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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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鳴海の軽井沢生還ベースのパラレルです。





海開きのニュースが流れて間もなく、鳴海は団長に「子ども達を海に連れて行ってやってくれ」と頼まれた。
夏祭りに呼ばれては小屋を張る地方興行漬けになることが決定している夏休み、子ども達に夏の思い出を用意してやるのが親の務めだ、とか言っていたが要は連中から不満が出る前のガス抜きだろう、と鳴海は思った。それに親の務めを言うのなら「自分で連れてってやれよ、オレはサーカス団員じゃねぇんだぞ」だったのだが、鳴海がその文句を口にするよりも早く「しろがねも付けるから」と言われてしまった。
貴重な休みを献上しての遠足の引率と、貴重なしろがねの水着姿。
鳴海の中で、どちらの天秤の腕が下がったか、なんて言うまでもない。しろがねに想いを密かに寄せている男は「いいっすよ!」と気前よく引き受けていた。


想いを密かに、と思っているのは鳴海だけ、
その想いに気づいていないのはしろがねだけ。
そんなふたりの夏の一幕。







はぐれそうな天使







「いやああっほうぅうッ」
奇声を上げた子ども達は一目散に海へと駆け出して行った。
「おおい、沖には行くなよ!とりあえずオレの目の届く場所で遊んどけ!」
「はあーい」
大型海水浴場と大型海水浴場の隙間、忌憚なく言えば辺鄙な場所。そこに法安の知り合いがやっている民宿はあった。『友だち価格』で部屋を借りてくれたその宿は古くてお世辞にきれいとも言えなかったけれど海が目の前で、どこの海水浴場も芋洗いな中、地元民がチラホラいるだけの伸び伸びできる穴場ではあった。
天気は良くて波は穏やか、小さな湾状になっている砂浜はさほど深さもない。砂の上には貝殻やらヤドカリやらシーグラスやら転がっているから子ども達にはちょうどいい遊び場になるだろう。はしゃぐ子ども達を微笑ましく見守って、鳴海は適当な場所でパラソルや小型テントの設営に取り掛かった。


「…よっと。こんなもんかな」
一仕事終えて額の汗を拭ったタオルをレジャーシートの上に放り投げ、ようやく自分も海に足を向ける。後ろ髪を一つにまとめながら見渡すと、勝とリーゼと涼子は波打ち際で全力のビーチボール大会を繰り広げていた。
「あれ?ひとり、足りねぇけど…」
いた。鳴海は額に手をかざし目を細めた。ぎゃあぎゃあと大騒ぎする子ども達からちょっと離れた場所に、海に向かって潮風に銀髪を靡かせ、しろがねが突っ立っている。鳴海にとっては太陽よりも眩しいビキニ姿でただ、立っている。水着売り場のマネキンのように。
むしろオフホワイトの三角ビキニを着たマネキン、だと思いたい。
左右の脚の付け根、首、背中、4か所の蝶蝶結びが風に煽られて簡単に解けそうでおっかない。小さなビーチにいるのはしろがねの半裸を見慣れているサーカス子ども組と、他には親子連れがチラホラ散見する程度、しろがねのあられもない姿を誰かに見られる危険性は然程ないからいいようなものの、とはいえ一番ヤバいのは鳴海自身の自制心の箍が外れること。
鳴海はちょっと引き返し、荷物置き場の中からしろがねのラッシュガードを取って来る。


「おい、何してんだ、しろがね」
ぽん、と肩を押す。するとしろがねが珍しくバランスを崩し、パタパタと振り回した手で鳴海のTシャツを掴み、しがみ付いた。エロい水着姿のしろがねにいきなり抱き付かれる形になった鳴海は言葉もない。乳を押し付けられた腕がやたら気持ちいい。まさに肌が吸い付いてくる。
ここに来るまでの長距離運転が、たったこれだけで報われた。
「な…何…?どしたしろがね」
「あー、ナルミ兄ちゃーん!」
勝が叫ぶ。
「しろがねねぇ、海に入ったことなくて、そこから進めなくなっちゃったんだってー!」
「はあ?」
「お、お坊ちゃま…っそんな大声で…っ」
見下ろすと、しろがねの顔はほんのりと赤く染まっていた。日焼け、というには局地的だ。
「だから面倒みてあげてー!」
それだけ言って、勝はプライドのかかったラリーの応酬に戻っていった。
「…で?どうした、おまえ…」
「波が引く度に、足の下で砂が崩れて…引き摺りこまれそうで…」


ズルズルと身体が沈んでゆく心地がする。足が重たくて引き抜き辛くて、バランスを取っている間に次の波が来て、更に深く砂に埋まる。それ以上先にも進めず、後退することも叶わず、竦んだ足を動かすことも出来ず、その場にカチリと固まっていたのだった。もう、しろがねはどうしていいのか分からない。
世界中を旅して来たけれど、海に入ったことはなく、砂浜に裸足で立ったこともなかった。塩分は自動人形の身体を錆びつかせるので、彼らが沿岸部で活動することはなく、人形破壊の現場も内陸だった。というか根本的に泳いだ経験がない、自分がどれだけ泳げるのかも分からない。
などと鳴海に言い訳をしてる先からしろがねの白い足に波がやさしく打ち寄せている。足の下の砂がほんの少し崩れる。しろがねは傍らの大木(鳴海)に更に縋り付く。
「い…いやだ、怖い…動けない…っ」
「怖いも何も、まだ足首までしか浸かってねぇだろが。あいつら見ろよ?腰まで浸かってるぜ?」
「こ、ここはっ…流砂か何か…?」
「普通の砂浜だよ。…ほら、コレ着ろ」


鳴海はしろがねにラッシュガードを差し出した。しろがねは全くと言っていいほど余裕の無い瞳を鳴海に向けた。
「これって着た方がいい?」
「着とけよ。水に浸かると日焼け止めは剥げちまうからな。オレもこのまんまだ」
鳴海もTシャツを着たまま。
「海の紫外線を甘く見るなよ?日焼けってのァ、辛いモンだ。普段焼き慣れてねぇおまえなんか、赤だくれて泣くぞ?」
「そ…そうか…?」
大人しく、しろがねはラッシュガードを羽織る。鳴海はガッカリしながら安堵する。下半身は水に浸かる、上半身さえ覆ってもらえば自制心が多少は持つだろう。


「しょうがねぇな。ほら、手」
鳴海が手の平を差し出した。
「な、何?」
「このままここで立ちんぼして一日終える気か?おまえ、自力じゃ動けねぇんだから、オレが海ん中に連れてってやるよ」
しろがねは鳴海の手を取るかどうか逡巡し    わたわたと波が届かない場所まで逃げた。
「や、やはり、いい、私は」
「え?入ろうぜ?海」
「あ、後で入る。先に子ども達と遊んでやってくれ。私は…に、荷物番してるから」
運動神経のいい女なのにぎくしゃくと砂を踏む。鳴海の張ったテントに辿り着いたしろがねは、難しい顔をしてその中にちょこんと腰を下ろした。
鳴海は物凄くガッカリした気持ちでそれを見遣る。
「…ったく。後で絶対ぇに海に突っ込んでやる」
と独り言ちて、鳴海は子ども達の元に向かった。





夕方になり鳴海は、遊び疲れ気味の子ども達を先に民宿に帰すと、当たり前のように自分も戻ろうと帰り支度を始めるしろがねを呼び留めた。
「な、何?」
「さ、海に行くぞ。今度はおまえの番だ」
「い、いい…私は」
「後で入るっつったろ?」
「でも」
「観念しろよ。オレはおまえが一緒だってから連中をココに連れてくる役引き受けたんだぞ」
「え?」
「いーから」
鳴海は問答無用でしろがねの手を握り、歩き出す。前を行く、鳴海の耳が赤いように見えるのは太陽が橙に色付き始めているからだろうか、としろがねは思う。
乾いた砂が冷たく色を変え出す辺りでまた、しろがねの歩みが次第に遅くなった。


「だ、大丈夫なのか?」
「ちぇ。信用ねぇなぁ」
「うわ…、怖い……。足の指の間を砂が…うわ、わ…気持ち悪いい…」
「こういうモンなんだって。すぐに慣れる」
いつも偉そうなしろがねの腰が思いっきり引けていて、鳴海は可笑しくて笑いが込み上げてくる。
「な、何が可笑しい?」
「へへっ、色々と可笑しい」
「なにをう」
「しろがね、あそこまで行くぞ?」
鳴海が指を差す方向には、海から顔を出している岩場がある。
「結構、距離ないか?」
「大したコトねぇよ。あれくらい、その気になりゃ勝たちだって一息に泳ぐだろ」
しろがねには途方もなく遠方にあるように見える。
進むにつれ次第に海に浸かる部位が増え、それにつれてしろがねの恐怖ゲージも上がっていく。


波がしろがねの腰の高さになった辺りで、海の色が濃くなっているゾーンに入った。鳴海が一歩そこに踏み込んだ途端、海が鳴海を胸まで呑み込んだ。そこで急に深くなっているようだ。鳴海と目線が揃った事実がしろがねの恐怖を押し上げる。
「大丈夫だって。オレが支えてるから」
「あ…あなたは泳げるのか、カトウ…」
「オレ?まあ泳げる方だと思うけど。中国にいた頃、強制的に遠泳させられたからなぁ…」
道場の近くに大きな川があった。深くて、流れが速い川だったが、門下生は稽古の合間に息抜きでよく泳いだ。道場に通い出したばかりの鳴海は泳げなかったから見学していた。そしたら姉弟子に川に突き落とされた。死ぬかと思った。いやいや思うどころじゃ済まない、泳がないとマジで死ぬ!マジもんの三途の川になる!どうにかこうにか、這う這うの体で岸に辿り着いた。死ぬ気になれば何とかなることを知った。
以来、その様子を面白がった姉弟子に何度も落とされた。泳ぎの上達をみないことにはいつか本当に溺死すると悟った鳴海は、まさに死に物狂いで泳ぎをマスターした。


「…おかげで泳ぎ方は亜流だけどな…これっくらいはどうってコトねぇ。いざとなれば浮き輪もあるしな」
鳴海は肩にかけた大型の浮き輪を見せる。
「よ、よし」
鳴海の言葉に意を決して足を踏み出す、と、どぼんとしろがねは一気に首まで浸かった。
「きゃあっ」
半ばパニック状態でもがく、と鳴海が腰を抱え上げてくれた。
「こ、ここっ…!あ、足っ…つかないぞ!」
「大丈夫だっつーの。おまえでもまだつくって」
鳴海の言う通り、つくかもしれない、でも沖に進む毎に波は少しずつ高くなり、通過する際にはしろがねの頭の上を越えて行く。
「そういう時は波に乗ってやり過ごすんだよ」
簡単に言うな!私はビギナーなんだから!カトウの意地悪!
は心の中で叫ぶしかなかった。
「い、やああ…、ああ…あ…」
波の力に身体を浚われる感覚も恐ろしくて、しろがねはひたすら渾身の力を込めて、鳴海にしがみついた。幾度となく顔面に波の直撃を受け、おぶおぶしながら、角材のような鳴海の身体にぎゅうと縋りつくことで精一杯だった。
一方の鳴海も想定外の事態に困惑をしていた。


正直、もっと甘いムードになるモンだと思ってた。
人気のない海で、ふたりきりで波に揺蕩って、
腕の中の存在と呼吸が掛かる距離で、体温を交換して、
抱き合う身体を隔てる物は小さな布切れだけで、
気まぐれな波次第では、簡単に唇が肌に触れてしまわないとも限らない。
なんて想像してたのに。
因みに、溺れている人間を助ける時は正面から近づいてはいけない。溺れている人間に捕まえられて、一緒に水中に引き摺りこまれてしまう。だから、溺れている人間を助ける場合は、その背後から近づいて後ろから抱き抱えるといい。


しかし溺れている人間、しかもカナヅチって人種は不安が強いために、救助者の腕だけでは満足出来ず、自分の腕でもしっかりと固定をしたがる。そして、パニくった人間ってのは異常に力が強かったりする。火事場の何とかってヤツだ。
で、どうなるか、と言うと
「大丈夫だっての!腕から力抜けって!」
「やあっ!怖いっ!波が!わ、ゲホゲホッ、しょっぱい!」
「わ、分かったから!しろがね、首を絞めるなってばっ!オレを落とす気…うわっぷ」
波を避け損なって、がぼん、としろがねと一緒に塩水を飲む。少し波打ち際で練習させてから沖に来れば良かったかな…、と波を喰らう度に鳴海は思った。
原因はふたつある、と思う。
自分を過信していたのがひとつ。
しろがね一人くらいつれて海に出ることなんかどうってことないと考えてた。
しろがねが半端ないカナヅチだったことがひとつ。
もうこれが、今の状況を引き起こしている原因の九割以上だ。


単に泳げないなら泳げないで、脱力して身を預けてくれればいいのだが、しろがねの場合は海に対する恐怖心が強過ぎて全力で抵抗するからこんなことになる。
実際、彼女はかなりパニック状態で、鳴海の言葉が通らない。引いて来た浮き輪に乗れと言っても分からない。もはや、登ったものの電柱の天辺から降りられなくなった猫みたいになっている。鳴海はしがみ付かれる際にガリガリ引っ掻かれる。肌に爪を立てられるにも、それなりのTPOというものもあるだろう。
初めての、紅く残るしろがねの爪跡がこんなにも嬉しくないとは。
「しがみ付くならしがみ付くでいいから。ちっと大人しくしてろ。暴れんな」
鳴海は、両腕をがっちり首に巻き付かせるしろがねの両腿を片腕で丸太抱えにして、ようやく安定して泳ぎ続けることが可能になった。
何とまあ、ロマンティックでないお姫様抱っこであろうか。
頬と頬が触れ合って、おっぱいが形を変えるくらいぎゅうと抱きつかれているのに、何にも喜びが湧き上がらない。
不思議だ。相手はしろがねなのに。
シチュエーションとかムードとか、本当に大事だなー、と実感する。
今、鳴海がしろがねとの間に行っているのは海難救助の実地訓練であって、決してデートではない。


当初考えていたよりも遥かに時間をかけて、目標の岩場に到着した。
「ほら。着いたぞ」
しろがねの身体を岩の上に載せてやると、久し振りの揺れない感触に、彼女は縋りつく対象をあっさり、鳴海から変更した。海に対する恐怖心よりも、自分に対する信用のなさがその動作に繋がっていたのかもと、軽くショックを受ける。
「おまえは…全身に力を入れ過ぎだ…」
思いのほかの重労働に、鳴海は肩でぜえぜえと息をした。ようやくしろがねに辺りを見回す余裕が復活する。が、風光明美さを楽しむよりも
「き、岸が…滅茶苦茶とおい…」
自分達が渡って来た距離に愕然とする。
「か、帰りもちゃんと、連れてってくれるんだろうな…」
「ベソ掻くなよ…」
「掻いてない!」
鳴海は苦笑った。
「おまえは身体を硬くし過ぎなんだって」
鳴海は自分の腕に嵌めていたマスクを取り、ベルトの調節を始めた。
「だって怖いじゃないか…カトウも足がつかない場所なんて」
「ん?ほんの5,6メートルだぜ?」
「え…そんなに…」
具体的な数字にしろがねは青くなった。再び、身が竦む。


「水と人間だったら、人間の方が比重が重いが体内には空気が含まれるから浮くんだ。肺にいっぱい空気を入れるだけでも…」
「いきなりは…む、無理…」
「初めての海で、波があるって言っても…。本当におまえって泳ぎに慣れてねぇんだなァ…」
「だって」
安全なところで落ち着きが戻って来ると、先程まで鳴海に見せてしまった醜態が恐ろしく恥ずかしくて、しろがねは穴があったら入りたくて仕方ない。
「シュノーケルマスク借りて来たんだ……ほら、付けてみろ」
鳴海はマスクをしろがねの頭に合わせてやる。鳴海は怖がるしろがねの身体をゆっくりと海に戻し、岩沿いに移動させ、ある場所で海を覗くよう言った。しろがねは恐る恐る顔を付ける、と、すぐにパッと顔を上げた。


「さかな…。魚がたくさんいた」
さっきまでの消極性はどこへやら、生まれて初めての海中世界にしろがねは声に興奮の色を差した。まるで子供のようにしろがねは海を覗いた。絵本の中の竜宮城比喩がやっと分かった。
魚を追いかけるのに一心不乱で、恐怖心はいつしか薄れていったようで鳴海もホッと一息つけた。
「人間はやっぱり慣れだな」
しろがねの海への恐怖は急激に解消したようだった。一線を乗り越えると行動は一気に大胆になって、危なっかしい。浮き輪を付けたしろがねは単独での行動範囲を広げ、鳴海はかえってハラハラするようになった。あの中身が際どい三角ビキニなのが不思議だ。
まあ何にせよ、しろがねが喜んでくれるならと見守っていると、岩場の隙間で何かを見つけたらしく
「カトウ!」
と大声を上げた。
「カトウ、これは何だ?」
「どれどれ」


しろがねは腕を伸ばし、それを鳴海に見せようと身体を乗り出した。
でもちょっと気が急いて、前のめりになり過ぎて、しろがねは浮輪から滑り出てしまった。
「わぷっ」
どぼん、と上がる水飛沫。
「はは。何してんだよ、しろがね」
ユラユラと波に持って行かれる浮き輪を捕まえて、鳴海は笑った。
けれど、待てど暮らせどしろがねは
「浮かんで…来ねぇ…」
鳴海は岩場に浮き輪を放り投げて、額のゴーグルを下ろす。
「おいおい。本気で溺れてんのかよ?」
潜る。すると、本気で溺れて沈んで行くしろがねが見えた。


数秒後、しろがねを抱えた鳴海が浮上した。岩場に押し上げてやり、自分もその傍らに腰かける。ゲホゲホと咳込むしろがねの背中を摩りつつ、「大丈夫か?」と声をかけると、細い首がコクコクと頷いた。
「じっと丸くなってちゃ沈むだけだろが」
「た…宝物が…落ちてしまうと思って」
「それで溺れちまったら」
「でも、カトウが絶対に…助けてくれるって、思ったから…」
喘ぎ喘ぎ、涙目の、潤んだ瞳が言う。しろがねから命がけの絶対の信頼を示されて、鳴海の喉がグッと詰った。
「カトウ、これ」
しろがねが両手を開くと、そこには薄い水色のガラス玉。
「…元はビー玉のシーグラス、だな」
ビー玉よりは若干小さくなっているそれは、砂に削られて見事なフロスト加工がされていた。半透明のガラス玉の中に水色の帯が透けて見える。
「丸くてきれい。さっき拾ったのは平べったいのばかりだったのに」
しろがねと子ども達は『宝物探し』と称して、砂浜で貝殻やシーグラスを拾い集めた。テントの中に置かれた彼らの『宝物』は「それ持って帰ってどうするんだ」的なちょっとした量になっている。


「そんなの両手で握ったままじゃ…そりゃ沈むわな」
「だって落としたらもう見つけられなくなってしまうから」
「カナヅチ、って…本当に沈むんだなぁ…」
そんな意地悪を言うな、という視線を向けられた鳴海は「悪ィ悪ィ」と銀色の濡れ頭を撫でてやった。ふと、しろがねの目が鳴海の、自分の頭を撫でているのと反対の手に握られている物に止まる。
「カトウ、それは何だ?」
「ああ、コレ?」
しろがねの顔の高さに持ち上げる。
「イセエビ」
それも特大の。
「おまえを追いかけて潜っていたら見つけてよ。ついでに捕獲してきた」
「あなたは…余裕なんだな…」
海の中で自分は生死の境を彷徨ってたのに、鳴海は救助対象者と獲物の両方を捕まえていたと。
「漁業権があるのではないのか?」
「まー、しろがねが内緒にしててくれれば大丈夫だろ」
鳴海はニッと笑ってTシャツを脱ぐと、袋にしたその中にイセエビを突っ込んだ。


「今夜の晩飯だな」
「そう言えば。今夜はバーべキューだと言っていたな」
「おう。海の幸はシンプルな料理法が一番なんだぜ。腕をふるってやるから楽しみにしてろ」
「その後は花火大会だと」
「都会じゃ花火できる場所もねぇからな」
鳴海は太陽の角度を見て、そろそろ帰る頃合いかもな、と呟いた。
「楽しい時間はすぐに過ぎちまうなぁ…」
「本当にな…」
しろがねは手の平の上で、シーグラスを転がした。
太陽に透けるそれはしろがねの手の平にほんのりと影を落として綺麗だ。そして、それに見入るしろがねはもっと綺麗だと鳴海は思う。
「良かったぜ…おまえと海に入りたかったからさ」
「え?」
「いや何…おまえ、それ、しまっとけよ。落としちまったら、流石にそれは見つけてやれん」
「そうだな」


しろがねは鳴海の言葉に素直に従い、いきなりラッシュガードのジッパーを下ろした。締めつけから解放されたふたつの乳が重力に弾み、突然の眼福に鳴海はぎょっと目を剥いた。
その体積と荷重にその三角の布地面積とそれを吊り下げている紐の太さが心許ねぇんじゃ…、と考えている男の目の前で、しろがねは宝物をブラカップと乳の間に押し込んだ。
柔らかく凹む肉。鳴海は慌てて海の中に飛び込んだ。
「どうした?」
「い、いや…ちょっとバランス崩して…」
そっちの肉が凹んだから、こっちの肉が凸んだ、とも言えない。
「そ、そんなんで落ちねぇのか?」
「結構、落ちないぞ?皮膚に貼り付いて」
「はあ…」
確かに吸いついて離れなかった肌質ではあるが…、ごくり、と鳴海の喉が鳴る。
「ここに割と何でもしまう。ちょっと買い物の時に小銭とか…あ、でも紐の結び目が心配だな」
きちんと縛ってあるか確認しないと、と、しろがねは更にラッシュガードのジッパーを下ろした。がばっと惜しげもなく諸肌を脱いで、首と背中の蝶蝶を引っ張る。


本当に、この女は肌を露出することに抵抗がない。そして、自分が美人であることも、男が惹かれる体型であることも自覚がない。最初は鳴海も逐一、「誘われてんのか」とソワソワしていたものの、そうじゃなくて、しろがねは天然なのだ。
尤も、天然であろうがなかろうが、鳴海にしてみたら誘われているのと何ら変わりない。
結論、問われるのは鳴海の自制心。
「カトウ?」
黙ってガン見していたのがバレたのかもしれない、と鳴海は内心焦りつつ、とりあえず、その乳をしまってもらいたいが、しまわれるのも勿体無く、しばし葛藤する。沈黙を回避するだけの話題を考えるユトリはないので
「さあ、帰るとすっか」
と、鳴海は海に軽く沈み、流された浮き輪を取りに波を掻いた。浮き輪を手に戻って来ても、しろがねはまだラッシュガードを肌蹴たままで、鳴海には目に毒で、目のやり場に困ってしまう。
「しろがね、それちゃんと着ろ?『宝物』が落ちねぇようによ…そんでもって剥き出しだと、夕方だって言っても焼けちまう」
「カトウ…」
「ああ、お節介言うなってんだろ?でもよ」
「いや、そうではなくて…」
しろがねが鳴海の言葉を遮って、何やら思いつめたような瞳を寄越す。
「ありがとう…」
淡い微笑みを浮かべるしろがねが夕日に映えてとてもきれいだ。
しろがねは岩場から海にいる鳴海の元へ飛び込んだ。
沈む。慌てて引き上げる。溺れそうな危うい身体を抱き留める。柔らかい唇が鳴海の胸をかすめた。





人気のない海で、ふたりきりで波に揺蕩って、
腕の中の存在と呼吸が掛かる距離で、体温を交換して、
抱き合う身体を隔てる物は小さな布切れだけで、
気まぐれな波次第では、簡単に唇が肌に触れてしまわないとは限らない。




しろがねの指が鳴海の頬に触れた。
親指の腹がやさしく、頬骨を摩る。
「しろがね」
「なに…」
「好きだ、しろがね」
「わ、たしも」
触れ合わせた唇は冷たくて、潮の味がした。
鳴海も何度も海水を口に含んだから、お互い様なのかもしれない。
相手の口腔を舌で拭って、唾液で薄め合う。
塩味が薄れると、しろがねの柔らかな肉に戻る甘味、鳴海は我を忘れて齧りつく。
海に浸かっていても、頭も身体も冷えてくれない。
それどころか、燃料がどんどんくべられて、芯がガンガン熱くなる。
波の音が遠のく。
首筋に巻き付けられたしろがねの腕に引き寄せられて、更に深く、舌先が落ちる。
強く、細い肩を抱く。
これまでにないくらいに、全身を密着させる。
夢のようだ。
でも、合わさった胸と胸の間に感じる小さなガラス玉が、強く抱き締めるにつれてこれは現実なのだと教えてくれた。








浮き輪に乗ったしろがねはオレンジ色の海を大人しく引かれながら、目の前を行く鳴海を見つめた。
一つに括られた長い髪、太く逞しい首、広い肩、筋肉の盛り上がる背中。
さっきまで抱き締めていたなんて嘘のよう。
鳴海の肌のあちこちに残る爪跡は、行きの自分が付けたもの。しろがねの所有印だ。
しろがねもずっと鳴海のことが好きだったから、彼の告白が嬉しくてたまらない。
だけど、こんなにロマンティックなはずなのに、腹の上でイセエビがゴソゴソ這い回って、尖った足先でチクチクされて、痛気持ち悪い。


「ああ、遅くなっちまったな。急がねぇと、勝たち腹ぁ空かせてんだろ」
「そうだな…」
「しろがね」
「はい」
「夜、どっかで待ち合わせでもしようか」
「え?今なんて?波の音で…あ」


鳴海の声を拾おうと身を乗り出し過ぎたしろがねは浮き輪から滑り落ちた。
やっぱり浮かんでくる気配がない。
「またか…。いい加減学習しろよなあ…」
鳴海は苦笑い混じりの溜め息をついて、宝物とイセエビを抱えたまま沈んだ可愛いカナヅチの回収に向かった。



End
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