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『からくりサーカス』鳴しろSS置き場です。
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舞台設定、人物設定、その他もろもろ完全創作です。
義務教育を終えてない方はご遠慮ください。


 

 

 

 

 

 

小さな魚。

 

13. I love you.

 

 

 

 

 

 

ふうわり、と自分の身体が浮かび上がったのをしろがねは感じた。心地よい浮遊感に思わずしろがねの指から抜けて、扉の取っ手が遠ざかった。

ぱたん、と扉は自然に閉まる。

 

 

 

「莫迦が…またオレに話もさせねぇで店を飛び出して行くつもりだったのかよ…」

「……」

鳴海に後ろから抱き締められ、鳴海の温もりに包まれて、しろがねはただ黙って瞼を閉じた。

苦しいほどに、息が詰まるほどに抱き締めてくる鳴海の腕にそっと両手をかける。

何て温かいのだろう。

しろがねは思いがけない幸せに恐怖すら覚えた。

鳴海はじっとしろがねの首筋に顔をうずめるようにして、その華奢な身体を掻き抱く。

暗い床や壁で、通りで瞬くクリスマス・イルミネーションの電飾の光がチカチカと楽しそうに陰影を作り踊っている。

沈黙の漂う店内にふたりの想いが交錯した。

 

 

 

「…オレは…まともに人を愛せない人間だったから、怖かったんだ。おまえに気持ちを打ち明けるのが。打ち明けたら、またおまえにも失望されるのか、おまえを愛せなくなるのかと…。そのオレの意気地のなさがおまえを酷く傷つけちまった…」

鳴海は低い声で語り出す。低く小さな声は震えているようで、しろがねには鳴海が泣いているように思われた。

「オレはずっと後悔してた。おまえに会えなくなって、どんなにおまえの存在が大きかったのか、思い知らされた。悔やんでも悔やんでも…おまえに会いたくて、謝りたくて…」

しろがねを抱く鳴海の腕に力がこもる。

「オレはおまえを愛している。初めて会った日からずっとだ」

初めておまえがオレに道を尋ねてきた、あの瞬間からずっと。

ようやく言えた、告白。

愛している、その言葉がしろがねの鼓膜を、そして肌を穿つように浸透する。

それが心に到達するまで不思議なくらい時間がかかった。夢か現か、瞬時には判断できなくて。

 

 

 

「だってナルミ……あの人が好きなのでしょう?」

あの日、この店でキスを交わしていた黒髪のキレイな人。

足元に奈落が広がったあの悪夢を私に見せてくれたあの女の人。

自分の腕を掴む鳴海の指がグッと力む。

「あれは、オレが前に付き合っていた人で……それも含めて、オレはおまえに謝らねぇといけねぇんだが…。彼女のことは何とも思ってねぇ、けれど、これきりで日本を発ち結婚するという彼女を最後に抱いてやってもいいのかも、そんな気になっていたのは確かだ。莫迦だな、オレは」

質問に答える鳴海の声は懸命に許しを乞おうとする必死さが滲んでいる。

「ナルミ…」

「好きでもない女を抱こうとして、肝心のおまえをとんでもなく傷つけた。おまえの気持ちは分かっていたのに」

「……」

「おまえはオレを怒っていい。罵ってもいい。だけど、これだけは分かってくれ。オレはおまえを愛している。オレと付き合って欲しい。都合のいい話だってこと承知した上で、オレは…。しろがね、オレの女になってくれないか?」

 

 

 

しろがねは息を呑んだ。

胸が苦しい。

手の平がピリピリと痺れて、全身から力が抜けていきそうだ。

鳴海とあの女の人は付き合っていなかった。

鳴海が自分のことをずっと好きでいてくれた。

この思いがけない展開はしろがねには信じられないくらい嬉しかった。

 

 

 

でも。

 

 

 

だとしたら、この数ヶ月の間、私のしていたことって何だったのだろう?

「もっと…早くに言って欲しかった…」

誰が悪いのだろうか?

気持ちを打ち明けるのを怖がって、私の気持ちを置き去りにしたナルミ?

それとも、ナルミを信じきれず、勝手に自暴自棄になった私?

「そうすれば…」

そうすれば、私はリシャールと爛れた関係にならなくてすんだのに。

きれいな身体をあなたに差し出せたのに。

もう私はあの頃の私じゃない。

私はきっと汚れている。

 

 

 

「すまない」

「私はリシャールに抱かれた。何もかもがどうでもよくなって何度も何度も」

「言わなくていい」

「私の身体は汚れている。だって好きでもなんでもない男に抱かれて悦びを覚えたのだから」

「もう言うな」

「私と身体を重ねたらきっとあなたは驚くわ。何て淫乱な女だろうと。私は…私にはあなたに愛される価値なんて」

「言うなっ!!」

 

 

 

耳元で怒鳴られて、しろがねはびくりとした。カタカタと身体が小刻みに震える。

私は何て莫迦なことを口走ったのだろう。

何もナルミに嫌われるようなことを自ら言うことなどなかったのに。

確かにナルミは私を傷つけたかもしれない、けれどもう、私はそのことを怒ってはいない。

『愛している』

ナルミのその一言で、私は充分報われたのだから。

だのに何故、こんな莫迦なことをナルミに言ってしまったのだろう?

鳴海の腕が解かれるのが恐ろしくて、しろがねはその腕に添えた自分の指を強くしがみ付かせた。

耳を痛くする沈黙がふたりを押し包む。

店内を動くものは窓から入り込み、クリスマス・イルミネーションの光の間を縦横無尽に駆け巡る車のライトだけ。

 

 

 

「も…言うなよ…全部、オレのせいだって分かっているから。おまえは何にも悪くねぇ。全部、オレの責任なんだ。おまえはちっとも悪くねぇから…」

「……」

「やっぱ、ダメか?オレのこと、許せないか?」

しろがねは頭を大きく横に振った。

そして鳴海の腕の中でゆっくりと身体を反転させて、お互いに向かい合った。

黒い瞳も銀の瞳も、労わりと愛情に満ちていて、潤んだように光っている。

ずっと、こうしたかった、彼らの瞳が無言で語る。

ふたりは自然と唇を触れ合わせた。

くちづけは次第に深く激しいものになる。

お互いを求める気持ちを隠そうとしない声と音が響く。

 

 

 

「おまえが欲しい。今から…抱いてもいいか?」

鳴海の荒い呼吸が昂る気持ちを色濃く表している。しろがねは熱っぽい顔でこくっと頷いた。

鳴海はにっこりと笑う。

こんなに腹の底から嬉しいと思い、それを表情で表現したのはいつ以来だろうか。

久し振りに見る鳴海の笑顔に、しろがねの心はじんわりと温かくなる。

ああ、やっぱり、この人の笑顔が好き。

しろがねも淡い微笑を返した。

 

 

 

「今、店の前にバイクを回してくる。ここで待ってろ」

鳴海はそう言い残して店の外へものすごい勢いで飛び出して行った。

しろがねはそんな後姿にくすりと笑みをこぼし、そしてほうっと息をついた。

まさか、今夜、こんな風に鳴海に愛していると告白を受けるなんて思ってもみなかった。

もう二度と会えなくなるものとばかり思っていたのに。

それが、これから鳴海の腕に抱かれることができるなんて…。

抱かれる…。

そう考えて、しろがねはハッと息を呑んだ。

そして恐る恐る手を胸に当て、自分の身体にリシャールがつけた無数の『跡』があることに今更ながらに思い当たった。

 

 

 

リシャールは自分の独占欲、所有欲を満たすためか、しろがねの身体に『痕跡』を残すことを好んだ。キスマーク然り、歯型然り、自暴自棄になっていた頃のしろがねはそれをどうでもいいと思っていた。こんなことをしても心があなたのものになることはないのに、しろがねは冷ややかにそう思うだけだった。誰に裸を見せるわけでもない、白い肌にどんな跡を残されようが少しも気にならなかった。

けれど、事情が変わったのだ。

しろがねの身体には無数の他の男との情事の痕跡が残っている。

それもつい2,3日前につけられたばかりの真っ赤なものから、黄色や青に色褪せた古いものまで様々で、それも乳房や性器の周辺に集まっているのが顕著なのだ。

こんな身体をナルミには見せられない!

 

 

 

跡が消えるまで待って欲しいと言っても彼は待たないだろう。

オレは気にしないから、と絶対に言うに違いない。

気にしない、そう言いながらも、気にしないわけがない。

それに仮にナルミが気にしないにしても、私が気にするのだ。

「こんな身体をナルミには見せられない…」

唯一無二の愛する人にこんな身体を晒すわけにはいかない…!

しろがねは両手で顔を覆った。

「どうしよう…?」

しろがねは鳴海に嫌われるのが怖かった。

鳴海はこんなことでしろがねを嫌いになったりはしない。

けれど、見たら、しろがねの他の男の刻印だらけの身体が彼の頭の中から消えることもないだろう。

真面目なしろがねは、自分で自分が許せなくなった。

どうしていいのか、分からない。

「ナルミ……ごめんなさい……」

しろがねは解決策が思い浮かばす、無意識のうちに机の上に載る自分のカバンを取り上げた。

 

 

 

「しろがね、待たせたな!」

晴れ晴れとした顔で鳴海が店内に戻るとそこには誰もいなかった。

「しろがね?」

狭い店内をウロウロと探す。けれどしろがねは何処にもいない。

「し…しろがね…?冗談はよせよ、おい、どこだ?しろがね?!」

大声を張り上げても返事はない。

鳴海が顔面を蒼白にしていると店の電話が不意に鳴った。鳴海は受話器にゆっくりと手を伸ばす。

「もしもし」

「ナルミ…」

しろがねの声!

ホッとしたのと同時にわけの分からない怒りも込み上げる。鳴海は思わず怒鳴っていた。

「バカ!しろがね、何やってんだ?どこにいる?」

「ナルミ……ごめんなさい、今夜は帰ります…」

「何故?!」

「私、やっぱりまだキレイじゃないから…」

「そんなことは気にすんなって言っただろ!オレは」

「ダメなの。このままでは。だからお願い、少し待って。必ずまたあなたに連絡するから」

「しろがね、オレはな」

「お願い!お願い……私のわがままを聞いて欲しい……絶対に、あなたに連絡するから」

「しろがね…」

「お願い………嫌いに、ならないで」

 

 

 

電話は切れた。

鳴海は力なく受話器を置くとがっくりとその場に座りこむ。

「………クリスマスなんて、大っ嫌いだ………」

空々しく無意味に同じパターンで繰り返し光り続けるクリスマス・イルミネーションを睨み、これから迎えるはずだった目くるめく快楽の時間への期待を、鳴海は溜め息で急激に萎ませた。

 

 

 

 

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