではなかったが、今や無力にも等しい。下界の空気は彼女には毒気を孕む。この場にいるだけで彼女の力は削られる。神籬の楠の中でしばらく眠れば回復するものの、その都度、彼女の存在は小さくなっていく。


しばらくすると、赤ん坊はふやふやと泣き出した。目覚める頃合いなのだろう。泣き声も力無い。
『おまえは…成長した暁には、とても大きく立派な男子になれるのだぞ…だから負けるな』
微笑みかけ頭を撫でてやる。すると、赤ん坊の泣き声は次第におさまり、丸い目が彼女を捉えた。途端、きゃきゃと嬉しそうな笑い声を上げた。
『私に笑ってくれるのか?おまえは良い顔で笑うな』
上体を屈めて赤ん坊の笑顔に応える。長い髪が肩を滑り、敷布の上にこぼれた。キラキラと銀色に輝く長い髪、それは赤ん坊の目に物珍しく映ったのだろう。紅葉の新葉のような手が銀糸の束を一掴みにした。赤ん坊はくんくんと引っ張って遊んでは楽しそうに笑う。
『あ…これっ』
「鳴海?起きたの?」


昼寝から目覚めた赤ん坊の声を聞きつけて母親が声を掛けた。
『は、放すのだ、ナルミとやら』
人間に実態を捕らえられているとその場を離れることが出来ない。姿を消していても人間の目に留まることが増え、社を『心霊スポット』などに貶めてしまった己だ、赤子と繋がっている今は確実に母親の目に映るだろう。力を失っているとはいえ神は神、身動きの取れない状況で人間の大人の前に姿をさらすわけにはいかない。トタトタと母親の足音が近づいてくる。
『ああ、ナルミ。頼むから放してくれ…』
鳴海は円らな瞳で見上げてくる。可愛らしい声を上げ、笑顔を向ける。放してくれる気は無いらしい。
『もう…仕方のない子だな…』
神の身になってから今日まで、人間に捕まえられたのは初めてのことだ。
『ナルミ、か。初めて私に触れた人間、おまえを忘れまいぞ』
彼女は微笑みを返すと、赤ん坊の頰を撫でた。


「鳴海?どうしたの?珍しいわね、起き抜けにぐずらないなんて」
いつもグズグズと泣いて起きる赤ん坊が宙に手を突き上げて楽しそうに笑っている。
「こんなにはしゃいで珍しいわね。楽しい夢でも見たの?」
母親は赤ん坊の傍らに膝を突く。
「何かしら…花の香りがする…」
でも、ここには花なんて飾っていない。仏間ならまだしも、それだって香るのは菊や百合だ。
そして、赤ん坊が握る何かに気が付いた。赤ん坊を寝かしつけた時には無かったもの。
それは一房の、絹糸のような銀色の長い長い髪だった。





**********





沈みかけた太陽が境内を茜色に染める。しろがねはひとり、社殿の階に腰掛けて物想いに耽っていた。掌の中の守り袋に目を落としては、嘆息を繰り返す。
今日という日が終わる。訪ね人は今日も来なかった。
蜩が遠く近く、物悲しく鳴く。
しろがねは溜息を吐いてばかりの己に、ふ、と笑った。
私は何を待っているのだろう。


「午後も遊びに来ていい?」
鳴海がそう言い残してから早八日が経つ。鳴海はここでの出来事をすっかり忘れ、極普通の日常を送っている。相変わらず、村の子らには仲間外れにされてはいるけれど。神隠し騒動など無かったかのように平穏に過ごしている。
しろがねは両手で大事に包む、守り袋にまた視線を落とす。銀色の瞳が寂しそうに細められた。
「また遊びに来る、その言葉を実現できた者などいなかったではないか…」
何人も幾人もいた。でも下界に戻れば忘却が定め。誰もしろがねのことを思い出さない、二度と訪れない。先だってのナルミは万に一つの、稀有な例なのだ。流石に三度目はない。
そう分かっているのに、しろがねはあれからずっと、こうして待っている。あの鳥居の向こうに彼の笑顔が覗くのを。
かあ、かあ、と烏が鳴いた。烏が塒に帰って行く。遊ぶ子供の帰る刻限だ。
「さ、頃合いだ。それに明日はもう…」
しろがねは諦めの笑みを口端に上せた。その時。


「しろがね!」
不意に名前を呼ばれ、すっくと腰を上げた。まさか、と目を遣る鳥居の向こう、石段を覆う熊笹の中から鳴海が現れた。
「はあ…はあ…良かったぁ…はあ…もう帰っちゃったかも、って心配してたんだ…」
あの長い石段を懸命に駆け上がって来てくれたようで、鳴海は肩で息をついている。
「ごめんね、しろがね…。やっぱりぼく、忘れちゃってたんだ。やっと思い出せてさ、もう陽が暮れちゃうし急がなきゃって走って来たんだ」
「どうして思い出せたのだ…」
鳴海に会えて安堵する反面、何故、鳴海に限って完全に忘れ切らないのか不思議でならない。
「コレ」
と、鳴海は手にしていた手布を差し出した。しろがねが受け取ったそれは、鳴海に禁域の空気を吸わせぬよう口鼻を覆わせた手布だった。
「前にしろがねに貸してもらったハンカチ、あの時ポケットに入れたまま持って帰っちゃってて。ぼくはしろがねのことを忘れてるし、洗濯物に紛れてたしで、さっきソレを見つけても誰のなんだろうって…で、何となく匂いを嗅いで思い出したんだ」
「匂い?」
「お花の匂いがほんの少しだけ残ってたよ。その匂いで何かを思い出しそうになって、考えて考えて、しろがねを思い出した。ごめんね、勝手に持ってって」
しろがねは話の中の鳴海を真似て、くん、と手布を嗅いでみて、くすりと笑った。
「私の匂い、か。今のコレからはナルミの匂いがするけれど」
「ええ、ホント?握りしめて走ったからかなぁ」
どこか恥ずかしそうに「ごめんね」と謝る鳴海に首を横に振る。
香りの中に私を見つけ、私を思い出して、私に会うために息急き切って走って来てくれたのか
薄暗い林の中を、怖がりなのに
しろがねの胸の中がじんわりと温かくなる。


「ホントにごめんね、ずっと忘れてて」
「言っただろう?ここのことを忘れることは決まりなのだ。忘れたことをおまえが謝ることはない」
「でも、しろがね、待ってたでしょ?」
「それは」
確かにずっと待っていた。鳥居が正面に見える社殿の階に座り、ずっと。
「もっと早くに思い出せていたら、もっと一緒に遊べたし、もっと掃除も出来たのに…」
鳴海は言葉を切り、そしてとても言い辛そうに
「あ、あのね、それで、ぼく…」
と口が重たくなった。しろがねが
「明日、帰るのだろう?」
と助け船を出す。
「知ってたの?……そうなんだ。明日帰るんだ、東京のおじいちゃんの家に…だから、最後にどうしても、しろがねに一言お別れが言いたかったんだ」
「ナルミ」
しろがねは鳴海に寄ると、手にしていた守り袋をその首に掛けた。


「これ、何?御守り?」
鳴海は怪訝そうに、胸元に提がるそれを手で掬った。よくある御守りと似た形、でもよくある【家内安全】とか【学業成就】とか【安産祈願】のような文字はない。先程しろがねに返した手布と同じ草木染の布袋に二重叶結びにした水引が付いている。
「これを首から提げていろ。肌身離さずな」
「いつでも?」
「いつでも。ただ、床には置いてくれるな、不浄…汚れからは遠ざけて欲しい」
「お守りもしろがねと同じアレルギーなの?」
「そうだ。あれるぎだ」
「分かった、ありがとう。大事にするよ」
鳴海は御守りを温めるようにして胸に手を置いた。
「さあ、もう帰るがいい。空が暮れて来た」
「来たばかりなのに…ぼくがもう少し早く思い出していれば…」
東の空は葡萄色に染まり、西の空には宵の明星。名残惜しくとも「さよなら」をしなければならない。


「ねえ、しろがね」
「何だ?」
「しろがねは『山の子』なんでしょ?」
並んで石段を下りながら鳴海が訊ねた。しろがねは少しの間の後、困ったように眉を顰めて
「人は、そう呼ぶな」
と答えた。
「みんな、家に帰るとしろがねのことを忘れちゃう」
「それが決まりだからな」
「ぼく、この神社に来年また来るよ。今度はたくさん遊ぼうね」
「ナルミ…」
「次に会う時には猫背を治してるからね。好き嫌いしないで身長も伸ばす。しろがねよりも大きくなる。運動もして『トロい』って馬鹿にされないように頑張る」
「……」
「絶対、しろがねのこと、思い出す…!」
鳴海は自分に言い聞かせるようにしてギュッと御守りを握り締めた。
「だから」
「ああ、そうだな……来年の夏が来たら、私は毎日おまえをここで待っていよう。社殿の階に腰かけて、おまえがあの鳥居から現れるのをずっと待っている」
最後の石段を下り鳴海に向かい合うと、しろがねは淡く微笑んだ。鳴海も笑顔に笑顔を返す。
「それじゃ、待っててね!しろがね、またね!」
「ああ、ナルミ、また、な」
しろがねに大きく手を振り、鳴海は笑顔で鳥居の向こうに消えた。
「ナルミ、息災でな…」
既に諦念の笑みを口元に浮かべ、しろがねも山の空気に溶け、消えた。





誰もいない、山間の薄闇に沈みゆく境内に蜩が鳴く。
ひとりは嫌だよと泣きながら。



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