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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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舞台設定、人物設定、その他もろもろ完全創作です。






心なんてものがあるから
苦しくなる
寂しくなる
悲しくなる
だったら心なんて最初っからなけりゃあいい



心なんてものがあるから
勝手に誰かを好きになって
報われねえ恋をして
死にそうに辛い想いをするんだ
心がなければ恋も知らなくて気楽なもんだ



心なんかいらねえ
心なんかなくっても困らない
だから
心なんか吐き出してやる



あいつごと



空の彼方に



捨ててやる





そうしたら ほら





なーんにも苦しくない寂しくない悲しくない







辛くなくなったのはいいとして







楽しいとか



嬉しいとか








それって何だっけ?





銀と黒の詩。
そのなな、春夏秋冬 ~心象厳冬~





ギイの来訪から二日、しろがねはまだ旅立てずにいた。雪がなかなか降り止まなかったのだ。
ギイの旅疲れを考えればもうしばらくの休息が必要で、出発が伸びることは別に悪いことではない。帰郷を決めたのであればこれからの雪深くなる季節を避け、幾分暖かくなってから発った方がよりよいのは明白だ。
それが分かっていてもしろがねが出来るだけ早い出立を急いでいるのは、偏に己の決心の揺らぎを恐れているからに相違なかった。しろがねは一刻も早く、ナルミの住む森を離れたかった。自分とナルミとの間に圧倒的な物理的距離を置きたかった。物理的距離によって、ナルミへの想いを諦念の向こうへと遠く追いやり、胸を塞ぐ何もかもを紛らわせてしまいたかった。



「まだしばらくは雪が続きそうだな」
ゆったりとワイングラスを傾けながらギイは言った。しろがねは旅支度の点検をする手を止めて
「そうね」
と小さく呟いた。真白な雪が吹きつけられているだろう窓は厚いカーテンで覆われているので外の様子は見えない。雪が家を叩く音しか聞こえない。
「早く止んでくれるといいのに…もう支度も終わっているのに…」
こうして雪で閉ざされて身動き出来ないでいると、心だけが飛んで行ってしまう。ナルミのことを考えてしまう。ナルミは今、どうしているのだろう?何を考えているのだろう?私のことを、少しでも考えていてくれているのだろうか…?そんなことばかりが堂々巡りをする。
嫌われてしまったかもしれない、いや、嫌われてしまったに違いない。嫌うという感情は、いつまで残る感情なのだろうか?嫌った私はナルミの心に強く残ることが出来るものなのか?例え嫌われてもナルミが忘れないでいてくれるのなら、それはそれでいいのかもしれない。



でもああ。
今すぐにナルミの元に馳せて、本当はあなたを愛しているのだと、森を去ってもあなたを永遠に愛しているのだと、そう伝えたならナルミの心に残る感情は違うものになるかもしれない。嫌われたまま別れるのは嫌だ。
嫌だけれど…愛を交わしても…未来がないのなら…やはり残るのは苦しみしかない。私を嫌って別れれば、ナルミはすぐ新しい恋が傍にあることに気付くだろう。
だが、それこそしろがねが想像したくないことだった。ナルミの心が他の誰かの方を向くなど、浅ましい身勝手と理解していても耐えられない。
帰郷を決意したことが大きな後悔に変わってしまいそうで怖かった。



「苦しそうだね、エレオノール」
ギイが心を見透かした事を言う。その瞳があんまりにも温か過ぎて、幼い頃に別れた時のまま、小さな自分を見守ってくれたあの頃のままで、しろがねは自分が少しも成長できていないようで切なくなった。
確かにその通りなのだ。
いつもいつも自分の気持ちで手一杯で他人の気持ちまで思い遣れた例がない。いつもいつも他に気遣ってもらうばかりで甘えてきた。
「兄さん、そんなことないわ。私は……」
「僕に言い繕わなくてもいいのだよ?僕が君のことを何も分からない兄だと思うかい?」
「……」
「銀狼の森に帰ることは君が決めたことだ。それに関しては何も言わないよ」
「……」
「ただ、もう全部、吐き出してはみないか?君の胸に痞えている想い、もの凄く思い悩んでいること」



ああ。
何にも言わなくても兄さんにはお見通しなのだ。
しろがねの両の拳にきゅっと力がこもった。
「誰にも言えなくてずっと我慢していたのだろう?言葉にしてしまえばきっとすっきりする。それを抱えたまま、ママンと晴れやかに再会できるかい?」
懐かしい両親の笑顔が脳裏に浮かぶ。人間に連れ去られた娘を心配し苦悩しただろう両親。両親には何の曇りもない笑顔で会いたい。
「僕の前でいい子でいる必要はないよ?あの黒狼をどう思っているのか、言ってごらん?心が楽になるよ?」
「に、兄さん…わ、私…」
唇がワナワナと震える。鼻の奥が酸っぱくなる。
「……こんなに大きくなっても…泣き顔が変わらないのだね、エレオノール」
ぼたぼたと落ちる大粒の涙と一緒に、押し殺していた言葉が唇からこぼれた。



「私は……ナルミが好き……好きなの」
「そうか…」
「私、兄さんのこともお父様、お母様のことを心から愛しているわ…!兄さんとまた会えて、どんなに私、嬉しいか…。本当によ?本当に本当に、嬉しいの…!お父様とお母様にも会いたい、物凄く会いたい…!」
しろがねはギイの胸にしがみ付き、噎び泣く。
「でも…でもね、兄さんたちを愛するように、ナルミのことも愛してしまった。だから…だから…」
「苦しかったろう、エレオノール」
ギイは会わずにいる間にすっかり大人になってしまった小さな妹を、包み込むようにして抱きしめた。



と、その時。
「今の言葉、本当っ?!」
ばたん!と勢いよく扉が開き、真っ白い雪にまみれたマサルが家の中に転がり込んできた。しろがねは慌てて涙に濡れた頬をスカートで拭うも、マサルにはしっかりと見られた後だった。マサルは雪玉が転がるようにしてしろがねの前までやってくると、その手をぎゅううっと掴んだ。
「ギイさんが兄さんって?しろがねとギイさんはフィアンセじゃなくて兄妹ってこと?」
「マ、マサルさん…!」
「それに今、しろがねはナルミ兄ちゃんを愛っ、愛してるって、そう言ったよね?それって本心?」
「そ、それは…」
マサルは興奮しきって鼻の穴が膨らんでいる。矢継ぎ早に飛んでくる質問にしろがねがオロオロと答えを探すが、マサルに納得してもらえそうな答えが見つからない。
「誤魔化さないでよ?!ちゃんと本当のことを言ってよ!」
マサルの大きくて真っ直ぐな瞳が至近距離からしろがねを捉える。大事な友達のナルミのためにマサルは懸命になっているのが痛いほどに分かる。適当な、その場凌ぎの言葉ではマサルを言い包めることは絶対に出来ない、そう悟ったしろがねは観念して



「本当です…私はナルミを誰よりも愛している…」
と本心を伝えた。その言葉にマサルの瞳はキラキラと輝いた。俄然追及の手が強まる。
「だったらどうして?だったらどうして帰るなんて言うの?!」
しろがねは、ふうっ、と大きく息をついて、そしてゆっくりとした口調で身の上話をマサルに話して聞かせた。
幼い頃、ギイと一緒に黙って銀狼の森を抜け出した先で人間のサーカスに捕まってしまったこと。ギイが一度助けに来てくれたものの逃げ出すことが出来ず、再度ギイが訪れた時には旅サーカスは移動してしまい、行く先が分からなくなってしまったこと。「必ず助けに行くから」、逃げ出すことができたら手紙を書くように、ギイがそう言い残したこと。サーカスではこの珍しく見事な銀毛故に見世物にされ、人間たちの好奇心の餌食にされ、いつ毛皮にされるかと不安でいっぱいだったこと。
「ある日、いつも通りの檻の掃除をしにきた人間が、鍵をかけるのを忘れたの。猛獣の檻の施錠は常に厳重で忘れるなんてこと、全くなかったから、私はもう一生をここで終えるのだろうと、逃げる、なんてことが頭から抜けかかっていたのだけど。その日、たまたま…鍵をかけるタイミングでその掃除夫が片思いしている女の人が近くを通りかかってね、そうしたらその人間は鍵のことを忘れちゃったの」
「……」
「掃除夫が女の人を追いかけて行って…周りに誰もいなくなって…私、心臓が割れそうだった。掃除夫はきっと鍵を忘れたことをすぐに思い出して引き返してくる、もたもたしている時間はない。千載一遇のチャンス。これに失敗したら施錠は更に強固となり、二度とこんな好機は巡って来ないだろう。否、もしかしたら逃げ出すような獣は殺され、毛皮を剥がされるかもしれない…。音を立てないようにして檻を出た私の脚はガクガク震えていたわ…」



当時を思い出すしろがねの眉間に深い皺が寄った。
「私の逃亡はすぐにバレた。長年檻の中に閉じ込められていた私の脚は上手く動いてくれなかった。息もすぐに上がった。猟犬たちが後ろから追いかけて来て…猟銃が何回も何回も火を吹いて…銃弾が耳のすぐ脇を掠めた時は気を失う寸前だった。山裾を走る鉄道が目に入った時、それを目掛けてとにかくもう無我夢中で走って……気が付いたら運良く貨車に飛び乗れていた……どうやって飛び乗ったのか、記憶にないわ」
「……」
「猟犬の咆哮が遠ざかって…サーカスがあった町もあっと言う間に小さくなって見えなくなって……鉄道が山に入り、人里から離れた頃、貨車から飛び降りて…どうにかこうにかこの森に辿り付いたの。そうして兄さんに手紙を書いた。『迎えに来て』って」
「そうしてその後、幽霊オオカミの噂がたって、僕がしろがねに会いに来たんだね」
「そうです。手紙を出してから数カ月後になりますけれど」
辛そうなしろがねの笑顔を見ているうちに、マサルは出会った日の彼女もまた辛そうに笑っていたことを思い出した。





「何て言えばいいのかしら……そうね、私は迷子になってしまったの。銀狼の森はあまりにも遠すぎて、帰り道が分からなくなってしまったの」
「迷子?」
「可笑しいでしょ、大人なのに」
「銀狼の森に帰りたい?」
「そうですね……故郷ですし。やさしい人たちが待っていますから……」





マサルは、しろがねが故郷に帰りたい気持ちは理解した。自分だってしろがねの立場になればきっと同じ思いを抱き、悩むに違いない。
「手紙を受け取って、遠い銀狼の森から危険を覚悟で私を迎えに来てくれた兄……私も幼い頃に別れた両親に会いたいのです……両親も私を心配して心を痛めていた……両親に顔を見せたいのです。だから私は故郷に帰ると決めたの」
「しろがねが故郷に帰りたい気持ちは分かったよ。じゃあ、ナルミ兄ちゃんのことは?好きなんでしょ?」
マサルの言葉と瞳にしろがねは心底苦しそうな顔をした。
「だったら、ナルミ兄ちゃんも連れてけばいいじゃない?銀狼の森で一緒に暮らせばいいじゃない?しろがねが一緒に来てって言えば、兄ちゃんは喜んで行くと思うよ?」
「私たちの故郷、銀狼の森には銀狼しか入れないのです。その森は神域。他の生き物は一歩も踏み入ることができない場所なのです。私たち銀狼は御使いなのです」



マサルはグッと息を飲んだ。確かに。こうしてしろがねとギイを並べて見ると、『神の使い』と言われても納得の神々しさを醸し出している。
マサルはすかさず代替案を出す。
「だったら…今だって隣森に住んでるんだもん。兄ちゃんが銀狼の森に一番近いところに住めばいつでも会えるじゃない?今みたいに」
しろがねはふるふると銀色の頭を振った。
「ここの森がお伽話の森のように、私たちの故郷は神話の森なのです。神域の銀狼の森は普通の世界とは時間の流れも、存在する時空も違うの…」
「どういうこと?」
「神域に住む限り、時間の流れが、違うの。神域は、ここからみたらまるで時間が止まっているかのように時の流れが遅いの。マサルさんがおじいさんになっても、私たちはほとんど年を取らないの」
「銀狼の森の1日足らずが、外の世界の1年。そう思ってくれていい」
ギイが助け船を出した。



「私がサーカスに捕まってから、かれこれ10年は経っていると思うのだけど」
「僕らの森ではまだ半月も経ってはいないのだ」
マサルは目を丸くした。
「僕がついこの間別れたエレオノールはほんの小さな女の子だったのだ。それが今ではこの通り」
ギイは幾分芝居がかった仕草でしろがねを指し示す。
「立派なレディだ…」
全身全霊で誰かを愛せるくらいのね。微笑ましくも寂しさを漂わせ、ギイは愛しい妹を見つめた。
「長老の許しがなければ私たちは森の外には出られない。滅多には出られないの。迂闊に外に出ると、私みたいに急速に年を取ることになってしまうから…。私たちの毛皮が高価なのは向こうでも同じだし…森を出る事は禁じられているの」
「ということはナルミ兄ちゃんが一緒に行っても…」
事情が呑み込めてきたマサルも次第に深刻な表情になる。
「殆ど会えないのに…会う度に永い時が経ち、ナルミだけが急速に年を取り…」
「それでも!もしかしたら兄ちゃんはたまにしか会えなくてもしろがねの近くにいたいって言うかもしれないじゃない?全く会えなくなるより、僕はマシだと思う。だから兄ちゃんも一緒に……」



「銀狼の森は存在する時空が違う、そう言った」
再び、ギイが助け船を出す。
「我々の毛皮や神の宝を奪おうとする人間たちを不可侵にするために、銀狼の森の境界は固定していない。森は流動的で、出現場所に規則性はない。通常は違う時空に存在している」
「今日、森の前で別れても、次に会う時はものすごく遠い場所に森が現れるかもしれない…」
「そう。そして神が下界に降臨する時初めて、銀狼の森はここの世界と繋がって」
「卷族であるしろがねたちも姿を現す、逆を言えばそれ以外の時は、この地上に『存在しない』、ってこと…」
「……君は賢いキツネだな」
ギイは感嘆の息をつき、ワイングラスを傾けた。しろがねは長い睫毛を伏せ、俯いた。
「だから、私は……」
「気持ちを打ち明けないで帰ろうとした…」
しろがねはコクリと頷いた。



「マサルさん。ありがとう…そして、ごめんなさい」
しろがねはマサルの手を両手で包んだ。
「あなたが泣いてしまうなんて想像していなかった。私いつも、自分のことばかりで…ごめんなさい」
「ううん…」
マサルは精一杯の笑顔をしろがねに向けた。
「しろがねも辛かったんだね。知らなかったことだけど、しろがねを責めて…僕こそごめんね」
しろがねもやさしい笑みを浮かべる。そして、よくナルミがするように、マサルの頭を親愛の情をたっぷりこめて撫ぜた。
「帰る前にマサルさんに謝ることができてよかった……マサルさんに嫌われたままお別れすることになるの、とても心残りだったから。でも…どうしてここに来たのですか?私のこと、物凄く怒っていたのではないのですか?」
「あ、うん…。僕、しろがねに用があってね…」
マサルはポケットをまさぐると、何枚かの写真を取りだし、しろがねに手渡した。



「この写真は…」
「この間のドングリ拾いの時の。……しろがねが僕らと撮った最後の写真だからさ……。しろがねが帰るなら帰るで、持って行って欲しかったんだ」
しろがねはゆっくりと写真をめくった。そして最後の一枚で手が止まる。
「すごくよく撮れてるでしょ、それ」
しろがねは大きく頷く。
「兄ちゃん、すっごく嬉しそうでしょ?しろがねと初めてのツーショットだもん。メチャクチャ興奮してるのが丸分かりだよね?そんでもって超緊張しちゃってるの。おっかしーよね」
しろがねはまた大きく頷いた。
「……しろがねも、幸せそうだよ……?」
しろがねの目が熱くなる。マサルの目からも自然と涙があふれた。
そんなふたりをギイはやさしく見守った。



「ねえ、しろがね…?」
「何ですか?マサルさん」
「しろがねは……ナルミ兄ちゃんと両想いなのに、それを隠したままお別れして、それでいいの?お兄さんをフィアンセだなんてナルミ兄ちゃんに嘘をついて……本当にそれでいいの?」
しろがねは心底苦しそうに顔を歪めると、マサルに吶々と語る。
「お話したように、故郷に帰ると決めた以上、私はナルミと共にはいられないのです。愛し合っても、同じ時を過ごすことができないのであれば…生の殆どを離れて別々に暮らすのであれば…。それならばいっそ、私のことなんか忘れて他の誰かと毎日を愛し合える未来を選んだ方が、ナルミにとって幸せです。私の想いを知らなければ、すぐにナルミの目は未来を向けるでしょう。幸い、ナルミの傍にはミンシアさんがいる…ナルミはもう寂しい想いをするべきではないの…」
「そう…なのかな…ナルミ兄ちゃんは元気になるのかな…」
「辛いのもきっと一過性だから…」
「そう…かな…?そうなら…いいんだけど…」
マサルの瞳が暗くなる。マサルがナルミを思い遣るのはいつものことだけれど、今のマサルはそれにしても様子が変だったので、しろがねは嫌な胸騒ぎを覚えた。



「ナルミ…がどうかしたのですか?」
「ナルミ兄ちゃん、ちょっとおかしくなっちゃったんだ…。しろがねのこと大好きだったから…しろがねがいなくなっちゃう、しかもしろがねにフィアンセがいる…ってのが原因だと思う。もう心が痛くて痛くて、そんな心はいらないって……心を吐き出して捨てちゃったんだって、ナルミ兄ちゃん…そう、言ってた」
「心…」
「あの兄ちゃんがね、笑わなくなっちゃったんだ。無表情で、感情もないの。『苦しくない、悲しくない、寂しくないってことは楽しいことも嬉しいことも分からないってことじゃないか!』って言ったら、もうそれでいいって。辛くなければそれでいいって。僕…あんな兄ちゃん、嫌だ…僕が悲し過ぎるよ…」
マサルの涙がしろがねの手の甲にポタポタと落ちる。
「一過性なら…きっと兄ちゃん、すぐに、元に、戻るよねえ」



「エレオノール。今すぐここを発とう」
唐突に、ギイが言った。素早い身のこなしで暖炉の火を落とすと、家中の灯りを消して回った。
「兄さん?」
「相変わらずの吹雪だが、僕らの脚なら何とかなるだろう」
ギイはふたりの荷物を掴むと、しろがねの腕に手を添えて立ち上がらせた。
「兄さん!どうしたの、いきなり」
「ギイさん!ちょっと待ってよ!」
急なことにしろがねは狼狽が隠せない。マサルも慌ててギイに縋り付いた。
「ここは君を揺さぶるものが多過ぎる。長くいればいるほど、君に悪影響だ」
「で、でも…」
「仮にだ」
ギイはどうしてかマサルに威圧感を込めて向かい合い、小さなキツネ少年相手に威風堂々と口上を述べた。



「エレオノールがそのナルミとやらを好きだとしても、その肝心の男がそんなにメンタルが弱いようでは話にならん。何か問題がある度にウジウジグダグダして周りに多大な迷惑をかけるわけだ。独活の大木なんぞに可愛い妹をくれてやれるわけがなかろう?」
「に、兄ちゃんは独活の大木なんかじゃない!兄ちゃんを何にも知らないくせに、兄ちゃんを悪く言うな!」
マサルの大きな瞳に炎が燃え上がる。だが、ギイはそれを全く意に介さず、フン、と鼻で笑う。
「僕がどんな思いでこの遠い地までやってきたと思っているのだ?その道中が平坦だったとでも思うかい?猟師に追われ死線を掻い潜り、大怪我も一度や二度じゃない。それもこれも、エレオノールを愛しているからこそだ。その男が、エレオノールを誰よりも本当に愛しているのなら、フィアンセの肩書を持つこの僕から奪ってみせるくらいの気概を見せられないでどうする!一度は直談判にくるべきだろう?それをメソメソ落ち込んでるようでは話にならん!」
「それは兄ちゃんがしろがねを愛しているからじゃないか!しろがねの意思を尊重しているから…兄ちゃんは退いたんじゃないか!」



「それで写真を口実に、心を捨てた云々、小さな友達をメッセンジャーに仕立てて、エレオノールの同情をひこうなどという女々しい手に出たわけだ」
「違う!兄ちゃんには何にも頼まれてない!僕が勝手に来て言っただけだ!」
「男らしくない。その一言に尽きる。結論、妹におまえは相応しくない!」
「に、兄さん…それをマサルさんに言っても…」
「さあ、行くぞ、エレオノール」
予想外に口火を切ったギイとマサルの舌戦の間に入ろうとしたしろがねの手首をむんずと掴み、ギイは玄関の扉を開けた。真っ白い雪が室内に吹き込んで来る。



「ギイさん!しろがね!待ってってば!」
マサルもふたりを追って外に飛び出した。ギイはしろがねの手を離すと、ひとりでマサルの元に引き返して来た。銀色の鋭い瞳がマサルを見下ろす。マサルも負けじと強い目で見返した。
「君はあの大男の親友なのだろう?」
「そうだよ!」
「君次第だ。今すぐあの男の元に行って尻を叩けば間に合うかも知れない」
「え?」
舌戦第2ラウンドを覚悟していたマサルは、ギイの語る突飛な言葉に耳を疑う。
「ナルミとやらと、そしてエレオノールの真の幸せを願うなら、君が必死になって彼を説得するんだな。銀狼の森に着く前にエレオノールに追い付くことができたなら、僕も認めてやるさ」
ギイがフッと頬を緩めたのでマサルはびっくりしてしまった。
「ヤツに伝えてくれ、本当にエレオノールを唯一無二に愛しているのなら、故郷を捨てるエレオノールに絶対に寂しい思いをさせず、誰よりも幸せにする自信があるのなら、エレオノールを迎えに来い、と」



ギイは気障ったらしい仕草で踵を返すと、不安そうに立ち竦むしろがねの肩を抱いて吹雪の向こうに消えて行った。
「ギイさんはもしかして…最初から、しろがねを…」
しろがねをこの森に残すつもりで。ナルミ兄ちゃんのことは既に認めてて。
そして僕のことを信用してくれている。
マサルは両の拳をブルブルと震わせた。
「よーうし…見てろよお」
全部全部、僕の肩にかかってる!
マサルは全速力で駆け出した。強い吹雪も、深い積雪も物ともせずに。



向かうはナルミ兄ちゃんの家!



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