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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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(41) 死滅回遊 7/8





荒い呼吸に肩を上下させ、くったりと手足を弛緩させるエレオノールを胸に寄りかからせて、自分もシンクに頭を凭れかける。鳴海の呼吸もエレオノールに負けず劣らず荒い。
エレオノールの小さな手の平では掬い切れない量の精液は、指を伝い肌を伝い、重ねる鳴海の手をも汚していく。彼女の滑らかな肌を垂れ落ちるそれを親指の腹で擦り、刷り込む。溢れ出た己の体液を、人形のように動かないエレオノールの肌に塗り拡げる。
沁み込んでしまえばいい、オレの匂いも醜さも全部。そうすれば野郎共から敬遠される。誰もおまえに見向きもしなくなればいい。
けれど、呼吸が正常に戻るにつれて徐々に、理性も立ち戻ってくる。何やってんだオレ。ぽろ、涙が落ちて、慌てて肩口で拭った。こんなことをしても、取り返しのつかない関係に陥っても、コイツは、手放さなくちゃならねぇんだ、その考えが、変わらない。鳴海はエレオノールの上にそっと覆い被さるようにしてぎゅっと抱き締めた。


「ナルミ…」
胸元から小さな声がした。寒そうに強張る細い身体が、彼女の後悔を雄弁に物語っているような気がして胸が痛い。
「どうだ?上書きは出来たか?」
精一杯、普段通りの声色を心掛ける。
「うん、ありがとう…」
エレオノールの声も普段通りに聞こえる。在り得ないのは、重なる二枚の左手が精液塗れの点くらい。
「ナルミ」
「うん?」
「本当に、ごめんなさい…」
「謝らねぇでいいって」
「ナルミ、傷ついてない…?」
彼女の意図が分からなくて
「何でオレが」
と訊ねると、顎が胸につくほどに銀色の頭が項垂れた。
「私、こんなことを頼んで、あなたの…あのひとに対する想いを傷つけてしまった…それが、あなたの罪悪感になってしまったら悲しいと思って」
鳴海の瞳に傷ついた色が差す。
この期に及んで、おまえが考えることはそれなのかよ?
この期に及んで、オレが、他の女を想っている、その『設定』を持ち出すのかよ?
オレが罪悪感を持って、おまえを愛撫したと?


ギリ、と唇を噛みながら、自分勝手はオレだよな、鳴海は自嘲する。素直なエレオノールが『嘘設定』を信じるように仕向けているのは自分自身なのに、それを彼女の口から聞いて傷つくなんて本末転倒もいいところだ。
「私、おかしくなっていたの、だからあなたに、こんなお願いを平気で…」
「そう…だと、オレも思う。不安定になっても仕方のない目に遭ったからな」
「あなたは何も悪く思うことなんてない。あのひとに申し訳なく思うことなんてない。あなたは私に…カラダを貸してくれただけなんだから」
「だから…何も…気にすることはない、と」
おまえに、対して。
「そう。悪いのは私。だから。ナルミ」
「……」
「忘れてね…今、あったことは」
ゴツ、と後頭部がシンクにぶつかった。ゴツ、ゴツ、と何度も頭を打ち付ける。
忘れて、ね。忘れろ、か。
忘れられる、わけねぇじゃねぇか!
重ねた互いの手は鳴海の精液に塗れ、辺りにはまだエレオノールの蜜が放つ甘い香りが濃く立ち込めている。鳴海の肉樹はいまだ萎える気配がない。このまま押し倒して繋がろうと思えば幾らでも、男女の一線を軽く越えられる立ち位置に向かい合っているのに、あっさりとそんなことを言えるエレオノールが恨めしくて仕方がない。
それはあくまで鳴海自身の都合でしかないと、頭では理解しているけれど心がどうしても追いつかない。


鳴海は面を上げたままの剛直を無理やり下着の中に押し込んでスウェットを引き上げると、エレオノールと手を重ねたまま彼女と一緒にゆっくりと立ち上がった。シンクの蛇口を捻り、勢いよく流れ落ちる冷水に右手を突っ込んだ。冬の夜の水は肌が切れそうに冷たいけれど、少しでも煮えた頭を冷やせたらと手をさらし続けた。流れる水が温かなお湯になると、黙ってエレオノールの手を引き、精液を洗い流した。石鹸を泡立てて何度も何度も洗ってやる。両手で包むように、指の股も、爪の先も、どこもかしこも病的なくらいに泡で擦った。
「ほれ、きれいになった」
タオルで水気をきれいに拭き取って、手を彼女に返してやる。
「汚れは汚れで上書きした。痴漢野郎の感触はもう消えたな?」
「うん」
「寝て起きたら、いつものエレオノールに戻れるな?」
「うん」
頷く銀色の頭に、ぽん、と手を載せ撫でてやる。


「ならいい。おまえも、何にも気に病むなよ?オレのことなんて考えなくていーんだからさ。オレの罪悪感は…おまえには関係のねぇ話だから」
「関係…ない…?」
「おまえはオレにああ言ったが、おまえはおまえで……その、オレの」
鳴海は自分の胸の真ん中を拳でとんとんと小突き
「ここに居るヤツのことは…」
と言い淀む。鳴海は『架空の恋人』への純愛を貫かなければならない。けれど、最近ではそれが苦痛で仕方がない。本音と欲望が乖離した現実を押しのけようとしている。それを建前と理性で統制を図ろうとするとどうしても渋面になってしまう。嘘が苦手な自分の限界が近いことを悟るが、それでも果たさねばならない。
エレオノールを、自分が手をどんなに頑張って伸ばしても届かない場所まで遠ざけるためには。
眉間に深い皺を刻んで見下ろすと、薄明りにも分かるくらいに、エレオノールが泣きたそうな顔をしていた。銀色の瞳が水面に揺れる月のようにユラユラとしている。
「エレオノール、どうし」
ドンッ、とエレオノールの小さな、けれど硬い拳が鳴海の胸を打った。鳴海が指し示したその場所を、両の拳が何度も何度も打つ。





関係ないわけないじゃない!
あなたにはそうでも、私にはそうじゃない!
私はあなたを愛しているのだもの!
本当は、喉から手が出るくらいあなたの心が欲しいのだから!
あなたの心にそのひとが居る限り、私には手が届かない!
関係ないわけないじゃない!
出てって!ナルミの中から出てって!
お願い!その場所を、空けて!





こんなちっぽけな拳で鳴海を縛る亡霊が打ち砕けるのなら、手骨が粉々に折れたっていい。こんな子供染みた真似をしたところで無意味だってことは嫌程分かっている。それでもそうせずにいられないのは、鳴海の心を占めている誰かが居る間は、エレオノールの感情の行き場がどこにもないから。
これまでずっと我慢していたけれど、今夜はもう色々と我慢が出来なかった。
あの日の『曲馬団』で鳴海と結ばれることがないと覚悟した時から、ならば心身ともに鳴海に操を立てようと心に決めた。鳴海が知る由がなくとも、彼の妻として準じようと、彼に触れてもらえないのであれば誰にも触れさせないとそう固く誓ったのに、痴漢に穢されてしまった。一生、誰にも触れられないままで鳴海の傍らにいられればそれで良かったのに、痴漢なんぞに身体を触られたことがどうしても許せなかった。
だから『上書き』だなんて無理やりな理由で鳴海にお願いしたわけだけれど、彼の愛撫を受けている間、エレオノールの頭の片隅では鳴海の想い人が小さな棘に姿を変えた。もしかしたら鳴海は今、私を、誰かの代わりに愛撫しているのかもしれない、私の向こうに二度と触れることの叶わない誰かを視ているのかもしれない、そんな可能性がずっと頭の片隅に蹲っていた。
建前と本音、板挟みになった心が悲鳴を上げて、鳴海の胸板を何度も叩き続ける。鳴海は為すがまま、エレオノールに胸を貸してくれた。次第に力が抜けて、エレオノールの両手は鳴海の胸の上で動きを止めた。


「ごめんな」
何故か鳴海は謝った。
「オレ…、おまえの辛いのを、完全に取り去ってやれなかったみてぇだ」
「……」
「上書きは済んだ、ってなら、おまえのこの憤りの原因は別にあるんだろ?オレに出来ること、まだあるなら」
「もう、いいの。私こそごめんなさい…」
「エレオノール」
「感情がまだ、安定していないだけ。寝て起きたら大丈夫」
ちゃんと鳴海の目を見て、にこ、と小さく微笑んで見せる。
「もう二度と、こんな迷惑はかけないって誓うから心配しないで」
「エレオノール、オレは」
「すっかり冷えちゃったわね…お布団に戻りましょう。ナルミ、起こしてごめんなさい」


すい、と踵を返すとエレオノールは足音なく歩き出した。鳴海もその後をのろ…とついていく。階段の麓で立ち止まり「おやすみなさい」を言いかけるエレオノールの頰に鳴海はキスをした。キスを返すエレオノールを抱きしめたがる衝動を必死に堪え、二階に上がっていくエレオノールを見送った。しばらくはその場から動けないでいた鳴海だったが、彼女の細い背中を見つめていた視線を自分の手元に落とした。くん、と匂いを嗅いでみるもそこには石鹸の匂いしか見つけられない。でも、感触が残っている。エレオノールの濡れた肉の感触が両指に残っている。自分の指に舌を這わせ、口に含む。そして、はあ、と大きく溜息を吐いた。
「布団に戻る前に、シャワー借りよ…」
こぼれた精液で汚れた下半身が冷たくなってきて気持ち悪い。
「勃ちっ放しなのも…どうにかしねぇといけねぇや」
鳴海は特大の溜息を吐き出して頭を掻き掻き、風呂場へと足を向けた。







翌朝、エレオノールはひとり、ダイニングチェアに腰かけてぼうっと考え事をしていた。いつもの朝食の時間は大きく過ぎているけれど、鳴海も勝も起き出して来ない。休日だから遅いのを考慮に入れても、勝はともかく鳴海が起き出して来ないのは昨夜の出来事が影響していないとは言い切れない。エレオノールもあまりよく眠れなかった。違う意味で疼くようになってしまったカラダを宥めるのに少し時間が掛かってしまった。
両手で顔を覆うと手の中の闇に眼を閉じて、鳴海の指を反芻した。ぞく、と駆け下る甘い痺れに脚の付け根を引き締める。今も、鳴海の指が肌の上に在るような気がする。
快感に呆けた自分の表情を見下ろした鳴海の、肉欲の滾った瞳、一度でもあんな瞳でエレオノール自身を欲しがってもらえたら
「私…きっと、何も思い残すことないのに…」
でもそれは叶わない夢。


鳴海を追って母国を離れ、遠いこの国に一人でやってきた私は、死滅回遊の状態だ。
死滅回遊とは本来、主として回遊性を持たない魚や鳥の個体が、海流や気流に乗って、本来の生息域を出て行ってしまうこと。
暖かな潮に乗って遥かな見知らぬ海にやって来た魚。
この身を取り巻く温度が下がってしまったら、死ぬしか術のない鳥。
鳴海の傍にいられなくなったら、その笑顔が見られなくなったら、私は生き方が分からない。きっと私の心は死んでしまうに違いない。



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