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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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舞台設定、人物設定、その他もろもろ完全創作です。






白銀縁起 3/7





初めから分かっていたことだ。
人間と神。
寿命が違う。
棲む次元が違う。
結ばれる未来が存在しないことは、初めから分かっていた。
守り袋を通して彼を見護る喜びだけで幸せ、
その初心を忘るる勿れ。


けれど、想いを通わせた今、


愛する男の目が、他の女を追うのは
愛する男の心が、他の女を想うのは
愛する男の声が、他の女に愛を語るのは
愛する男の腕が、他の女を抱き締めるのは
愛する男の唇が、他の女の口を吸うのは


愛する男の欲情が、他の女の秘部を貫くのは


どう堪えればいい?
山の女神は嫉妬深いと言われる、その嫉妬をどう宥めればいい?
彼は忘れてしまう、
それは彼のせいではない。
これまで誰一人として自分を忘れずにいた者などいなかった。
人間は人間と所帯を持ち、人間としての天命を全うする。
最初から分かっていたことだ。
ならば、神の身で人の子に恋してしまった愚かしさを嘆くしかないだろう。


平気だ。
この孤独は今に始まったことでもない。
私は生まれた時からずっと独りだったではないか。







鳴海が十八になる夏が来た。
子供らが待ち兼ねる夏休みとなり、鳴海は祖父と連れ立って明日、この里にやって来る。
「ナルミが幸せならば、それで良い…」
しろがねは社殿の階に腰掛け、手にした人形に暗い目を落とした。鼠に顔を齧られ、左目に大穴が開いている古い人形。ぼさぼさの黒髪に櫛を通してみても、歯欠けの櫛では毛が傷む一方だ。
人形と櫛を置き、次に鏡を手に取った。真白に曇った鏡面には大きな罅が縦横無尽に走っている。そこに映るしろがねの顔はくすみ、歪んでいる。
「何て醜いのだろう…私は…」
人間だった頃のことは殆ど記憶にない。親の顔も、己の真名も、忘れた。しかし、人柱に選ばれる子供の身の上など想像に難くない。ただ無駄に生きているのなら必要とされない存在だったのだろう。朧気に覚えているのは「醜女」「化け物」と呼ばれていたことだけ。


「私は醜い…そして、山の女神もまた、醜女…」
虎魚といい勝負の醜い女、そんな女を鳴海は愛してくれた。「キレイだ」「可愛い」、女としてそんな言葉は生まれて初めて貰った。「好きだ」と言ってくれた。それらが例え世辞なのだとしても嬉しかった。たった一時、惚れた男に抱かれただけで大豊作だなんて、どれだけ自分は愚かなのだろうか。
「それだけ…私にとって鳴海は…」
醜女を映す鏡を伏せて階に置く。そして、袂から千代紙を取り出すと鶴を折り始めた。毎年、鳴海は千代紙のお土産をくれる。千羽鶴に願掛けを始めてから二人で折った鶴はかれこれ八百羽は超えた。千羽鶴に掛けた鳴海の願いは「人の世に戻ってもしろがねのことを忘れない」だ。
千代紙を折るしろがねの指がぴたりと止まった。作りかけの鶴の輪郭がじわりと滲む。
「私を忘れずにいても、どうなるものでもない…」
くしゃ、と千代紙が小さな悲鳴を上げた。


鳴海にはこの春、恋人が出来た。快活で明るい笑顔の綺麗な顔の娘だ。初めて『カノジョ』というものを得た鳴海は毎日楽しそうだった。
いつかこんな日が来ることは覚悟していた。鳴海自身、懸念していたことだ。どんなにしろがねを好きでも神社を離れたら忘れてしまう。しろがねを忘れている日常の中で、他の誰かと付き合い、いずれ結婚して家庭を持つことに疑問が抱けない。
実際、恐れていた通りになった。鳴海はしろがねではない女性を愛して、男女の関係になった。鳴海が他所の女に嬌声を上げさせ絶頂に導き、鳴海も彼女の中で果てる様もまた、しろがねは見護らねばならない。鳴海があの守り袋を身近に置いている限り、例えそれが古くなり利益が薄まっても、鳴海との縁は切れない。いっそ捨ててくれたら、と思う。


今年の鳴海はどんな顔でしろがねの前に立つのだろう。きっと、涙を流して地に手をついて、深く謝るに違いない。知らず、裏切ってしまったことを。
鳴海は何も悪くないのに。
悪いのは、人の子と一線を画せなかった自分だ。鳴海可愛さに彼の想いを受け入れてしまった自分だ。
しかも神力を私情に使ってしまった。嫉妬から、呪ってしまった。今後、鳴海に抱かれる女達が、鳴海の子を身篭ることがなくなる、呪いを。
鳴海の精は自分のものだという浅ましい悋気が形を成してしまった。神を名乗る資格がない、こんな神だから、人間に見放されたのだ。
醜い女神、今は般若の如き醜さだろう。


仮に千羽鶴への願掛けが成就して、鳴海が自分のことを忘れなくなったとて、共に歩むことは出来ない。
鎮守の楠を神籬にしているしろがねは、この山を離れることが出来ない。
鳴海が逢いに来てくれるのを待つことしか出来ない。
守り袋から見護ることが関の山で、鳴海が人肌恋しい時に温めてやることも出来ない。


人は人と、歩むのが一番の幸いなのだ。
自分を覚えていては、鳴海が人並みの幸せを掴む邪魔になる。
鶴の片翼に涙が一雫落ちた。
「やはりもう…鳴海には逢わない方がいいのだ…私を忘れたまま人の世の繋がりを大切にすること…それが、鳴海の幸せなのだ…」
ずっと逡巡していた。答えなど分かり切ったことなのに、我が身を嘆いて、己の渇望を鳴海に強いようとしていた。何と情けない。


鳴海が完全に自分を忘れてくれたら、時無く忘却の果てに消滅するだろう。自分が消えれば、鳴海に掛けてしまった呪いも消える。今しばらく数年は効果があろうが、所帯を持つのが当たり前の年になる頃には全てが終わっている。
「逢えば…記憶が戻る度、私の存在が鳴海を苦しめることになる」
鳴海にはいつも笑っていて欲しい。
しろがねは折りかけの鶴を地に落とすと、人形と、櫛と鏡を胸に抱いて社殿の奥へと消えた。







この山間では今年、
夏前から天候不順が顕著だった。
そしてもう二度と、豊かではなくとも穏やかな土地に戻ることのない先触れでもあった。



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