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噛み砕かれる飴
柔らかい石を探す旅の空の下、小さな町の小洒落たレストランで昼食を済ました時のこと。
「これ、おまえの分」
と、僕よりも後から店を出てきた普段からあんまり脳ミソを動かしていなさそうな東洋人の大男が小さな包みを投げて寄越した。
「この店、今日でちょうどオープンして1周年なんだと。来客全員にささやかなプレゼントなんだってよ」
僕は手の中の小さな包みに目を落とした。
透明の袋にきれいにラッピングされたキャンディー。
有名洋菓子店のフルーツキャンディーは見るからに高級そうな顔をしている。
赤やピンク、黄色、オレンジ、緑に青のセロハンに包まれた、目にも楽しい飴玉。
キャンディー。
僕はあれから、飴、というものを口にしたことが無い。
舌で転がして、その上で甘く溶けていく感触はもう、何十年と知らない。
キャンディーは僕にとって、とっくに見切りをつけていたつもりなのに心の奥底で捨てきれなかった苦いものを思い出させる。
今でも。
甘いのに、苦い。
大人ぶっていた、所詮大人になりきれていなかった、青臭さが残る子どもな自分。
分かったような口を利いて、自分の胸に空いた穴に目を背けていた自分。
本当は喉から手が出るくらいに欲しかったくせに、格好つけて欲しくないフリをしていた自分。
伸ばしてくれたやさしい手に、素直に手を重ねることができなかった愚かな自分。
無知なのに、何でも知っていると信じていた自分。
でも、本物の温かさを知った時、僕はキャンディーを卒業して、情けない自分とも決別した。
僕にはもう、キャンディーは必要ない。
必要はないけれど、あれから何十年経った今でもキャンディーは捨てられた寂しい僕の象徴だった。だから食べたいと思えない。
そして食べなくてもいい。僕の胸の中にはキャンディーと同じくらい郷愁的な気持ちにさせてくれる人が棲んでいるのだから。
僕が大事な人の面影に心を温かくしていると、後ろから無粋な音が聞こえてきた。
ガリンガリン、バリボリ、ガリンガリン、バリボリ。
隣に立つ野蛮なイノシシ男が車に寄りかかりながらキャンディーを噛み砕く音。
感傷的な気分が台無しだ。
「飴、というものは舐めるもので噛み砕いて食べるものじゃないぞ?」
「んな、ちまちま食ってられっかよ?ガリガリ噛むのがいいんだよ」
「おまえなんかにはそんな高級なキャンディーなど勿体無い」
「噛んで食ったって美味いのはちゃんと分かるぜ?」
言ってる先からキャンディーを口に放り込んでガリガリとやっている。
チョンマゲイノシシに品を求めるのははっきり言って無駄だ。美意識がまるでない。
呆れたように溜め息をついた僕の目の前を、父親に手を引かれた小さな女の子が通り過ぎた。彼女は野蛮人が美味しそうに食べるカラフルなキャンディーに目が止まっている。
目の大きな、柔らかそうな色の薄い髪を真っ直ぐに伸ばしてるところが僕の大事なあの娘の幼い頃を彷彿とさせる。
「よかったらあげるよ」
僕はその子に近寄ってキャンディーの包みを差し出した。
「あ…」
女の子は躊躇うことなく手を伸ばし、もみじのような手で包みを受け取った。
「そんな、すみません」
父親が頭を下げた。
「今、そこのレストランでもらったものです。僕は甘いものが苦手ですから」
僕が目元を緩めると女の子はにこりと笑った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
僕は女の子の笑顔に満足を覚えた。
バイバイ、そう手を振る女の子に手を振り返す。何だかとてもいい気持ちだった。
「おまえはストライクゾーンが広いなぁ」
ゴリラ男がキシシと笑いながら茶化すまでは。
「さあ、行くとしようかね」
支払いを済ませた黒衣の老女の声を合図に僕らは車に乗り込んだ。今日のドライバーは僕だ。(ここ3日ばかり交代無しで大男に運転をさせたらとうとうダダをこねた。)
彼女の手にもキャンディーの包み。
助手席に収まる気難しい老女の手元を脳筋男が物欲しそうに後部座席から覗き込む。
「なんだえ?」
「なあ、それ食う?」
「おまえも貰っただろう?」
「食っちまったよ」
老女は『もう?』と言いたげな呆れた顔をした。
「全部?」
「うん。だから食わねぇなら欲しいなぁって思って」
「この甘党」
僕は車を出しながらボソリ、と呟いた。
「オレは酒飲めねぇんだからそれくらいいいだろ?」
感覚器官が動物並みの男はやたらと耳がいい。
「ガキ」
「未成年だもんよ」
キャンディーの包みが図体ばっかりが育った男に向かって放り投げられた。
「へへ。さんきゅ」
男が嬉しそうに笑っている気配がする。
ガサガサと包みを解く音に続いて、飴をガリガリと噛み砕く音。
「ずい分と騒々しい食べ方をする男だねぇ」
「うるさいなぁ。飴は噛むものなのよ、オレにとっては」
「野蛮だねぇ」
見ると、助手席の老婆は言葉と裏腹に口の端に笑みを浮かべていた。
この粗野な大男は本当に不思議な男だ。
僕らにこれまで忘れていた感情をどこからか運んでくる。
不必要と切り捨てていた何かを思い起こさせる。
無味無臭な僕ら『しろがね』の人生が味気ないものだと教えるかのように、車中には男の食べるキャンディーのイチゴの匂いが漂った。
「全く」
もしかしたら僕の口角も上がっているのかもしれない。
男が飴を噛み砕く音は、僕の甘いのに苦い記憶も一緒に噛み砕いてくれているような気がして悪い気はしなかった。
End