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流されようか?
流されてみようか?
SAND BEIGE
Phrase.12 翼を広げて 火の鳥がいくわ
「すまん」
鳴海が勢いよくテーブルに両手を付いたので、白い皿も銀のナイフもフォークも淡い色のテーブルクロスの上で悲鳴を上げた。店中がその物音に条件反射で耳目を集めたので一瞬、しん、と静まり返った。そしてそろそろと店内はまた賑やかになる。
「ナルミさん…」
「すまねぇ。オレは特に誰かと何を約束しているわけでもねぇ。何の用事もねぇ、もしもここにずっとこうしているなら。だけど、やっぱりそれじゃダメなんだ」
鳴海の首が更に下がる。
「ファティマ…気持ちはありがたく受け取っとく。女に恥をかかせるようなことをして本当に申し訳なく思っている…」
「……」
「オレは鈍くて…ファティマが好意を持ってくれているって気付いたのも遅かったし、今夜こうしていることが、結果ファティマを傷つけることになることにも思い至れなかった」
ファティマが自分に好意を持ってくれているかもしれない、そのことには先日キスのお礼をもらったときに分かっていた筈だった。けれど、そのファティマの好意をどう受け止めるか、なんてことは一度だって考えなかった。気不味くなってしまったしろがねとどうするか、そのことばかりを考えていた。ファティマと付き合ったらどうなるかをシミュレーションしたのだって結局はしろがねとを比較してのことだ。上手くいかないしろがねに対し、素直でやさしいファティマを引き合いに出しただけのこと。今夜こうして食事をしているのだって、結局のところ、しろがねに対する子どもっぽい当て付けでしかない。しろがねとのケンカがなければただ友達と夜飯を食べる感覚でいただろう。
口で何と言おうが本当は、しろがね以外の女と付き合うなんて選択肢は鳴海の中にはないのだ。ファティマはとどのつまり、友達の域を出ない。
頭を下げ続ける鳴海の旋毛にファティマはそっと
「ダメ元で言わせてください」
と言う。
「あなたが好きです。初めて会ったときからナルミさんのことが好きでした。付き合ってもらえませんか?」
鳴海はぐっと頭を上げてファティマと目を合わす。そして見るからに苦しそうな皺を眉間いっぱいに刻んで、これよりもずっと深く頭を下げて
「すまん」
と謝った。
ファティマは大きく息を吸い込むとゆっくりと吐き出して目蓋を下ろした。
「オレみたいな奴がファティマみてぇな可愛いコに告白されて断るのはものすごく贅沢だってこと、分かってる」
鳴海は噛み締めた歯の隙間から搾り出すような声を出す。
「だけど、オレには好きな奴がいるから。ファティマの気持ちには応えられない」
ファティマはもう一つ小さな吐息の後に、諦めの滲む笑みを浮かべ
「しろがねさん?」
と訊ねた。
「な、何でそれを?」
鳴海は真っ赤な顔をファティマに向ける。
「気付かないわけないでしょう?だってナルミさん、いつだってしろがねさんの話ばかりするんですもの」
ファティマは少し呆れたような声を出した。
この期にも及んでも、自分の気持ちがバレていないと信じているところが鳴海らしい。こんな人だから、ファティマは鳴海の無神経さを怒る気にもなれないし、嫌いにもなれない。
ファティマがしろがねに出会う前からずっと、鳴海はしろがねの話ばかりだった。銀の髪に銀の瞳。一目でその人と分かる彼女の話を何度も何度も。
「好きな人のことは誰にでも話したくなるものでしょ?私だって友達にナルミさんの話ばかりしてたから分かる…」
「すまない」
「だから分かってました。私に勝ち目がないの。それでも、望みが薄くても、私はナルミさんに自分の気持ちを伝えたかった」
「すまない…」
鳴海はまた謝った。
「もしも、しろがねに知り合っていなかったら…きっとファティマと喜んで付き合ってたと思う。オレ、ファティマのこと、すげぇ素直ないいコだって思うから」
「そんなこと、言わないで。返って残酷」
「そ、そっか、オレ、ホント鈍くてさ…言葉もない」
「本当に、鈍い人」
鳴海は席を立った。
「食事途中で本当に悪いけど、そう自分の気持ちに気がついたらこうしてはいられねぇ。オレのこと、礼儀のなってないヤツだって思ってくれていいから」
「しろがねさんのところ?」
ファティマは俯いたまま、呟くように言った。
手が使われなかったカトラリーを弄ぶ。
「うん。オレ、迎えに行ってやらねぇと。…もう、手遅れかもしれねぇけど」
「分かりました。気をつけてくださいね」
鳴海を見上げるファティマの顔は思いの他清清しいものだった。鳴海が意表をつかれるくらいに明るく微笑んでいた。
「おう」
「何も気にしないで」
「すまん」
「もう、謝らないで」
鳴海は財布の中から何枚か札を引き出すとテーブルに置き、
「足りなかったら後で言ってくれ」
そう言って、早足に店を飛び出していった。
ファティマは鳴海に笑顔で手を振って、その背中を見送った。
ファティマは皿の上に食べかけで残された気の毒な料理に目を落とし、小さな溜め息をついた。
「フラれたのか、ファティマ」
肩を落とすファティマの背中に、コックコートに身を包んだ背の高い男が声をかけた。
「ティンババティさん。…そうみたい。フラれちゃった」
身をすくめるようにして笑うファティマの目尻に光るものを見たティンババティと呼ばれた男はポン、と軽く彼女の肩に手を乗せた。フッと、ファティマは寂しく笑ってみせる。
「最初から分かってたから。勝ち目の薄いことは」
「そうか」
「ナルミさんは鈍いから短期決戦で勝負!って思ったんだけど」
「そうか」
「あ~あ…やっぱり、辛いなぁ…」
「再度チャレンジはしないのか?」
「しないわ。ナルミさん…しろがねさんのことしか見てないもの」
「あの男も上手くいくとは限らないぞ?」
「失恋したナルミさんにつけ込めって言うの?嫌よ、そんなの」
「好きなら手段を選ばない女もいるぞ?」
「私は手段を選びたい。それに、ナルミさんは絶対に上手くいく。つけ込む隙もないわよ、もう」
ファティマは特大の溜め息をついた。
空元気を出してはいるがすっかり萎れてしまったファティマにティンババティは少し考えて
「今、デザートを持ってきてやる。奢りだからいくらでも食べていいぞ?」
と言った。ティンババティの手の平がファティマの頭を包む。
「ふふっ。その言葉、後悔しないでね?店中のスィーツ、食べ尽くしちゃうから。よおし、今日はヤケ食いしよっと」
「待ってろ、今用意する」
「早くしてね」
ファティマは小さく笑った。
「失恋しちゃった…」
ティンババティがテーブルの上の皿を下げてその場を去るとファティマは力なく呟いた。
そっと空席になった向かいの席に目を遣って痛い胸の内を持て余しながら。
分かっていたと言っても、やはり失恋は苦しかった。